University of Virginia Library

Search this document 
  

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
三十二
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
 43. 
 44. 
 45. 
  

  

三十二

「日が ってから、叔母が私の 枕許 まくらもと で、さまでに思詰めたものなら、保養かたがた、思う処へ旅行して、その唄を誰かに聞け。

(妹の声は私も聞きたい。)

 と、 手函 てばこ 金子 かね を授けました。今もって叔母が貢いでくれるんです。

 国を出て、足かけ五年!

 津々浦々、都、村、里、どこを聞いても、あこがれる唄はない。似たのはあっても、その後か、その さき か、中途か、あるいはその空間か、どこかに望みの声がありそうだな……と思うばかり。また 小児 こども たちも、手毬が下手になったので、 しまい まで突き得ないから、自然長いのは半分ほどで消えています。

 とても尋常ではいかん、と思って、もうただ、その一人行方の知れない、 おさな ともだちばかり、矢も たて たま らず逢いたくなって来たんですが、魔にとられたと言うんですもの。 高峰 たかね へかかる雲を見ては、 つた をたよりに すが りたし、 うみ を渡る霧を見ては、落葉に乗っても、追いつきたい。 巌穴 いわあな の底も極めたければ、滝の裏も のぞ きたし、何か前世の因縁で、めぐり逢う事もあろうか、と奥山の 庚申塚 こうしんづか に一人立って、二十六夜の月の出を待った事さえあるんです。

 トこの間――名も嬉しい 常夏 とこなつ の咲いた霞川と云う秋谷の小川で、綺麗な手毬を拾いました。

 宰八に聞いた、あの、嘉吉とか云う男に、緑色の珠を与えて、 月明 つきあかり の村雨の中を山路へかかって、

(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 天神様の細道じゃ、
       細道じゃ。)

 と童謡を 口吟 くちずさ んで通ったと云うだけで、早やその声が聞こえるようで、」

 僧は魅入られたごとくに見えたが、 溜息 ためいき ほっ き、

「まずおめでたい、ではその唄が知れましたか。」

「どうして唄は知れませんが、声だけは、どうやらその人……いいえ、……そのものであるらしい。この手毬を もてあそ ぶのは、 たしか にその 婦人 おんな であろう。その婦人は何となく、この 空邸 あきやしき に姿が見えるように思われます。……むしろ私はそう信じています。

 爺さんに 強請 ねだ って、ここを一 借りましたが、借りた日にはもう其の手毬を取返され――私は取返されたと思うんですね――美しく気高い、その 婦人 おんな の心では、私のようなものに拾わせるのではなかったでしょう。

 あるいはこれを、小川の すそ の秋谷明神へ届けるのであったかも分らない。そうすると、名所だ、と云う、浦の、あの、子産石をこぼれる石は、以来手毬の糸が染まって、五彩 燦爛 さんらん として ほとばし る。この色が、紫に、緑に、 紺青 こんじょう に、 藍碧 らんぺき に波を射て、太平洋へ月夜の にじ を敷いたのであろうも計られません、」

 とまた 恍惚 うっとり となったが、 うなじ を垂れて、

「その たたり 、その罪です。このすべての怪異は。――自分の よく のために、自分の恋のために、途中でその手毬を拾った罰だろう、と思う、思うんです。

 祟らば祟れ!飽くまでも初一念を貫いて、その唄を聞かねば置かない。

 心の まよい か知れませんが。 のあたり見ます、怪しさも、 すご さも、もしや、それが望みの唄を、 何人 なんぴと かが暗示するのであろうも知れん、と思って、こうその口ずさんで見るんです―― 行燈 あんどう が宙へ浮きましょう。

(美しき君の姿は、
  萌黄 もえぎ の蚊帳を、
 蚊帳のまわりを、姿はなしに、
 通る 行燈 あんど おもかげ や。)……

 勿論、こんなのではありません。または、

[_]
[13](
美しき君の いおり は、

 前の畑に影さして、
 棟の草も露に濡れつつ、
 月の かつら 茅屋 かやや にかかる。)……

 ちっとも似てはおらんのです。屋根で 鵝鳥 がちょう が鳴く時は、波に さら われるのであろうと思い、板戸に馬の影がさせば、修羅道に ちるか、と驚きながらも、

(屋根で鵝鳥の鳴き叫ぶ、
 板戸に こま の影がさす。)

 と、 うつつ にも、絶えず耳に聞きますけれど、それだと心は うなず きません。

 いかなる事も堪忍んで、どうぞその唄を聞きたい、とこうして参籠をしているんですが、 たたり ならばよし罪は いと わん、」

 と激しく言いつつ、心づいて、 悄然 しょうぜん として僧を見た。

「ただその、手毬を取返したのは、唄は教えない、という宣告じゃあなかろうか、とそう思うと なさけ ない。

 ああ、お話が 八岐 やちまた になって、手毬は……そうです。天井から猫が落ちます以前、私が縁側へ一人で坐っています処へ、あの 白粉 おしろい の花の蔭から、

[_]
[14]
芋※ ずいき の葉を顔に当てた 小児 こども が三人、ちょろちょろと出て来て、不思議そうに私を見ながら、犬ころがなつくように そば へ寄ると、縁側から 覗込 のぞきこ んで、手毬を見つけて、三人でうなずき合って、

(それをおくれ。)と言います。

(お前たちのか。)

 と聞くと、 かぶり るから、

(じゃ、 小父 おじ さんのだ。)と言うと、男が毬を、という調子に、

(わはは)と笑って、それなりに、ちらちらとどこかへ取って行ったんでした。」――