University of Virginia Library

 一切を夢の中に抱擁して、夜はふけた。夜、そのものは、それでいいのであるが、おもての船室は、一八六〇年代の英国におけるレース仕上げの家内労働者が、各| 一人 ( ひとり ) に対して六十七ないし百立方フィートしか空気を与えられていなかった――マルクス――のとくらべて、もっとはなはだしかった。われわれは、夜の明け方まで、死のような眠りにつく、そしてその死のような眠りからさめて、「 罐詰 ( かんづめ ) ( ふた ) 」をあけて、外気を室内に吹き入れしめるときに「ああ、目がさめた」と思う代わりに「よくおれは 蘇生 ( そせい ) したものだ」と思うのであった。

 われわれはしけの場合は、ことにオゾーンが多いにもかかわらず、ほとんど窒息死の瀬戸ぎわまで眠る。そのために、われわれのからだじゅうは、一晩じゅうに鈍く重くなっている。そして、睡眠が与える元気回復ということは思いもよらないことであった。

 われわれは、水夫室なる罐詰の、 ( とびら ) なる ( ふた ) をあけて、初めて、 人心地 ( ひとごこち ) がつくのであった。――これは、本文と関係のないことであるが、この時乗り組んでいた人間のうち、藤原、波田、小倉、西沢、 大工 ( だいく ) 、安井は皆肺結核患者であった――そして、この空気混濁は、そのことに起因して、肺疾患者を海上において生産する矛盾をあえてした。

 罐詰の内部に、生きたものがいるという結果は、どんなものであるかは、明らかにだれにでも想像のつくことであった。ただそれは、その ( ふた ) をあけた時に、蓋の外の清浄さによって、非常に救われた。

 彼らが五時間眠っている間に、海は ( ) いだ。アルプスのように骨ばっていた海面は、 山梨 ( やまなし ) 高原のようにうねっていた。マストに、引っかかり ( ) っつかった雲は、今は高く上の方へのぼって行った。

 発作の静まったあとのように、彼女はおとなしく、静かに進んだ。

 室蘭出帆の日は日曜であって、作業、それも並み並みならぬ難作業だったので、 今日 ( きょう ) の月曜は日曜繰り延べで休みにするように、「とも」へ頼みに行くことにしようではないかと「ならずもの」どもは、歯みがき 楊子 ( ようじ ) をくわえながら相談した。

 「それは願うまでもなく至当の事じゃないか。黙って休みゃいいさ」と藤原は闘争的に主張した。

 「これは、一々その都度都度、頼んだり願ったりしちゃ、面倒だし、そのたびにかけ合いに行く者が悪者になるようだから、一つ永久的の取りきめにしたら、『日曜日、出帆入港にて休日フイとなりたる節は、翌日を公休日となすこと』とか何とか、四角ばって、約束しといたら、そんなに、毎々まごつかないでも済むだろうじゃないか」波田は提案した。

 「そんなにしなくたって、そういつもあることじゃないんだから、今日だけ願っといたらいいじゃないか」とボースンはなだめた。

 哀れなボースンよ! 年は寄ってるし、子供は多いし、暮らしは苦しいし、かかあは病気だし、この憶病な 禿 ( ) げのお ( ) さんに従うことに皆決めた。

 ボースンは、顔をあわてて洗うとそのまま、チーフメーツのところへ頼みに行った。

 船は大うねりに乗って、心持ちよく泳いで行く。右手にははるかに本州北部の山々が、その海岸まで突出して、豪壮なる姿をまっ白く見せた。寂しい 山河 ( さんが ) である。そこにはわれらの寄るべき港とてはほとんどないのであった。人煙まれなる森林地帯ででもあるように、原始的な草原ででもあるように感じさせる 景色 ( けしき ) であった。ボースンの返事のあるまで、水夫たちは、デッキへ上がって、なつかしき陸をながめ、 昨日 ( きのう ) 困らされた海を見入るのであった。

 風は、今日は昨日ほど寒くなかった。黒潮の影響を受けているので、デッキへ上がって

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、メスで ( ほほ ) の肉を裂かれるような痛さを感じることはなかった。

 水夫たちは皆、それぞれの 嗜好 ( しこう ) に従って、横浜へ着いてからの行動や、食物について空想に浸っていた。デッキの上では、彼らは陸にさえ上がれば、あらゆる快楽がある、それが待っていると思う。自分たちが縛られ、 奴隷 ( どれい ) 扱いにされ、自由を略奪され、労働力を搾取されていることは、陸と、デッキとの間に海が横たわるからであると、無意識のうちに考えていた。それはちょうど 牢獄 ( ろうごく ) に監禁された囚人が、赤い高い 煉瓦塀 ( れんがべい ) のかなたには、絶対の自由がある。自分はそこでは自分の好む通りにすることができる。そこは、そのまま天国だと、考えるようなものであった。ところが監獄の ( へい ) の外にも、彼の考えたような自由はその影もなかったように、また甲板の上で考えたような自由と幸福とは、決して陸上にもありはしなかった。彼らは、それを、彼らが上陸するたびに味わった。そして、陸上で自分の財布を地面へたたきつけ、自分の着ているその無格好な ( よご ) れた着物を引き裂き、労働で荒れた、足の ( かかと ) のような手の皮を引んむいてやりたく思うのであった。それらが、彼らがせっかくあこがれ切った陸に上がったにかかわらず、彼らから自由と幸福とを追っぱらった。

 労働者は、自由や幸福や、人間性が、賃銀を得つつある間に自分に与えられ、あるいは自分からそれを得ようとすることが、全然不可能なことであることを知るようになる。人間が牛肉を食うと同じように、人間が人間を食う時代の存続する限り、労働者は、その生命が ( くびき ) ( もと ) にあることを自覚しなければならない。水夫らは、そんなふうなことを感じた。と思うと、そのすぐ次には「おれ 一人 ( ひとり ) でいくらあせって見ても始まらない話だ、坊主でも女郎買いをするではないか、おれらは人間の中のくず扱いにされているんだ」と、社会が自分に強制するところの職分及び生活範囲を、自分から容認してしまうのであった。

 彼らは、陸でも、これより月給がいいのに、おれは海の上でなぜこんなに少ないのだろう。おれも陸に上がって働けないだろうか、とても働けまい。口があるまい。と、彼らは法則どおりに思い込んでいるのであった。

 ボースンが「とも」から帰って来た。そして「特に今日は休暇を与える」といったことを伝えた。

 この報告は、何らの批評もなく皆に受け入れられ、喜ばれた。

 「ばかにしてやがらあ『特に』だとよ」と、うれしそうに叫びながら、だれもが、何をするためにともわからずに、そのベッドへと駆け込んで行った。

 そしてこの貴重なる、出し渋られた休日を彼らは大抵眠ってしまうのであった。全く、いつもの例のごとく、この時も、一人残らず、その巣へもぐるが早いか、眠ってしまったのであった。

 唯一の切実なる欲求を睡眠に置いているセーラーたちは、そのことから見ただけでも、どのくらい彼らが過労し、酷使されているかがわかる。