University of Virginia Library

一一

 藤原は、そのいつもの、無口な、無感情な、石のような性格から、一足飛びに、情熱的な、鉄火のような、雄弁家に変わって、その身の上を波田に向かって語り初めた。

 「僕が身の上を、だれかに聞いてもらおうなんて野心を起こしたのは、全く詰まらない感傷主義からだ。こんなことは、話し手も、聞き手も、その話のあとで、きっと妙なさびしい気に落ち入るものだ。そして、話し手は、『こんなことを話すんじゃなかった。おれはなんてくだらない、泣き言屋だろう』と思うし、一方では、『ああ、あんなに興奮して、あの男に話さすんじゃなかった。この話はあとあとの生活の間に何かの、悪い障害になるかしれない』と、思うに決まってる。ところがそんな結果をもたらすような話だけが、何かのはずみで、どうしても話さずにはいられない衝動を人に与えるものなんだ。あとで何でもないような話は、何かのはずみに、だれかを駆り立てて、話さずには置かないというような、興奮や衝動を与えはしないんだ。僕は、 今日 ( きょう ) 、僕が本をむやみに読んだという話から、僕は我慢できなくなったんだ。それほど、僕は『本を読んだ』ことが、僕にばかげた気を与えたらしいんだ。『本を読んだ』ことは、僕が起きるのにも、眠るのにも、ものをいうのにも『本を読んでる』ような感じを人に与えるらしい。つまり僕は本の読んでならない乾燥したものばかりを読んだんだ。

 それで僕は見事に頭をこわしてしまった。今から考えると、そのころ、僕は何を読むかという大切な読書の要件がわかっていなかったんだ。時によると、図書館で、目録だけを半日かかって読んだ。そして結局、本を読むことは、僕に何も与えないことを知ったんだ。そして今になって考えると、そのころの僕には、生活がなかったんだ。生活が、このころの僕は煙みたいにフラフラして、地についていない、生意気な学生だったんだ。本を読むことのむだを知り、僕の頭の従って、カラッポであることを自覚した僕は、生活を得ようと考えたんだ。生活は学校を出て、その免状で月給にありついて、その範囲外は家からの補助で送るのが、生活じゃないことを僕はさとったんだ。生活とは、燃えるものだと僕は思ったんだ。焼け尽くすような、爆発するようなものが生活だと僕は考えたんだ。おれは親の金で教育を受けている。それやおれが生きてるという事にはならないんだ。おれが生きてるためには、おれが自分を ( ) かさなきゃならないんだ。おれは、おれの腕で食おう! と僕は決心したんだ。そこで、僕は毎朝、下宿を弁当を持って出て、友人の所へ書物を預けて置いて、工場を回り歩いた。そして、Aという工場に旋盤見習いではいった。

 工場生活は、非常に苦しかった。学生の生活とくらべて、 ( どぶ ) のように悪かった。朝から夜まで、仲間の労働者さえも、見習いの僕を敵視するように思われた。単純に物事が運ばなかった。僕は、今ではあたり前だと思っているので、自分でも驚くのだが、『 伍長 ( ごちょう ) のところへ行って、グレインを借りて持って来い』などいわれて、どのくらいそのために恥をかいたり、方々駆けずり回ったりしたかしれなかった。僕は、ここにも生活はない、と思い初めていた。けれどもそこは、学生とちがったところがあった。真剣だった。そして、だれもが、心の底になにか雪雲のように 陰欝 ( いんうつ ) なものをたくわえていた。どんな若い労働者でも、不平をいっていた。そして、彼らは、その生活が悪いと考えていた。僕もはなはだ悪いと思っていた。そこで、僕らは、いい生活を考えるのだった。こんな生活はいけない。

 こんな生活は、あそこがこういけない、ここがあアいけないとすっかりわかってるんだ。そこで、いい生活はここをああ、あそこをこうと、旋盤をにらみながら一日に十四時間も十六時間も考えるんだ。それを、やっぱり仲間たちも、多いか少ないかだけで、考えるには考えているんだ。

 『いい生活を人類のために求める。そこにおれの生活があるんだ』と、こう僕は、フト旋盤に送りをかけて、腰をおろす途端に考えたんだ。それから僕は、本を読む代わりに、自分たちの生活を見つめるようになった。僕はまるで僕自身を 仇敵 ( きゅうてき ) のように白い目でにらんだんだ

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。工場へ五時に来てから、幾度も小便に行った。そのうちほんとうにしたかったのが幾度、あとは、とにかく場処を動きたかったからだ。倉庫番(工場の)のところまで何歩あるか、何秒かかるか、それだけをゆっくり歩くことを、なぜ職長はとがめるか、職長は労働者か、それとも何か、とそんなふうに愚の骨頂のようなことから、その他さまざまなことが、僕の頭を根限り追いまくった。

 そして僕には、僕が学生であった時代が恥ずかしくなった一時代が来た。僕はそれから、性格が一変したんだ。それまでは、僕は、ほとんどだれからも愛される ( たち ) だったんだ。そして近づきやすい青年だった。ところが僕が、学生時代をのろい始めると共に、職工時代をものろい始めたんだ。つまり、その『恥ずべき学生のおれを、今の職工のおれたちが養っていたし、これからも養ってやらなきゃならないんだ』と、ちょうど僕が、この正体の知れない考えにとらわれた時に、 一人 ( ひとり ) の職工と知り合いになったんだ。

 『人間はなぜ働かねば食えないんだか知ってるか、お前』とそいつがいうんだ、僕はしばらく黙っていた。すると、

 『人間はなぜ働かねえやつがぜいたくだか知ってるか、え』とそいつがまたいうんだ。

 『人間は苦しんでるんだ』と僕がいったんだ。

 『そうだ。一人のために千人が、十人のために一万人が』とそいつがいったんだ。僕はわかった。その労働者は、 白水 ( はくすい ) という名前だった。

 それから僕はその男とつき合うようになったんだが、その白水という男は全く珍しく意志の強固な、感情を理知でたたき上げて、火のような革命的な思想を持ち、それを僕らが飯でも食うように、平気で、はた目からは習慣的に見えるほど、冷静に実行する男だった。A工場では、だれもその男を尊敬していた。会社では、その男を 馘首 ( かくしゅ ) しようとして、あらゆる手段をめぐらした。そして、それは白水も十分に感づいていたようだった。彼は、目だけを光らして、ほとんど上役と口をきくようなことがなかった。上役も彼を見ると、なるべく避けて歩いてるように見えた。彼は、朝から終業まで、熱心に旋盤にかじりついて、仕事をした。そして、不思議なことは、彼は、特に能率を上げたこともなく、下げたこともなかった。いつも一生懸命でやっていて、そして彼の能率は中ちょっと以下であった。彼の熟練には、職長も文句が出なかったんだ。彼はA工場の技師長

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と同期で大学を出た、といううわさがあったんだから。ところが白水は学校には、実際は行っていないらしいんだ。しかし、また驚くほど独学をやったらしいんだ。彼は僕と違って、読むべきものを知っていたんだ。 ( さが ) す目的を持っていたんだ。それに
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、白水は、前科が四犯あったんだ。その ( おのおの ) の入獄時代に外国語も研究したらしいんだ。年は見たところ三十にも見えるんだが、実際は二十六だった。彼は、資本家からも、労働者からも、別々な立場と意味とからで注目されていたんだ。それはきたない、暗い六畳の間だった。それを白水は借りたんだ。そして彼はそこで自炊を始めたんだ。しばらく彼がそうしているうちにその六畳の間は、いつでも夜になると、労働者が五、六人集まっていないことはなくなった」