University of Virginia Library

     三七

 受付で、診察券を買って、外科の待合室で順番を待った。まるで、言葉の通わない国へ上陸したように、不案内であった。船の生活が、彼らを、だんだん陸上においては、不具者同様にするのだ。

 白い服を着て、看護婦たちはいた。そして、美しいのもいた。けれども、波田の考えたような夢のような、女はとうとう見つからなかった。けれども、彼らは、ペンキのにおいの代わりに薬のにおいをかいだ。殺風景の代わりに、清い女の声が流れ、看護服の ( もすそ ) がサラサラと鳴った。薬のにおいの中に、看護婦の顔からは、化粧水の芳香が、 蜘蛛 ( くも ) の糸のようにあとを引いて流れた。

  椅子 ( いす ) には頭じゅう 繃帯 ( ほうたい ) したのや、手を肩から ( ) ったのだのが、二、三人かけて待っていた。

 そのうちに「安井さん」と呼ばれて、ボーイ長は 二人 ( ふたり ) ( かか ) えられて、診察室へはいって行った。

 「どうしたんです」医者はきいた。

 ボーイ長は、かいつまんでけがをした時のようすと、痛いところとを話した。蒸気のラジエーターが、白い湯げを吐いていた。

 ボーイ長は、寝台の上で巨細に診察を受けた。そして、足は、改めてナイフで切り開かれたり、ピンセットで、神経を引っぱられたり、血管を引っぱり出して、それを糸で縛ったりした。

 「どうして、こんなに、いつまでもほっといたんです。夏だったら、もうこの辺から切り取らねばならぬようなことになってたかしれないよ」といって、 ( ひざ ) の辺を指さした。

 「船長が、どうしても ( ) せることを許さないんです。それで、僕らは、自費で連れて来たんです」藤原は答えた。

 「何か、船長と、例のごとくけんかでもしてるんだろう。船では、よくあるこったからね。君たちも強く出たんだろう」若い医者は、近視眼鏡の奥で、その人のよさそうな目で、笑いながら言った。

 「そんなことじゃないんです。全く、話にならないんです」と、藤原は簡単に 暴化 ( しけ ) の話と、横浜の話をした。

 医者は、大きく、うなずきながら聞いていたが、

 「足は、これで一週間もすれば、糸を ( ) れるようになると思うんだが、胸の打撲傷のところは、一度、内科に、見てもらわないといけないね。どうも、そこは外科では、ちょっと困るからね」

といった。

 「それじゃ、胸を内科で診察してもらうんですか」波田がきいた。

 「そう、その方がいいね。足は絶対に動かしちゃいけないよ。五日か一週間のうちに、もう一度来てください」

 「は」と藤原は答えて、二人はボーイ長を ( かか ) えて、内科の方へ行った。

 一週間、以内なんぞに来られやしない――ことは皆を困らし、途方に暮れさせた。が、まあ、内科の方が、済んでから考えることにしようと、言い合わせたように、皆が考えた。それは、痛い傷に触れたくないような状態であった。

 内科の医者は「熱が夕方になると出るだろう」とたずねた。ところが船には、ともは知らずおもてには、検温器などは見たこともなかった。従って、熱もあるにはたしかにあるんだが、高すぎるのか、低すぎるのか、皆目見当がつかなかった。

 「計ったことがないんですが、実は、検温器がないんですから」藤原が答えた。

 「夕方になると、気分が悪くなったり、寒けがしたりしやしないかい」医者はきいた。

 「ええ、しょっちゅう傷は痛いんですが、気分がぼんやりして来るのは、夕方です。何だか、妙な夢なんぞ見て、うなされたりします。それに、寒けも夕方になると、きっと来ます」安井は答えた。

 医者は、背中から呼吸器を聴診しながら首を傾けていた。

 「入院ができるかい。入院をした方がいいんだがなあ」医者は、藤原の方に問いかけた。

 「何でございましょう病気は。入院も、できなかないと思いますが、船の方から経費が出ないと、私たちでは、入院費がとても支払えないと存じますので」藤原は、正直なところを打ち明けた。

 「病気ってのは、打撲から来たものだ、やっぱりね。足のように、中から骨と肉とででき上がったところはいいが、こういうところは、内部に複雑な、機関があるからね」といって、七面倒なむずかしい病名をいった。

 「で、病気の原因が、負傷から来たものだということがわかれば、船から出るのかね? 診断書を書いて上げようかね」といって、医者は、診断書を書いて渡した。

 「どうもありがとう、いずれ帰船して、相談いたしましてから」

 三人は、礼を言って、ボーイ長は、波田に負われそこを出た。

 診断書が、百通あってもだめだろうとは思ったが、とにかく、それは、一つの有力な味方であった。

 今では、実際の負傷や疾病よりも、診断書の方が、重大な意義を持っているのだ。ことに、それは、労働階級の負傷疾病の場合、そうであるのだ。工場医は、資本家の診断によって診断書を書く、という役目だけを勤める場合が多かった。

 資本家は、機械に 截断 ( せつだん ) された労働者、ベルトに巻き込まれて、砕けてしまった労働者、乾燥炉の中へおちて、焼き鳥のようになった労働者には驚かない。それの診断書だけに驚くのであった。

 炭坑主は、自分の炭坑が、ガス爆発をした時に、五百人の男女工が、坑内で蒸し焼きにされていることには、決して驚かないのだ。彼は、その坑口の密閉が三年後にか、五年後にか開かれた時、まだ掘る部分が焼けずに残されているか、どうかに心配しているのだ!

 汽船においても同じことだ。一緒に沈んだ人間は何でもない――しかし、船体は資本家にとって大きな永久の嘆きなのである。

 船長も、ボーイ長の負傷そのものに対しては、驚くべき「理由」がなかった。だが、この診断書は、幾分なりとも、何らかの衝動を与えまいものでもない、と三人は空頼みにした。

 小学校の子供たちが、本と弁当とを載せた小さい ( そり ) を引っぱって、笑ったり、わめいたりしながら、その高みにある学校から、ゾロゾロと帰って行った。道が、急な坂をなしているところになると、子供たちは、子供たちにとっても小さすぎる、その橇の上へ、両足をそろえて、まっしぐらに、下の ( まち ) へすべり落ちて行って、曲がりそこねて、雑貨屋の店先に飛び込んだり、その破目板に ( ) っつかったりした。中にはうまく曲がったは曲がったが、雪の掃きだめの山へ衝突して、煙のような粉雪をまき散らしたりする子もあった。

 これは、ボーイ長にとって、たまらぬほど、愉快なことであった。いい気散じであった。

 三、四年前までの彼の姿が、無数に雪の上をすべったり、ころんだりするのである。彼は、足のことを忘れてしまって、自分の ( おぶ ) さっていることまで忘れていた。

 彼を負んぶした波田は、汗をたらしていた。

 「波田さん、菓子屋まで、まだ大分寄り道になるの」ボーイ長はフト菓子が食べたくなった。「きんつば」が食いたくなった。できれば、上等の蒸し菓子の中へ入れる ( あん ) だけが食べたくなった。彼は、甘いものを食べると、それは、血管を流れて行って、足の 傷所 ( きず ) で、皮になるように感ずるほど、それほど甘いものに飢えていた。それと一つは「上陸した以上は、 煎餅 ( せんべい ) 一枚でも食わないと気が収まらん」と言う波田へ、その機会を与えたかった、と、休息したかったのと、最も彼を、この挙に ( ) でしめた重大な誘因は、一分でもおそく船へ帰りたかった、少しでも長く、陸の明るいところにいたかった。清い空気、ハッキリしたものの形、人間の生活、美しい一切のもの、それらと一刻も長く、一緒にいたかったのだ。

 「そいつあいい思いつきだ」波田は、そのつもりで航路をそっちへとっていた。

 東洋軒は、また、その日も、珍無類なお客を迎えた。

 ボーイ長は、足がきかないので、日本間の方に三人は通された。

 全く、波田がどのくらい甘いものに対して、真実の愛をささげているか、それは、私のよく表わし得ないところだ。彼は、ほんとの酒好きが、酒に目をなくす以上に、菓子には参っていた。それは「病的」だった。しかし、一体に、船員は、何物、何事に対してでも「病的」に欲望を持っていた。安井、藤原なども量的には、時とすると波田以上であっただろう。

 三人は、木炭の ( ) けられた 火鉢 ( ひばち ) をはさんで、菓子をつまんだ。こういうことは、ボーイ長は、いまだかつて経験しなかったことだ。非常に 惨憺 ( さんたん ) たる生活をしていた労働者が、何かくだらぬ犯罪で、監獄にほうり込まれる。そこでは、彼は、いまだかつて食ったことのない豚肉や、魚肉やを食べさされた。そこの労働は、彼を今まで、苦しめたよりも楽であった。土地のやせた、産業のない、深い山中の谷間などから、四十を越してとらえられた、囚徒などの、やや低脳なのに、そう言うのがある。そして彼は、晩年を獄中で送ることを意に介しないように見える。

 一八六三年、法刑及び懲役にされた、囚徒の給養や労働状態について、英国政府が調査した結果からマルクスは、ポートランドの監獄囚徒が、農業労働者や、植字工などよりも、よい営養をとっていたことを証明している。(資、一ノ三、二三八ページ)

 一八五五年、ベルギーにおいても、デュクペシオー氏は、書物の中で、悲惨でないと思われている標準的の労働者が、同国における囚人の営養よりも、十三サンチームだけ営養が少なかったと書いている。(資、一ノ三、二二四ページ)

 世の中には、監獄よりも、食物や、労働においては、中には一切にわたって、苦しい、生活をしている者もあるのだ。

 ボーイ長は、負傷して、見舞金をもらって、初めて、そんな――炭火の ( ) けられた、茶の道具の並んだ盆や、名前も知らない非常にうまい菓子を食べ、お茶を飲み、ゆっとりとした、――気分を味わうことができたのであった。これは、監獄にはいって来て初めて「豚の肉」に、ありついた哀れな労働者と似てはいないだろうか?

 ――私は、読者に、断わって置かねばならないのは、以上のことによって、監獄がいいところだということには、ならないことを承知してもらいたい、監獄よりも悪い条件が、あるということは、監獄が、いいということの、一つの条件にもなり得ないからだ。――

 ボーイ長は、その注意を足や胸から、しばらくの間は、引き離すことも、できるようになった。彼は、つまり、いくらかほかのことも、考えることができるようになった。というのは、手術をしたり、薬の香をかいだりしたのが、彼を、いたわったのだ。

 「船に乗ってるとこういうものは、とても食べられないね」などといって、彼は「 鹿 ( ) ( ) 」の 小豆 ( あずき ) を歯でかみとったりしていた。

 「全く、この家の菓子はうまいよ。横浜にだって、たんとありゃしないよ」波田は通がった。

 「菓子の鑑別にかけちゃ、波田君は、ブルジョア的の 嗜好 ( しこう ) を持ってるからなあ」藤原は笑った。

 三人は、胸の焼けるほど菓子を食った。その間に、疲労も回復された。そして、しばらくは、船のことや、一切のいやなことを、忘れてることもあった。が、藤原の心は、ストライクが、いつ起こさるべきであるかが、ほとんど、忘れられなかった。

 彼は、菓子を食いながら――「万人が、パンを獲るまでは、だれもが、菓子を持ってはならぬ」というモットーを思っていた。この言葉、このモットーは、どのくらい、藤原を教育したことであろう。この簡単でわかりのいいモットーは、全世界の、労働者たちの間に、どんなに、親しい響きをもって、口から口へ、村から ( まち ) へと、またたく間に、広がって行くことだろう。そして、この言葉は「アーメン」を口にする人の数を、今でははるかに、抜いているのだ。そこには、新しい感激に燃える真理が、 炬火 ( たいまつ ) のごとくに、 ( ひか ) っているのだ。――

 藤原は、勘定を払った。「済まないなあ、僕が、おれいにおごるつもりだったのに」とボーイ長は、藤原に ( おぶ ) さりながら、真から恐縮して言った。

 ボーイ長のまっ白の 繃帯 ( ほうたい ) は、それでも血がにじんで来た。「 ( うみ ) が出るよりはいいね」と、ボーイ長は笑う元気が出た。

 しかし、本船に帰り着いた時は、彼らは、グッタリくたびれていた。ボーイ長は、そのひきずった足のために、再びその神経は、かき荒らされてしまった。それは、美しい夢から目ざめた、 牢獄 ( ろうごく ) 内の囚人の心に似ていた。

 一切は、また狭い、低い、騒々しい、不潔な、暗い、船室の生活へ帰った!