University of Virginia Library

一五

 水夫らは、ともの、三番のウインチに 二人 ( ふたり ) ついた。ボートデッキに二人、 ( おのおの ) のロープについた。そして波田は、サンパンに乗った。それをタラップまで回航するためであった。かわいそうなドンキーは、また機関室へはいって、蒸気をウインチへ送らねばならなかった。火夫も火口に待っていねばならなかった。

 綱は少しずつ繰り延べられた。それは板の上へおろされるのであるならば、サンパンにかかっている ( かぎ ) を、綱がゆるんだ時にはずしさえすれば、サンパンはそこに立派にすわっているのだが、それが波――ことにその夜のごとく、大きく鼓動している時――に向かっておろされる場合は、非常に困難であった。波の絶頂に上がった時に、一方の鉤だけをはずすならば次の瞬間には、そのサンパンは ( さけ ) のようにつるされているだろう。それが、波の最低部にまでおろされることは、不可能であった。鉤がはずれるであろう。もし鉤がはずれなければ、本船のどてっ腹へその頭か、またはひよわいその腹を ( ) っつけて、砕けてしまうだろう。

 ボートデッキで綱の操作をしている二人の水夫も、 伝馬 ( てんま ) の中にあって、しっかり、鉤のはずれないように握った、波田も字義どおりに「一生懸命」であった。波は、本船の船腹を ( へび ) の泳ぐように、最高と最低との差を三間ぐらいに、うねりくねっていた。

 今、伝馬は波の斜面に乗った。波田はともの ( かぎ ) をはずした。とその時に「スライキ、スライキ、レッコ」と怒鳴った。「延ばせ、延ばせ、打っちゃれ」という意味である。伝馬への本船からの ( へそ ) ( ) のごとき役を努めていた綱は今一方はずされ、どちらも延ばされた。波田はすぐに、船首の方の綱をも、うまくはずすことができた。そして、伝馬は、今や、本船と完全に独立した小舟になった。と同時に、伝馬は、すでに十間余りを押し流されていた。そしてそれは、盆の中で ( ) り分けられる 小豆 ( あずき ) のように、ころころした。

 波田は、 ( ) を入れた。船は、まっ黒い岩か何かのように、そこにどっしりしていた。そして、波の小舟は ( せわ ) しくころんだ。寂しい気持ちであった。彼は全身の力をこめて、 ( ) を押した。船のともを回ろうとした時、伝馬はなかなかその頭を、どちらへも振り向けようとしなかった。一目散に逃げて行く犬の子のように、むやみに風に流されようとして、波田に反抗した。けれども彼の総身の努力は、そのからだに一杯の汗となってにじみ出たように、伝馬の頭をようやく 風上 ( かざかみ ) に向けることができた。が、ともすればそれは横に吹き流されそうであった。

 彼が伝馬をタラップにつけた時は、そのからだじゅうは洗ったように汗になっていた。波を削る風はナイフのように鋭かったが、それが、快く彼の ( ほほ ) を吹いた。彼はすぐおもてへはいって汗をふいた。

 おもてへは、みな帰って、船長が帰ることについて、ものうさそうに、一言か二言ずつの批評を加えていた。

 三上と小倉とは、からだじゅうを 合羽 ( かっぱ ) でくるんですっかりしたくができていた。

 「オーイ、行くぞーっ」と、当番のコーターマスターがブリッジから怒鳴った。

 「ジャ頼みます。ご苦労様、願います」と残る者は 二人 ( ふたり ) にいいながら、タラップまで見送った。

 二人の船頭さんは、船長の私用のために、船長の二倍だけの冒険をしなければならなかった。

 船長はボーイに導かれてタラップ口へ出て来た。

 彼が何かを入れたり、出して見たりしていたトランクを、ボーイはさながら貴重品ででもあるかのように、もったいらしく持っていた。

 船長は、やきもちをやきながら、ローマの 凱旋 ( がいせん ) 将軍シーザーのごとくにサンパンに乗り移った。

 船長以外のすべての者は、鉛のように重い鈍い心に押えつけられた。伝馬の ( ともづな ) は解かれた。とすぐに、それは、流された。まっ暗な ( やみ ) の中に、小さなカンテラが一つボンヤリ見えた。そのそばから、小倉と三上との声で、エンヤヨイヤ、エンヤヨイヤ、と聞こえて来るのだった。

 水夫たちは、おもてへ帰った。そして船長を送り届けてサンパンの帰るまでは、眠ってもよいのであった。けれども、だれも黙って、ベンチへ並んで腰をおろして、 ( きつね ) につままれでもしたようにボンヤリしていた。

 過度労働のために、水夫たちは、無抵抗的に催眠されていた。そしてそこには死のような 倦怠 ( けんたい ) 以外に何もなかった。一切の望みを失った無期囚徒のように、習慣的であり、機械的であった。いわばへし折られた腕か何ぞのようにだらりとしていた。

 時々だれかの神経が少しさめると、そこにはその神経を待っていた多くの不快な刺激が、それをムズムズとくすぐるのだった。それは ( しらみ ) の食うような、または蚊がうるさく耳のそばで泣くような、そんなけちな、そのくせどうにもいやでたまらない、くだらない事柄ばかりが待ち構えているのだった。そして、この船室全体の構造と、彼らが一様に ( いだ ) かされる共通な基本的な感じとは、 倦怠 ( けんたい ) に虫ばまれ切った囚人が、やはり、ボンヤリ高い窓をみつめて、そのなれ切った倦怠と無感覚とを、鈍く感じてるのとよく似ていた。

 船員たちは、こんなことが「労働」だとは思っていなかった。彼らは、自分が寝るも起きるも賃銀労働者であることは知っていた。けれども、それを絶えず意識の中にしっかり、握り詰めているわけには行かなかった。ことにその労働場が船であったために、彼らは一軒の家に住んでいるように心得がちになるのであった。彼らは、えて、自分に課せられる不当な労働、支払われない労働を、ついうっかり、「つとめ」だと思い込んでしまうことが多かった。

 「一つ ( かま ) の飯を食ってるんだから」と水夫たちは思って、我慢しているのだった。そして、それは、とも

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の連中、メーツたちをして、最上、最強の ( むち ) にしてしまわせた。彼らはほかのどんな手段ででも、その「やせ馬」どもが、すねてがんばる時は、そのとっときの鞭を一つ食らわせれば、それで万事はいいのだった。

 そのうちに、 一人 ( ひとり ) ずつ、その寝箱の中へはまりに行った。どうしても、船長を送った伝馬は、二時半か三時、でなければ、早くても帰らないんだ。このしけでは、いつまでも帰らないかもしれないのだ。大体あまり、船長も家を恋しがりすぎるのだ!

 「あああ、人間がいやになったわい」と西沢は、一番奥の彼の巣からうなった。

 「どうだ、種馬になったら」と、波田が混ぜっかえして、そのまま、死のような 倦怠 ( けんたい ) へと、一切は吸い込まれてしまった。船長は、その家へ帰ったが、負傷にうめいているボーイ長は箱の中に、荷造りされたように寝ていた。