University of Virginia Library

  室蘭港 ( むろらんこう ) が奥深く

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入り込んだ、その太平洋への 湾口 ( わんこう ) に、 大黒島 ( だいこくとう ) ( せん ) をしている。雪は、北海道の全土をおおうて地面から、雲までの厚さで横に降りまくった。

 汽船| 万寿丸 ( まんじゅまる ) は、その腹の中へ三千トンの石炭を詰め込んで、風雪の中を横浜へと進んだ。船は今大黒島をかわろうとしている。その島のかなたには大きな ( なみ ) が打っている。万寿丸はデッキまで沈んだその船体を、太平洋の 怒濤 ( どとう ) の中へこわごわのぞけて見た。そして思い切って、乗り出したのであった。彼女がその臨月のからだで走れる限りの速力が、ブリッジからエンジンへ命じられた。

 冬期における北海航路の天候は、いつでも非常に険悪であった。安全な航海、愉快な航海は冬期においては北部海岸では不可能なことであった。

 万寿丸| 甲板部 ( かんぱんぶ ) の水夫たちは、デッキに打ち上げる、ダイナマイトのような威力を持った波浪の 飛沫 ( ひまつ ) と戦って、甲板を洗っていた。ホースの 尖端 ( せんたん ) からは、沸騰点に近い熱湯がほとばしり出たが、それがデッキを五尺流れるうちには凍るのであった。五人の水夫は熱湯の凍らぬうちに、その 渾身 ( こんしん ) の精力を集めて、石炭塊を掃きやった。

 万寿丸は右手に北海道の山や、高原をながめて走った。雪は船と陸とをヴェールをもってさえぎった。悲壮な北海道の 吹雪 ( ふぶき ) は、マストに悲痛な叫びを上げさせた。

 生命のあらゆる危難の前に裸体となって、地下数千尺で掘られた石炭は、数万の炭坑労働者を踏み台にして地上に上がって来た。そして、今、海上では同じく生命の赤裸々な危険に、その全身を船体と共に暴露しつつある、船員の労働によって運送されるのであった。

  藤原六雄 ( ふじわらろくお ) は、ランプ 部屋 ( べや ) へはいって、ランプの 掃除 ( そうじ ) をしていた。彼は、今年二十八歳のひどくだまりやの、気むずかしやであった。そして、一体彼は何か仕事をしているのか、どうか疑わしいほど、労働がきらいな ( しょう ) のように見えた。彼の職務は倉庫番であった。

 ランプ部屋はブリッジに向かい合って、水夫室と火夫室の間に、みじめに、小さくこしらえられてあった。藤原はそこでランプのホヤをふきながら、水夫たちが、デッキを掃除しているのを見ていた。彼はこのごろボースンにも、一等運転士にも見込みが悪いことを知っていた。「ストキ(倉庫番)にもワシデッキの時には手伝ってもらわなきゃならん。一万トンも八千トンもある船とはちがうんだからな」と、いつか水夫たち全部がそろって飯を食ってる時にボースンにいわれたことがあった。

 「ふん、ストキとは倉庫番てことだ。倉庫番は倉庫の番さえしてりゃ、それで沢山だろう」と、彼は答えた。

 ――それ以来、どうも、おれは水夫たちの仲間からまでも受けがよくない――と、さびしそうに、ストキは考えた。