University of Virginia Library

     三四

 それは、ここに今書くべきことではないかもしれない。けれども、それは書いた方が都合がいい。船長とは一体何だ? それの答えの一部にはなるだろう。

 それは夏の終わり、秋の初めであった。時々暑い日があって、また、時々涼しすぎる夜があるような時であった。万寿丸は同じく 吉竹 ( よしたけ ) 船長――これはやっぱりこの船のブリッジへ ( ) びついたねじ ( くぎ ) 以外ではなかった――によって、 ( しぼ ) ることを監督されていた。そして 小樽 ( おたる ) から、直江津へ石炭を運んだ時の、出来事であった。

 本船が秋田の 酒田港 ( さかたこう ) 沖へかかった、午後の一時ごろであった。まるでだし抜けに滝にでも ( ) っつかったか、 氷嚢 ( ひょうのう ) でも ( ) ち破ったかと思われるような狂的な夕立にあった。その時、船首甲板には 天幕 ( ウォーニン ) が張ってあった。それが、その風にあおられて、今にも、デッキごとさらって行きそうにブリッジから見えた。船長はすっかりあわてた。そして、あれをすぐ取れと、命じた。その時、夕立前の暑さで、おもては皆裸で昼食後の眠りをとっていた。そこへ、コーターマスターが駆け込んで「ウォーニン」をとれと伝えた。

 波田、三上、藤原、西沢らは元気盛りではあるし、船長をそれほど「 ( おそ ) 」れてはいなかったので、 猿股 ( さるまた ) 一つで飛び出した。仙台と波田とは全裸で、飛び出した。それは 風呂 ( ふろ ) のない船においてのいい 行水 ( ぎょうずい ) であった。だが、風が猛烈なので、仕事はすこぶる危険であった。ウッカリするとウォーニンのあおりを食って、海へ飛んで行かねばならなかった。それにしても、若い水夫らにとっては、それは、全裸であばれ回ることが「痛快」なことであった。彼らはしまいには、少々寒くなりながらも、裸でその作業をなし終えた。ところが、妙な船長だ! ボースンが裸ですぐ飛んで出なかったというので、ひどくボースンをしかったのだ!

 全くこれは予想外の悪い結果を水夫たちはもたらしたものだ。水夫たちでは、漁船じゃあるまいし、全裸で「船長」の見て「いられる」前で作業することは無礼だと、船長は考えるだろう。だが、ウォーニンを取りはずすことは、また急いでいるんだろう。だから、こういう時を利用して、やつの鼻先におれらの×を拝ませてやれというつもりだったのだ。

 ところがその晩ボースンは船長から「ねじ」のぐらつくほど「油をしぼられた」のであった。「そんなふうでは非常の時に役に立たない、かえって邪魔になるくらいなもんだ」というんだ。

 それにはボースンはひどくしょげた。水夫たちも、方角違いの飛ばっちりに、いささか、恐縮したのだった。

 だがそれは、問題にならずに、直江津に着いた。直江津の初秋! それは全く、日本海特有のさびしい 景色 ( けしき ) であった。さらでだに、人恋しい船のりは、寂しい人なつっこい自然の情景の前で、滅多に来る事のない直江津の陸をながめて恋い慕った。

 ところが困ったことには直江津の海はきわめて遠浅であって、おまけに少し風が吹くと、そこはのべったらな曲線をなした海岸であるために、汽船は ( いかり ) を巻いて、大急ぎで 佐渡 ( さど ) へと逃げねばならないのであった。

 佐渡へ避難する! それもまたセーラーたちには結構であった。そこにも、珍しい ( まち ) 、珍しい風俗があるのだ。

 万寿丸は別に錨を巻いて逃げるほどのことはないが、石炭積み取りの 艀船 ( はしけ ) は波で来られないという、はなはだじれったいあいまいな日が三、四日続いた。これには、船長はおろか、だれでも 癇癪 ( かんしゃく ) を起こした。

 そうかといって、わが万寿丸が、不良少年のように、ノコノコ佐渡までも女狂いには出かけられないのであった。

 ちょうど、その時日曜が来た。船長は直江津の 艀船 ( はしけ ) 腑甲斐 ( ふがい ) なさを、冷やかす意味において、水火夫全体へ向かって、当番を除いたほかの者は、ボートと 伝馬 ( てんま ) とをおろして、練習していいという、本船初まって以来の計画と壮挙とが発表された。そこで、伝馬にはデッキ、カッターにはエンジンということに振り当てられた。

 この計画が発表されると、同時に、ボースンと、今の大工、三上の三人は 逸早 ( いちはや ) く隠謀をたくらんでしまった。それは、伝馬を、どんどん ( ) いでって、上陸して直江津の女郎買いを「後学のため」にして、朝帰って来ようというのであった。そのためには、グズグズしてると不純な分子藤原のごとき、小倉、波田のごときが乗り込んで来ると、いけないというので、気脈相通ずる火夫長とナンブトー(ナンバーツーオイルマン)とを誘惑して、伝馬を占領してしまった。これは無邪気なおもしろい企てであった。この企ては必ず 喝采 ( かっさい ) を博すると、彼らは考えた。

 直江津の町は、沖から見ると、砂浜から、松がところどころに上半身を表わしていて、 ( まち ) はほとんど、その姿を見せないようなところであった。それは、隠されるとなお見たくなるという人心をはげしく刺激した。おまけに、だれかが直江津へ一度来たことがあるのであった。

 「ここの女郎は、皆亭主持ちなんだぜ! そして、みんな自分の家を持ってるんだぜ、自分の家へ連れていくんだぜ、 素人 ( しろうと ) みたいなのや、かと思うと 芸妓 ( げいぎ ) も及ばないようなのがいるんだぜ。そして、皆素人素人してるんだぜ。まるで自分の家へ帰ったようなものだぜ。日本一だ! 全くここの女郎買いを知らないやつは船のりたあいえないくらいなんだぜ」それは、恐ろしく皆の者を興奮させた。有夫の女郎、素人の女郎! 人に飢えた船のりはもう有頂天にされてしまったのであった。それはまるで 錦絵 ( にしきえ ) の情緒じゃないか。

 それは、全くおそろしいほど、彼らの好奇心をそそった。素人の 娼婦 ( しょうふ ) ! 一軒を持っている娼婦! それは全く独特のものであった。

 この興奮剤は、恐ろしい偉力を現わした。伝馬は直ちにおろされた。

 彼らは大騒ぎをしておろした。それは難なく、海面へおりた。そして、三上は、実際直江津の漁夫を笑うかのように、楽々とおもてへ ( ) ぎ寄せた。ボースン、ナンバン、ナンブトー、大工、という順序にロープを伝って乗り込んだ。

  ( ) が二| ( ちょう ) 立てられた。三上と大工とがそれを押した。

 波の山、波の谷を、見えつ隠れつして、それを漕いで行った。

 そして、そのまま、どこへ行ったか、見えなくなってしまった。カッターはそのあとでおろされた。そしてそれは、サードメーツ、チーフメーツまで乗り込んで、ほんとうに漕ぎ方の練習をやった。「伝馬は」といって、チーフメーツはカッターの上へ立って方々をながめたが、それは見えなかった。

 カッターは引き上げられた。そして日は暮れた。伝馬はもちろん帰って来なかった。伝馬の連中が、もし、船長を連れて行ってるならば、このような問題は起こらないのだったが、船長は船に残っていたのだ。

 船長は、たたき落とされた 熊蜂 ( くまばち ) の巣みたいに、かっとなって ( おこ ) った!

 自分の妻君の 姦通 ( かんつう ) をかぎつけた亭主のように、その晩船長は一睡もしなかった。そして、そのおかげで、ボーイも眠れなかった。というのは、船長は、のべつに、ベッドから飛び上がっては、「ボースンはまだ帰らないか、帰ったらいつでもいいから、すぐにおれのところに連れて来い、わかったか」だの「伝馬はまだ見えないか」だのと、怒鳴り続け、ベルを鳴らし続けたからである。

 「まるで狂人病室だ! 看護人はたまらん」ボーイは背中をボリボリかきながらこぼした。

 全く船長にしてみれば、その誇りを傷つけられ、自分の優越感を裏切られ、自分の特権を 蹂躙 ( じゅうりん ) され、ことに彼さえもまだ遠慮していたのに、「女郎買い」に行ったことは、彼を「 愚弄 ( ぐろう ) 」することはなはだしいものであった。それは、昔ならば「罪まさに死」に相当すべきであった!

 彼は時々ベッドから、飛び上がっては、ボーイを怒鳴った。それは足へ煮えたぎった湯でもかかった時のように飛び上がるのだった。そして、彼は飛び上がるたびごとに、「きゃつら」に対する 復讐 ( ふくしゅう ) を一層残忍にしようと考えるのだった。

 ボースン、ナンバンらが「出し抜いて」直江津の、自分自身の家を一軒独立に構えている女郎買いに行ったことは、憤怒の余り、船長を発作的の熱病患者みたいにした。

 わずか、しかし、このくらいの事で、何のために、それほどまでに船長が、 ( おこ ) らねばならなかったか、それは、だれにもわからないのだ。それほどに憤慨しなければならない「理由」を、いまだに「発見ができない」とおもての者たちもいっているのだ。それは多分、「虫の居どころ」が悪かったのだろう。そして、虫の居どころが悪かったために次のような結果になってしまった。