University of Virginia Library

     三二

 相談の結果、病院が夜では都合が悪くはないかという動議のあったため、なるほど、それは昼の方がいいだろう。では 明日 ( あす ) 午前中に、行くことにして、ついでといっては済まないが、この事件の最初からの関係者として藤原君と、波田君とに、病院までついて行って、もらおうと言うことになった。金は五人の水夫と、四人の舵取りと、 一人 ( ひとり ) の大工とで二円ずつ出せば、二十円あるから、それで、もし必要ならば入院させて、「とも」で入費を持たないというようなことであったら、おもてで持とう。その代わり、とものやつらは覚悟をするがいいや、というようなことになった。

 安井は、そのきたない、暗い、寒い寝箱の中で、その傷の 疼痛 ( とうつう ) のために、時々顔をしかめながら、一生懸命にことの成り行きを聞いていた。そして、藤原のそれほどの努力にもかかわらず、また、明日に延びたと聞いて、彼は心持ち持ち上げていた、その頭をまたぐったりと落としてしまった。今夜は病院へ行けるという、彼にとっては唯一の ( よろこ ) びが消えてしまったのであった。彼は、今までと「同じ」一夜をまた、この船室で苦しみ通さなければならないということに、まっ黒い絶望を感じたのであった。

 しかし、何ともならなかった、事情は彼も聞いていた通りであった、「とも」の人間にとっては、彼は、その生命でも一顧の価値なきものだということが、念入りに繰りかえされて聞かされたに過ぎないのであった。そして、彼は、自分の生命がほとんど、生まれ落ちてから、一顧の価値だもなく、それはちょうど産みつけられた ( うじ ) が大きくなるように、大きくなったのである。いつでも、彼の生きていることは、ほかのだれかの生きていることと、そのパンの分配の時に、おそろしく窮屈な思いをしなかったことのなかった、彼の全生涯――わずか

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十八年ではあるが、その中の確かに十四、五年を占める――を、その傷の疼痛と共に、彼に手きびしく思い知らせた。

 「いっそ、産まれなければよかった」と思われるほど、あるいは事実において、その人間を餓死か、自殺かに導くような、「いっそ、死んでしまった方がましだ」と痛切に感ぜざるを得ないような状態が、なぜ存在するのか? そして、それは永久に存在しなければならないものか?

 一方には「腹がすかない」という「病気」のために、薬を飲む階級があり、一方には「飯が食えない」という「健康」のために死ぬ階級があるということは、地球が ( まる ) くできてることと同様に、何ともしようのないことであるか? それは時が、種を植えており、その種が ( ) えており、すでに実っているところもあるのだ。だが、 傍路 ( わきみち ) へはいってはならない。そんなことはあまりにわかり切ったことなのだ。それはやっぱり、飯の食えない、健康体の人たち、すなわち労働者たちが、命じられている仕事の一つなのだ。

 藤原は、ボーイ長の寝箱のそばに腰をおろして、 今日 ( きょう ) 顛末 ( てんまつ ) を話した。種々とその成り行きを述べて、こういった。

 「労働階級は、君の場合のように、ハッキリ現われた場合だけ、資本制生産のために、その生命の危難に面するということを ( さと ) るのだが、それは実はもうおそすぎてるんだ。賃銀労働者であることが、すでに生命を搾取されていることなんだ。だから、工場法にだって、生命を失った場合に、その生命に対する支払い額のミニマムが決めてあるじゃないか、それが、労働力、いいかえれば、人間の生命力の搾取に、その基礎を置いてなっているものであるならば、それが、どんな形において生命が消耗されようと、ブルジョアジーにとって、驚くべき理由がないだろう。君の生命は、君にとって永久に大切であるが、ブルジョアジーにとっては、君の生命が搾取されうる間だけ、役に立ちうるというだけなんだ! 産業予備軍は無数だ! 僕らは今、一切残らず、そういった境遇の下にあるんだ。そして、お互いにかみつき合おうとしている。ばかな話だ! 僕らは、生きる道を採るのだ。君の、今の直接の生きる道が医者にかかることにあるように、労働者階級は、階級としての、生命の道へまっしぐらに進むべき時なんだ!」

 それは、ボーイ長へ話してるというよりも、彼がひとり言をいってる、と言った方が正当であったくらいだった。

 波田、西沢、小倉などはまだ上陸をせずに、一緒に、彼の話を聞いていた。

 水夫では、波田、コーターマスターでは小倉が、今夜の当番であった。

 波田、小倉、西沢、藤原と、四人の中で、酒を飲む

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のは西沢だけであった、あとの三人は酒よりも甘いものであった。特に波田と来ては、前にもいったように、菓子のために「身を持ちくずす」ほどだったのだ。

 「みんなで、東洋軒へ行って、お茶でも飲みながら、話をしようか」と、藤原は、皆が自分を待っててくれたのが、――上陸を十分延ばすことが、どんなにつらいことかは、読者は船長の例で知っているはずだ――気の毒になって、皆を菓子屋へ誘った。

 「よかろう」波田は、懐中の三円――その月末には二割の利子で月給から天引きされるところの借金――をおさえながら叫んだ。

 皆はそろって出かけた。出がけに、波田は、ボーイ長に言った。

 「すぐ帰って来るよ。菓子を買って来るぜ、待ってたまえよ。そして、 明日 ( あす ) は、午前中に病院へ行くんだ! すぐ帰るからね」彼は三人のあとを追っかけて、桟橋へとタラップを、 ( さる ) のように伝って飛んで降りた。

 西沢たち三人はタラップを降り切ったところで彼を待っていた。

 それは寒い夜であった。水夫たちは不完全な防寒具で、皆震え上がっていた。オーバーを持っていたのは藤原と小倉とだけであった。彼らは、どこかの古着屋で、それを買ったのだ。藤原のは上着の大き過ぎるくらいに小さかったし、小倉のは米一斗袋に三升詰めたくらいにダブダブしていた。

 彼らは 馬蹄型 ( ばていがた

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) の海岸を一列に並んで、黙々として歩いた。歯が痛かった。風は ( ほほ ) ( とお ) して、歯の神経をひどく刺激するのであった。水夫たちは、彼らが貧乏であるために、必要以上に苦しまねばならないことを思っていた。

 「メリヤスの新しいシャツが一枚あれば」波田は「どのくらい暖かいだろうなあ」と思いながら油と ( あか ) とでガワガワになったズボンのポケットの中で、 拳固 ( げんこ ) を力一杯で握り固めたり、延ばしたりした。

 西沢はオーバーがない代わりに、スェーターを着込んでいた。それは、「買いかぶった」綿製の物であった。「随分商人はひどいことをしやがる」もっとも、彼はそれに一円二十銭を夜店で出したということは、あまり 吹聴 ( ふいちょう ) はしない方が賢いと思っていた。

 こうしてめいめいがはなはだしく貧弱な防寒具の ( もと ) に、はなはだしく寒い、寂しい、荒涼たる、一口にいえば、といっても、いいようのない、そうだ、それは「死」にいやでも応でも考えを押しつけねば置かない関係、すなわち、プロレタリア対寒冷! の、本能的の寂しさの中を、四人は、港の ( まち ) のさびしい通りの、明るい二階で暖かいお茶と、お菓子とが待ってることを思って急いで行くのであった。

 左側は、駅から 迂回 ( うかい ) して来た鉄路のある山腹の切断面、それから高架線、それらが万寿のかかってる方へ並行していた。積まれた石炭の上には雪がすっかり塗り上げをしていた。ところどころに、 人足 ( にんそく ) の茶飲み所兼監督の詰め所の交番ようのものが「置い」てあった。

 彼らは、石炭と海との 親不知 ( おやしらず ) 、石炭と石炭との山の 谿間 ( たにま ) を通って、 夕張 ( ゆうばり ) 炭山へ続いている鉄道線路を越して、室蘭の市街へ出た。その ( まち ) は、昼も夜のように寂しい感じのする街であった。方角を忘れてしまったが、室蘭製鋼所のある反対側、桟橋を上がって右の方へ大通りをさびしく歩いて行くと、道が、上中下三段ぐらいに別れて、山の側面へ ( おのおの ) の家の並びを持って並行についている。その中段の通りへ、東洋軒という、この町で見つけた初めビックリしたほど、立派な「文化的」な構えと「文化的」な菓子を売っている店があった。ガラス製の立派な箱が十五、六、その広い ( みせ ) に並べてあって、その中には、外国人がクリスマスに食べるようなパイや、その他種々な生菓子が並べてあると、一方の ( たな ) の中には、 栗饅頭 ( くりまんじゅう ) や、金つばや、 鹿 ( ) ( ) などという東京風の蒸し菓子が陳列してあった。その店の間から ( くつ ) を脱いで、階段をのぼると、二階二間がホールになっていた、はいって左側のは、大テーブルが一つと 椅子 ( いす ) がいくつか置いてあった。右の室は日本室で六畳であった。

 セーラーたちは、テーブルの方の室へ、油だらけな同勢を押し込んだ。けれども東洋軒は驚かなかったというのは、波田は、いつもその格好で来て、必ず二円ぐらいは食って行くからであった。

 テーブルには白い布がかけてあった。それを力をいれて指でこすると、黒くなるのであった。どんなに手に 石鹸 ( せっけん ) をつけて軽石でみがいたあとでも! 彼らはそれで用心をした。金つばと、栗饅頭とを小僧さんがお茶と一緒に持って来てくれた。

 彼らは、まるで 飢饉 ( ききん ) 地方の住民のように、飛びついて、食べた。ことにその中でも、波田は仲間からさえ驚嘆されるのであった。しかし、彼らがそのものを要求するのは、囚人が甘いものを宝玉よりも数十倍も数千倍も、比較にならぬほど望み、ほしがるのと同じことだ。

 何かを人間から、奪うならば、たちまち奪われたものが、奪われたものにとっては一番切実な要求となり、願望となるのであろう。光線を奪えば光線、空気を奪えば空気を、活動、音声、 嗜好品 ( しこうひん ) 、それらは、それが奪われるまでは第二義的であっても、奪われると同時に、それは一切第一義的な欲望に変わるのだ。自由を奪われたものは自由を生命より尊いと思うようになるものだ。

 菓子には、銀色の小さなフォークが 楊枝 ( ようじ ) 代わりについていた。紅茶のコップは銀のスプーンがついていた。彼らは、これらの器物を ( よご ) さないように、気にしながら、たちまちのうちに第一の ( さら ) をあけて、第二番目が注文された。