University of Virginia Library

     四六

 その航海は異様な航海だった。水夫たちは人間として、取り扱われ初めたように見えた。命令を発するところのメーツらは、彼らが単に、作業の分担的任務から、行動するように命令した。そして、その内容も 整頓 ( せいとん ) され、そのために同一の効果に対して、水夫たちは以前の三分の二の労働と時間とで済むくらいになった。

 船長にしろ、ほかのどのメーツにしろ、今では「ゴロツキ」の下級船員たちが、ただもう「みじめに働いている」と言うことだけに、その興味を持たなくなったように見えた。下級船員たちが、「人間」らしくあるということが、今では、彼らの権威を傷つけるという、その 妄想 ( もうそう ) から彼らは、解放されたように見えた。

 どことなしに、いや、それどころではない、はっきりと彼らは、あまりに現金すぎるほどに、水夫たちはおろか火夫たちにまでも遠慮していた。

 それは、内実を知らない人々から見ると、平和であった。そして万事が控え目であった。「謙譲なるメーツらよ!」と知らない人は、それが労働者であっても、ほめたであろうほど、静かであった。従って、船員たちも「ゴロツキ」ではなかった。

 彼らも、彼らが人間らしく振る舞い得、また、そうすることを、禁じられさえしなければ、彼らは立派に――人間らしく振る舞った。

 水夫らは、自分らに ( むく ) いられる、労銀は何であるか? ある者は知り、多くは知らなかった。ただ彼らは、彼らの生活がはなはだしく脅かされる時だけ、 仲間 ( ちゅうげん ) のような彼らの忠実さから、彼らは、自身に立ちかえるのであった。そして、彼らは、それに成功することもあったが、多く失敗した。ことに決定的な立場から言えば、彼らは、まだ、要求してもいないのに、たたきつぶされたのであった。彼らは、三上のように、あるいは、波田のように、あるいは小倉のように、西沢のように、自分をだんだん強く羽がいじめにする、労働条件から免れようとして、個人的に行動した。

 彼らの行動はまるで相反するようにも見えた。そのことについて彼ら同志の間にけんかさえも起こった。だがそうしたのは、彼らの上に重っ苦しくおおいかぶさった「苦役」と、「困窮」とであった。それをあやつっている資本制の糸であった。彼らは、自分たちのやっていたことと、藤原のやっていたこととがまるっ切り違ったことであって、そのくせ一つものを目あてにしていたのだと言うことをさとった。彼らはものにはやり方があると言うことを教わった。

 これまでは彼らは「一つ ( かま ) の飯を食う」仲間の関係であった。だが今では、それ以外に「労働者としての階級」に属する同志だという感情がつけ加えられた。それは彼らの間を妙に強く ( くく ) りつけ、親密にしたようだった。

 「女郎買い」の友だちから「 牢獄 ( ろうごく ) まで」もの同志の関係に押し進められた。

 それは、藤原が説き ( すす ) めたためであっただろうか、あるいは彼が「 煽動 ( せんどう ) 」したものであっただろうか。だれか 一人 ( ひとり ) の力がそれほど多くの人を動かしただろうか、それは、もしそうであるとしたら、その多くの人は自分自身の意志に反してまでもそうなったのであろうか。それは暑い空気の中で人々があえぎ、寒い空気の中で人々がふるえるのと同じく、資本制経済の ( もと ) に労働者が一様に ( いだ ) いているところの、反抗の小爆発ではなかったか。

 私たちは、多くの労働争議が、唯物史観に基づいて行なわれ、唯物史観に基づいて罰せられることを知っている。

 この小さな物語も、その一つの定められたる軌道を ( ) で得ないことは、私の筆を、渋らせ、進み難くする。だが、それは、(以下八字不明)、***な勝利は得られるものでないという事実の前に忍従して、私は筆を進める!

 この航海は、 暴化 ( しけ ) の前の静けさであり、暴化のあとの寂しさであった。

 それは、そんなことのあとには普通のことであった。そしてその普通のことは、労働者階級にとっては悲しいことであり、つらいことであった。憤慨すべきことであった。が、資本家にとっては、まだ食い足りないことであり、手ぬるいことであり、歯がゆいことであったが、やや「愉快」なことでもあった。だが、それは何だ? 私はまたあまり先走りすぎた。それは横浜についてからのことだ!

 今度の航海――横浜入港は、どの船員の心にも大きな期待を持たれていた。そして出帆も四日ごろまでは早くてもかかるのだった。正月の一日はだれでも休むのだ。そして、彼らは一様に、――ちょうど炎天の下を強行軍する軍隊の兵士が一様に水を欲しているように、――陸上における、陸上であれば木賃宿でもいい、生活に飢えていたのだった。それに、そこは正月ではないか。そのために彼らの足は地についていなかった!

 本船は、立派に化粧して入港するのだ! 船は二、三日| 碇泊 ( ていはく ) するんだ。いくらかの月給のほかに、手当があるはずだ! あそこに行こう、ここに行こう、おれは東京まで行って来よう!  種々 ( いろいろ ) に彼らは考えていた。

 高い鉄の窓、あるいは高い赤い 煉瓦 ( れんが ) ( へい ) を越えて、囚人が社会の空を望む時に、彼らはそこに実際以上の自由があり幸福があるように考えると、ドストエーフスキーは言ったが、それは全くうまいことをいったものだ、それと同じく船のりたちも、陸には実際以上の 憧憬 ( どうけい ) を持った。彼らは、それが陸上でさえあればどんな幸福でもありうると、彼らが陸にいて苦しさのあまりかつては、海へ逃げ出したことさえも忘れて思うのであった。あの時分と今とは変わってるだろうと、またあの時分はおれがまずかったんだと。彼らは、夜の入港のように、陸の醜悪な事実を一切| ( やみ ) のおおうにまかせて、その明るい、港の魅惑的な燈火にあこがれてしまうのであった。そのくせ彼らは、どの上陸の際でも陸上の生活が、彼らと非常に縁遠いものだということを感じさされた。それはちょうど、陸上のすべての事物や人が、彼を突っ放すのだと感ぜずにはいられないのだった。

 それは左ねじの電球が、右ねじのソケットにはまらないのと同じく、彼らを専門的にし、不具的にしたのだ。

 万寿丸は一晩港外に仮泊しないでも済むように順序よく、進んだ。 尻屋 ( しりや ) の燈台、 金華山 ( きんかざん ) の燈台、 釜石 ( かまいし ) 沖、 犬吠 ( いぬぼう ) 沖、 勝浦 ( かつうら ) 沖、 観音崎 ( かんのんざき ) 浦賀 ( うらが ) 、と通って来た。そして今| 本牧 ( ほんもく ) 沖を静かに 左舷 ( さげん ) にながめて進んだ。

 水夫たちはフォックスルにスタンバイしていた。雪もよいの風は鋭く ( ほほ ) を削った。その針はどんな防寒具でも通すのだから、水夫らの仕事着などは、 蚊帳 ( かや ) のようであった。彼らは、雨も雪も降らないのに、 合羽 ( かっぱ ) を着ていた、それは寒さをも防ぐし、軽くもあるのだ。そして 飛沫 ( ひまつ ) をも ( ) けることができるのだ。

 十二月三十一日、午前九時――全く、うまく行ったものだ――万寿丸は横浜港内深くはいって、ほとんど 神奈川 ( かながわ ) 沖近くへ 投錨 ( とうびょう ) した。

 本船が港内にはいるや、すぐに会社からのランチが、本船のまわりを水ぐものようにグルグル回りながらついて来た。

 それは十二月三十一日であった。 大晦日 ( おおみそか ) であった。それは、いかなる労働も休んでいるはずであった。けれども、その当時は戦争が、ヨーロッパにおいて行なわれていた。そのために、狂的な経済的好況が、日本のブルジョア階級を、踊り ( たけ ) でも、食った人のように、夢中に止め度もなく踊り狂わせた。そして、その有頂天な踊りと、そのための労働者へ対しての節欲とが、その大晦日に、仲仕をして石炭荷揚げをなさしめた。すなわち、万寿丸には、仲仕が、ランチにひかれた ( はしけ ) の中に満載されて送りつけられた。仲仕――権三といわれていた――は、特別の賃銀を支払われると言う約束で、 明日 ( あす ) のお 屠蘇 ( とそ ) の余分の一杯をあてにしてやって来たのだ。

 人足の ( はしけ ) は本船へつけられた。ロープを伝って ( さる ) のように駆け上がる。彼らは、ただ競争するのだ。そのために得るところは彼らを駆って過度労働に追い込み、資本家をしてより一層その財布を重くせしめるだけのことだ。だが、彼らはわれ先にと飛び上がる!

 万寿丸は荷役を初めそうに見えた。ウインチは仲仕らにかかってはむやみに手荒く取り扱われる。バルブ明けっ放しで、ハンドル一つのゴーヘーゴースターンだ。

 私はこんなふうに書いていたら、切りがないだろうということに気がついた。私はまだ船長と三上とが、室蘭で同じ女郎を買い当てて兄弟になったということも、書くつもりでいた。が、そんなことは別に不思議なことでも珍しいことでもない。やめてしまおう。

 ランチから、会社員が船長室へはいって行った。そこで、彼らはコーヒーを飲みながら、なにか話した。

 船長は、水夫らの「不都合なる行為」について厳罰を与えようと、室蘭においてすでに決心していた。で、彼は会社から来た社員に対して、簡単に「水夫たちがいかに不当な要求を、横着な態度でした」かを話した。だから、彼ら、水夫ら全部を下船させると同時に、引っ縛ってやる必要がある。「ついでに三上の 伝馬 ( てんま ) 事件も告発するつもりである」ことを、彼は告げた。だから、「会社へ帰ったら、秘書課長へその由を伝えて置いてもらいたい」と言うのであった。

 一方チーフメーツは 投錨 ( とうびょう ) と共に、通い船に乗って水上署へおもむいた。そして、そこで室蘭であった一部始終を話した。――彼はボーイ長のことは話すのを忘れた――それはきっと藤原の 煽動 ( せんどう ) だ。ことに波田はメスを抜いてわれわれを脅迫した。彼らはきっと暴行に訴えてもその実行を迫るだろうから、本船へ出張の上保護を加えてもらいたいと願い出た。

 水上署のランチは、チーフメーツと共に、屈強なる巡査五、六名を載せて、威勢よく出動した。

 ランチは万寿丸のタラップについた。チーフメーツは警官たちをサロンに案内した。そこで、巡査諸君は、りんごと、菓子と、コーヒーとの「前で」しばらく待たなければならなかった。

 水夫たちは、ウインチに油をさしたり、種々な道具類を片づけたりしていた。そして彼らは、「その夜は、 明日 ( あす ) の朝まで、つまり正月の朝まで帰らないでいい上陸ができる」と考えて、愉快な気持ちになって働いていた。確かに、彼らは、当分、船に帰らないでもいい上陸によって、待ち受けられていたのだ。

 船長は、今は、前航海の、夜中におけるサンパンの中の船長でも、出船前の室蘭における彼でもなかった。彼は今は暴力的であり得た。最も露骨なタイラントだった。

 船長の命を受けたとものボーイは、おもてへ来た。そして、ボースンに言った。

 「ボースン、荷物を片づけて、下船の用意をして、ボースンと、藤原と、波田と、西沢と、小倉と、宇野と、サロンまで来いと、船長がいったよ。それからね、オイ」彼は今度は彼自身の部分の話に移った。「水上署の巡査が十五、六人サロンへ来て待ってるぜ、きっと波田があばれると思って連れて来たんだぜ。すこしあばれた方がいいんだ全く。皆にそういってくれよ、いいかい」彼は、ともへと帰って行った。

 そのことは、もう皆に特に通知するまでもなかった。とものボーイが来れば、何かの命令だということはわかるので、水夫たちはボースンの室の前で立って聞いていた。

 「まずかった!」藤原は感じた。「しかし、これほど徹底的だとは思わなかった。これじゃまるで船はカラッポだ! だが!」彼はじっと我慢した。彼にはもう彼が歩いて行く道筋がハッキリわかっていた。それは白くかわいた ( ほこり ) っぽい道である。 沙漠 ( さばく ) のように、人類を飢餓と渇とに追いやるところの道であった。

 波田もさとった。おれたちは「それでは行くんだな」と思った。「おれたちの行く道は、右は餓死だ、左は 牢獄 ( ろうごく ) だ」彼は吐き出すようにいった。