7. 其七
木彫の羅漢のやうに默々と坐りて、菩提樹の實の珠數繰りながら十兵衞が埓な
き述懷に耳を傾け居られし上人、十兵衞が頭を下ぐるを制しとゞめて。了解りました、
能く合點が行きました、あゝ殊勝な心掛を持つて居らるゝ、立派な考へを蓄へてゐら
るゝ、學徒どもの示しにも爲たいやうな、老衲も思はず涙のこぼれました、五十分一
の雛形とやらも是非見にまゐりませう、然し汝に感服したればとて、今直に五重塔の
工事を汝に任するはと、輕忽なことを老衲の獨斷で云ふ譯にもならねば、これだけは
明瞭とことわつて置きまする、いづれ頼むとも頼まぬとも其は表立つて老衲からでは
なく感應寺から沙汰を爲ませう、兎も角も幸ひ今日は閑暇のあれば汝が作つた雛形を
見たし、案内して是より直に汝が家へ老衲を連れて行ては呉れぬかと、毫も邊幅を飾
らぬ人の義理明かに言葉澁滯なく云ひたまへば、十兵衞滿面に笑を含みつゝ米舂くご
とく無暗に頭を下げて、唯、唯、唯と答へ居りしが。願ひを
御取上げ下されましたか、あゝ有難うござりまする、野生の宅へ御來臨下さりまする
と、あゝ勿體ない、雛形は直野生めが持つてまゐりまする、御免下されと云ひさま、
流石ののつそりも喜悦に狂して平素には似ず、大袈裟に一つぽつくりと禮をばするや
否や、飛石に蹴躓きながら駈け出して我家に歸り、歸つたと一言女房にも云はず、い
きなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感應寺へと持ち込み、上人が
前にさし置きて歸りける。上人これを熟視たまふに、初重より五重までの配合、屋根
庇廂の勾配、腰の高さ、椽木の割賦、九輪請花露盤寶珠の體裁まで何處に可厭なると
ころもなく、水際立つたる細工ぶり、此が彼不器用らしき男の手にて出來たるものか
と疑はるゝほど巧緻なれば、獨り私に歎じたまひて、箇程の技倆を有ちながら空しく
埋もれ名を發せず世を經るものもある事か、傍眼にさへも氣の毒なるを當人の身とな
りては如何に口惜きことならむ、あはれ如是ものに成るべきならば功名を得させて、
多年抱ける心願に負かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より因縁假和
合、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、假令ば木匠の道は小な
るにせよ其に一心の誠を委ね、生命を懸けて慾も大概は忘れ、
卑劣き念も起さず、唯々鑿をもつては能く穿らむことを思ひ、鉋を持つては好く削ら
むことを思ふ心の尊きは金にも銀にも比へ難きを、僅に殘す便宜も無くて、徒らに北
ばうの上に沒め冥途の苞と齎し去らしめむこと思へば憫然至極なり、良馬主を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異ることなし、よし/\我圖らずも十兵衞が胸に懷ける無價の寶珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度の工事を彼に命け、せめては少しの報酬をば彼が誠實の心に得させむと思はれけるが、不圖思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂庫裡客殿作らせし因みもあり、然も設計豫算まで既做し出して我眼に入れしも四五日前なり、手腕は彼とて鈍きにあらず、人の信用は遙に十兵衞に超たり、一ツの工事に二人の番匠、此にも爲せたし彼にも爲せたし那箇にせむと上人も流石これには迷はれける。