University of Virginia Library

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其三十五

35. 其三十五

 去る日の暴風雨は我等生れてから以來第一の騒なりしと、常は何事に逢うても 二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大袈裟に新しきを譯も無く云ひ消す 氣質の老人さへ、眞底我折つて噂仕合へば、まして天變地異をおもしろづくで話語の 種子にするやうの剽輕な若い人は分別も無く、後腹の疾まぬを幸ひ何處の火の見が壞 れたり彼處の二階が吹き飛ばされたりと他の憂ひ災難を我が茶受けとし、醜態を見よ馬鹿慾から芝居の金主して何某め痛い目に逢うたるなるべし、さても笑止彼小屋の潰れ方わよ、又日頃より小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、御神樂だけの事はありしも氣味よし、それよりは江戸で一二といはるゝ大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、實は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲、受負師の手品、そこにはそこの有りし由、察するに本堂の彼太い柱も桶でがな有つたらうなんどと樣々の沙汰に及びけるが、いづれも感應寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を卷きて讚歎し。いや彼塔を作つた十兵衞といふは何とえらいものではござらぬ歟、彼塔倒れたら生きては居ぬ覺悟であつたさうな、すでの事に鑿銜んで十六間眞逆しまに飛ぶところ、欄干を斯う踏み、風雨を睨んで彼程の大揉の中に泰然と構へて居たといふが、其一念でも破壞るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであらう歟、甚五郎このかたの名人ぢや眞の棟梁ぢや、淺草のも芝のもそれ%\損じのあつたに一寸一分歪みもせず退りもせぬとは能う造つた事の。いやそれについて話のある、其十兵衞といふ男の親分がまた滅法えらいもので、若しも些なり破壞れでもしたら、同職の恥辱知合の面汚し汝はそれでも生きて居られうかと到底再度鐵槌も手斧も握る事の出來ぬほど引叱つて武士で云はば詰腹同樣の目に逢はせうとぐる/\/\/\大雨を浴びながら塔の周圍を巡つて居たさうな。いやいや、それは間違ひ、親分では無い商賣上敵ぢやさうな。と我知り顏に語り傳へぬ。

 暴風雨のために準備狂ひし落成式もいよ/\濟みし日、上人わざ/\源太を呼 び玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて雛僧に持たせられし御筆に墨汁したゝか 含ませ。我此塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よと宣ひつつ、江都の住人 十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、滿面に笑を湛へ て振り顧り玉へば、兩人ともに言葉なく、たゞ平伏して拜謝みけるが、それより寶塔 長へに天に聳えて、西より瞻れば或時飛椽素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を 呑んで、百有餘年の今になるまで、譚は活きて遺りける。