26. 其二十六
源太居るかと這入り來る鋭次を、お吉立ち上つて。おゝ親分さま、まあ/\此
方へと誘へば、ずつと通つて火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるゝ櫻湯を
半分ばかり飮み干してお吉の顏を視。面色が惡いが何樣かした歟、源太は何處ぞへ行
つたの歟、定めし既聽たであらうが清吉めが詰らぬ事を仕出來しての、それ故一寸話
があつて來たが、むゝ左樣か、既十兵衞がところへ行つたと、ハヽヽ、敏捷い/\、流石に源太だわ、我の思案より先に身體が疾に動いて居るなぞは頼母しい、なあにお吉心配することは無い十兵衞と御上人樣に源太が謝罪をしてな、自分の示しが足らなかつたで手下の奴が飛だ心得違ひを仕ました、幾重にも勘辨して下されと三ツ四ツ頭を下げれば濟んで仕舞ふ事だわ、案じ過しはいらぬもの、其でも先方が愚圖愚圖いへば正面に源太が喧嘩を買つて破烈の始末をつければ可いさ、薄々聽いた噂では十兵衞も耳朶の一ツや半分きり奪られても恨まれぬ筈、隨分清吉の輕躁行爲も一寸をかしな可い洒落か知れぬ、ハヽヽ、然し憫然に我の拳固を大分食つて吽々苦しがつて居るばかりか、十兵衞を殺した後は何樣始末が着くと我に云はれて漸く悟つたかして、噫惡かつた逸り過ぎた、間違つた事をした親方に頭を下げさせるやうな事をした歟噫濟まないと自分の身體の痛いのより後悔にぼろ/\涙を飜して居る愍然さは、何と可愛い奴では無い歟、喃お吉、源太は酷く清吉を叱つて叱つて十兵衞が所へ謝罪に行けとまで云ふか知らぬが其は表向の義理なりや是非は無いが、此處は汝の儲け役彼奴を何かなあそれ、よしか、其處は源太を抱寢するほどのお吉樣に了らぬことは無い寸法か、アハヽヽヽ、源太が居ないで話も要らぬ、どれ歸らうかい御馳走は預けて置かう、用があつたら何日でもお出とぼつぼつ語つて歸りし後、思へば濟まぬことばかり、女の淺き心から分別も無く清吉に毒づきしが、逸りきつたる若き男の間違仕出して可憫や清吉は自己の世を狹め、わが身は大切の所天をまで憎うてならぬのつそりに謝罪らするやうなり行きしは、時の拍子の出來事ながら畢竟は我が口より出し過失、兎せむ角せむ何とすべきと火鉢の縁に凭する肘のついがつくりと滑るまで我を忘れて思案に思案凝らせしが思ひ定めて應左樣ぢやと、立つて箪笥の大抽匣明けて麝香の氣と共に投げ出し取り出すたしなみの帶はそもそも此家へ來し嬉し恥かし恐ろしの其時締めし、えゝそれよ、懇話つて買つて貰うたる博多に繻子に未練も無し、三枚重ねに忍ばるゝ往時は罪の無い夢なり今は苦勞の山繭縞、ひらりと飛ばす飛八丈此頃好みし毛萬筋、千筋百筋氣は亂るとも夫おもふは唯一筋、唯一筋の唐七絲帶はお屋敷奉公せし叔母が記念と大事に秘藏たれど何か厭はむ手放すを、と何やら彼やら有たけ出して婢に包ませ夫の歸らぬ其中と櫛笄も手ばしこく小箱に纏めて、さて其品を無殘や餘所の藏に籠らせ、幾干かの金懷中に、淺黄の頭巾小提灯、闇夜も恐れず鋭次が家に。