14. 其十四
人情の花も失さず義理の幹も確然立てて、普通のものには出來ざるべき親切の
相談を一方ならぬ實意の有ればこそ源太の懸けて呉れしに、如何に伐つて抛げ出した
やうな性質が爲する返答なればとて、十兵衞厭でござりまするとは餘りなる挨拶、他
の情愛の全で了らぬ土人形でも斯は云ふまじきを、さりとて
は恨めしいほど沒義道な、口惜いほど無分別な、如何すれば其樣に無茶なる夫の料簡
と、お浪は呆れもし驚きもし、我身の急に絞木にかけて絞らるゝ如き心地のして、思
はず知らず夫にすり寄り。それはまあ何といふこと、親方樣が彼程に彼方此方のため
を計つて、見るかげもない此方連、云はゞ一ト足に蹴落して御仕舞ひなさるゝことも
爲さらば成る此方連に、大抵ではない御情をかけて下され、御自分一人で爲さりたい
仕事をも、分與て遣らう半口乘せて呉れうと、身に浸みるほどありがたい御親切の御
相談、しかも御招喚にでもなつてでのことか、座蒲團さへあげることの成らぬ此樣な
ところへ態々御來臨になつての御話、それを無にして勿體ない、十兵衞厭でござりま
するとは冥利の盡きた我儘勝手、親方樣の御親切の分らぬ筈は無からうに、胴慾なも
無遠慮なも大方程度のあつたもの、これ此妾の今着て居るのも去年の冬の取り付きに
袷姿の寒げなを氣の毒がられてお吉樣の縫直して着よと下されたのとは汝の眼には映
らぬか、一方ならぬ御恩を受けて居ながら親方樣の對岸へ廻るさへあるにそれを小癪
なとも恩知らずなとも仰やらず、何處までも弱いものを愛護うて下さる御慈仁深い御分別にも頼り縋らいで、一概に厭ぢやとは假令ば眞底から
厭にせよ記憶のある人間の口から出せた言葉でござりまするか、親方樣の手前お吉樣
の所思をも能く篤りと考へて見て下され、妾はもはや是から先何の顏さげて厚ケ間敷
お吉樣の御眼にかゝることの成るものぞ、親方樣は御胸の廣うて、あゝ十兵衞夫婦は
譯の分らぬ愚者なりや是も非もないと其儘何とも思しめされず唯打捨て下さるか知ら
ねど、世間は汝を何と云はう、恩知らずめ義理知らずめ人情解せぬ畜生め、彼奴は犬
ぢや烏ぢやと萬人の指甲に彈かれものとなるは必定、犬や烏と身をなして仕事を爲た
とて何の功名、慾をかわくな齷齪するなと常々妾に諭された自分の言葉に對しても恥
かしうはおもはれぬか、何卒柔順に親方樣の御異見について下さりませ、天に聳ゆる
生雲塔は誰々二人で作つたと親方樣と諸共に肩を並べて世に稱はるれば汝の苦勞の甲
斐も立ち親方樣の有難い御芳志も知るゝ道理、妾も何の樣に嬉しかろか喜ばしかろか、
若し左樣なれば不足といふは藥にしたくも無い筈なるに、汝は天魔に魅られて其をま
だ/\不足ぢやとおもはるゝのか、嗚呼情無い、妾が云はずと知れてゐる汝自身の身
の程を、身の分際を忘れてかと泣聲になり掻口説く女房の頭は低く垂れて、髷にさゝれし縫針の孔が銜へし一條の絲ゆらゆらと振ふにも千々に碎くる心の態の知られていとど可憫しきに、眼を瞑ぎ居し十兵衞は、其時例の濁聲出し。
喧しいわお浪、默つて居よ、我の話の邪魔になる、親方樣聞て下され。