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 あなたにとってはどうでしょうか、ぼくにとって、あのオリムピアヘの旅は、一種青春の 酩酊 ( めいてい ) のごときものがありました。あの前後を通じて、ぼくはひどい神経 衰弱 ( すいじゃく ) にかかっていたような気がします。

 ぼくだけではなかったかも知れません。たとえば、すでに三十近かった、ぼく達のキャプテン整調の森さんでさえ、出発の二三日前、あるいかがわしい場処へ、デレゲェション・バッジを落してきたのです。

 モオラン(Morning-run)と称する、朝の 駆足 ( かけあし ) をやって帰ってくると、森さんが、合宿 ( わき ) の六地蔵の通りで背広を着て、 ( うつむ ) いたまま、何かを探していました。

 駆けているぼく達――といっても、 ( かじ ) の清さんに、七番の坂本さん、二番の ( とら ) さん、それに、ぼくといった 真面目 ( まじめ ) な四五人だけでしたが――をみると、森さんは、真っ先に、ぼくをよんで、「オイ、 大坂 ( ダイハン ) 、いっしょに探してくれ」と ( たの ) むのです。ぼくの姓は坂本ですが、七番の坂本さんと 間違 ( まちが ) ( やす ) いので、いつも 身体 ( からだ ) の大きいぼくは、 侮蔑 ( ぶべつ ) 的な意味も ( ふく ) めて、 大坂 ( ダイハン ) と呼ばれていました。

 そのとき、バッジを悪所に落した事情をきくと、日頃いじめられているだけに、 ( みんな ) が笑うと 一緒 ( いっしょ ) に、 ( ) き出したくなるのを、 我慢 ( がまん ) できなかったほど、 ( ) い気味だ、とおもいましたが、それから、 ( しばら ) くして、ぼくは、森さんより、もっとひどい失敗をやってしまったのです。

 出発の前々夜、合宿引上げの 酒宴 ( しゅえん ) が、おわると、皆は三々五々、芸者買いに出かけてしまい、残ったのは、また、舵の清さん、七番の坂本さん、それと、ぼくだけになってしまいました。ぼくも、遊びに行こうとは思っておりましたが、ともあれ東京に実家があるので、一度は荷物を置きに、帰らねばなりません。

 その夜は、いくら飲んでも、 ( ) いが ( まわ ) らず、 ( むな ) しい興奮と、練習 ( づか ) れからでしょう、頭はうつろ、 ( ひとみ ) はかすみ、 ( まぶた ) はおもく時々 痙攣 ( けいれん ) していました。なにしろ、それからの 享楽 ( きょうらく ) 妄想 ( もうそう ) して、 夢中 ( むちゅう ) で、合宿を引き上げる荷物も、いい加減に ( しば ) りおわると、清さんが、「坂本さん、今夜は、家だろうね」とからかうのに、「 勿論 ( もちろん ) ですよ」こう照れた返事をしたまま、自動車をよびに、戸外に出ました。

 そのとき学生服を着ていて、協会から、作って貰った、 ( そろ ) いの背広は始めて ( まと ) ( うれ ) しさもあり、その夜、遊びに出るまで、着ないつもりで手をとおさないまま、 蒲団 ( ふとん ) の間に、つつんでおいた、それが悪かったんです。はじめから、着ていればよかった。

 運転手と助手から、荷物を運び入れてもらったり、ぼくは、自動車の座席にふんぞりかえり、その夜の後の享楽ばかり思っていました。なにしろ、 二十 ( はたち ) のぼくが、 餞別 ( せんべつ ) だけで二百円ばかり、ポケットに入れていたんですから――。

 その ( ころ ) 、ぼくは、銀座のシャ・ノアルというカフェのN子という女給から、 誘惑 ( ゆうわく ) されていました。そして、それが、ぼくが好きだというより、ぼくの 童貞 ( どうてい ) だという点に、 迷信 ( めいしん ) じみた興味をもち、かつ、その色白で、瞳の ( すず ) しい 彼女 ( かのじょ ) が、先輩Kさんの愛人である、とも、きかされていました。その晩、それを思い出すと、腹がたってたまらず、よし、 ( おれ ) でも、大人 ( なみ ) の遊びをするぞと、 覚悟 ( かくご ) をきめていた訳です。が、さすがにこうやって働いている運転手さん達には、すまなく感じ、うちに着いてから、七十銭ぎめのところを一円やりました。

  ( うち ) に入ると、助手が運んでくれた荷物は、ぐちゃぐちゃに ( こわ ) れている。が、最初のぼくの荷造りが、いい加減だったのですから、気にもとめず、 玄関 ( げんかん ) へ入り、その荷物を置いたうしろから顔をだした、 ( しわ ) 雀斑 ( そばかす ) だらけの母に、「ほら、背広まで貰ったんだよ」と手を ( ) ッこんで、出してみせようとしたが 手触 ( てざわ ) りもありません。「おやッ」といぶかしく、運んでくれた助手に ( たず ) ねてみようと、表に出てみると、もう自動車は、白い ( けむ ) りが、かすかなほど ( はる ) かの角を曲るところでした。「 可笑 ( おか ) しいなア」とぼやきつつ、ふたたび玄関に入って、気づかう母に、「なんでもない。あるよ、あるよ」といいながら、包みの底の底までひっくり返してみましたが、ブレザァコオトはあっても、背広の ( かげ ) も形もありません。なにしろ明後日、出発のこととて、外出用のユニホォムである背広がなくなったらコオチャアや 監督 ( かんとく ) に合せる顔もない、金を出して作り直すにも日時がないとおもうと根が小心者のぼくのことである。もう、顔色まで変ったのでしょう。はや、キンキン声で、「お前はだらしがないからねエ」と ( しか ) りつける母には、「あア、合宿に忘れてきたんだ。もう一度帰ってくる。 大丈夫 ( だいじょうぶ ) だよ」といいおき、また通りに出ると車をとめ、合宿まで帰りました。

  艇庫 ( ていこ ) には、もう、 ( ) てしまった艇番 夫婦 ( ふうふ ) をのぞいては、 ( だれ ) 一人いなくなっています。二階にあがり、念の ( ため ) 押入 ( おしい ) れを ( さが ) してみましたが、もとより、あろう ( はず ) がありません。

 もう、 先程 ( さきほど ) までの、享楽を ( おも ) っての興奮はどこへやら、ただ 血眼 ( ちまなこ ) になってしまった、ぼくは、それでも、ひょッとしたら落ちてはいないかなアと、浅ましい 恰好 ( かっこう ) で、自動車の ( みち ) すじを、どこからどこまで、 ( ) うようにして探してみました。そのうち、ひょッとしたら、合宿の 戸棚 ( とだな ) のグリス ( かん ) の後ろになかったかなアと、 ( みぞ ) のなかをみつめている最中、ふとおもいつくと、 ( ) ぐまた合宿の二階に駆けあがって、戸棚をあけ、 鉄亜鈴 ( てつあれい ) や、エキスパンダアをどけてやはり鑵の背後にないのをみると、 否々 ( いやいや ) 、ひょッとしたら、あの 道端 ( みちばた ) 草叢 ( くさむら ) のかげかもしれないぞと、また 周章 ( あわて ) て、駆けおりてゆくのでした。

 捜せば、捜すだけ、なくなったということだけが、はっきりしてきます、頭のなかは、火が燃えているように熱く、空っぽでした。もう、 駄目 ( だめ ) だと ( あきら ) めかけているうち、ひょッとしたら、さっき家で、蒲団を全部、 ( ひろ ) げてみなかったんじゃなかったか、という 錯覚 ( さっかく ) が、ふいに起りました。そうなると、また一も二もありません。 一縷 ( いちる ) の望みだけをつないで、また車をつかまえると「 渋谷 ( しぶや ) 、七十銭」と前二回とも乗った値段をつけました。

 と、その眼のぎょろっとした運転手は「八十銭やって下さいよ」とうそぶきます。場所が場所だけに、学生の遊里帰りとでも、間違えたのでしょう、ひどく反感をもった態度でしたが、こちらは何しろ気が 顛倒 ( てんとう ) しています。言い値どおりに乗りました。

 ぼくは、車に ( ) られているうち、どうも、はじめの運転手に ( ) られたんだ、という気がしてきました。( 彼奴 ( あいつ ) に一円もやった。 泥棒 ( どろぼう ) に追銭とはこのことだ)と思えば 口惜 ( くや ) しくてならない。たまりかねて、「ねエ、運転手君。……」と背広がなくなったいきさつを全部、この 一癖 ( ひとくせ ) ありげな、運転手に話してきかせました。

 すると、彼は自信ありげな口調で、「そりやア、やられたにきまっているよ。こんな商売をしているのには、そんなのが多いからね」とうなずきます。ぼくは、「そうかねエ」と ( ) にもつかぬ 嘆声 ( たんせい ) を発したが、心はどうしよう、と口惜しく、張り ( ) けるばかりでした。が、その運転手は同情どころかい、といった 小面憎 ( こづらにく ) さで、黙りかえっています。

 それでいて、家につくと、彼は 突然 ( とつぜん ) 、ここは渋谷とはちがう、 恵比寿 ( えびす ) だから、十銭ましてくれ、ときりだしました。てッきり、 ( ) められたと思いましたから、こちらも 口汚 ( くちぎたな ) ( ののし ) りかえす。と、向うは 金梃 ( レバー ) をもち、 ( ドア ) をあけ、飛びだしてきました。「 喧嘩 ( けんか ) か。ハ、 面白 ( おもしろ ) いや」と ( さけ ) び、ええ、やるか、と、ぼくも 自棄 ( やけ ) だったのですが、もし血をみるに ( いた ) ればクルウの ( はじ ) 、母校の恥、おまけにオリムピック行は、どうなるんだと、思いかえし、「オイ、それじゃア、交番に行こう」と強く言いました。「行くとも! さア行こう」たけりたった相手は、ぼくの ( かた ) ( つか ) みます。振りきったぼくは、ええ 面倒 ( めんどう ) とばかり十銭 ( はら ) ってやりました。「ざまア見ろ」とか 棄台詞 ( すてぜりふ ) を残して車は行きました。ぼくは、前より余計しょんぼりとなって玄関の ( しきい ) をまたいだのです。

 気の強い母は、ぼくの顔をみるなり、 ( ) みつくように、「あったかえ」と訊ねました。ぼくは無言で、荷物のところへ行くと、蒲団はすでに ( たた ) んで、 風呂敷 ( ふろしき ) が、上に ( ) っています。どうしていいか分らなくなったぼくは、空の風呂敷をつまんで、振って、捨てると、ただ、母の 怒罵 ( どば ) をさける為と、万一を心頼みにして、「やっぱり合宿かなア。もう一度、捜してくらア」と留める母をふりきり、家を出ました。勝気な母も、やっぱり女です、兄が夜業でまだ帰りませんし、「困ったねエ」を連発していました。

 ぼくはまた、自動車で、渋谷から 向島 ( むこうじま ) まで行きました。熱が出たようにあつい額を押え、 ( いきどお ) りと ( ) いにギリギリしながら、艇庫につき、念を入れてもう一回、押入れなぞ改めてはみましたが夜も ( ) け、 人気 ( ひとけ ) のない二階はたださえ、がらんとして、いよいよ、もう駄目だ、という想いを強めるだけです。

 ぼくは二階の 廊下 ( ろうか ) を歩き、屋上の 露台 ( ろだい ) のほうへ登って行きました。眼の下には、 ( するど ) ( バウ ) をした 滑席艇 ( スライデングシェル ) がぎっしり横木につまっています。そのラッカア ( ) りの船腹が、 仄暗 ( ほのぐら ) い電燈に、丸味をおび、つやつやしく光っているのも、 ( みょう ) に心ぼそい感じで、ベランダに出ました。遥か、 浅草 ( あさくさ ) 装飾燈 ( そうしょくとう ) が赤く ( かがや ) いています。時折、 言問橋 ( ことといばし ) を自動車のヘッドライトが 明滅 ( めいめつ ) して、行き過ぎます。すでに一 ( そう ) の船もいない 隅田川 ( すみだがわ ) がくろく、 ( ふく ) らんで流れてゆく。チャップチャップ、船台を洗う波の音がきこえる、ぼくは 小説 ( ロマンス ) めいた気持でしょう、死にたくなりました。死んだ方が楽だと、感じたからです。

 大体が、文学少年であったぼくが、ただ、身体の大きいために選ばれて、ボオト生活、約一箇年、「昨日も、今日も、ただ水の上に、陽が ( ) れて行った」と日記に書く、気の弱いぼくが、それも一人だけの、 新人 ( フレッシュマン ) として、 ( たくま ) しい先輩達に ( ) し、 ( きた ) えられていたのですから、ぼくにとっては肉体的の苦痛も、ですが、それよりも、精神的なへばりのほうが我慢できなかった。

 ぼくは、ボオトのことばかりでなく、日常生活でも、することが一々 無態 ( ぶざま ) だというので、先輩達にずいぶん叱られた。叱られた上に馬鹿にされていました。ぼくみたいに、弱気な人間には、ひとから 侮辱 ( ぶじょく ) されて 抵抗 ( ていこう ) の手段がないと ( あきら ) め切る時ほど、悲しい事はありません。なにをいっても、 大坂 ( ダイハン ) ( おこ ) らない、と先輩達は感心していましたが、怒ったら、ボオトを ( ) めるよりほかに手段がない。また、そうしてボオトを止めるのは、ぼくのひそかに 傲慢 ( ごうまん ) 痩意地 ( やせいじ ) にとって、自殺にもひとしかった。

 それで、背広を失くした苦痛に、加えて、こうした先輩達の罵声が、どんなに 辛辣 ( しんらつ ) であろうかと、思っただけでもたまりません。 蔭口 ( かげぐち ) や皮肉をとばす、整調森さんの意地悪さ、面とむかって「ぶちまわすぞ」と ( おど ) かす五番松山さんの ( すさ ) まじさ、そうした予感が、 ( ) えがたいまでに、ちらつきます。またそうした先輩達の ( むち ) から、いつも ( かば ) ってくれるコオチャアやO・B達に対しても、ぼくの過失はなお済まない気がします。

  ( もだ ) え悶え、ぼくは 手摺 ( てすり ) によりかかりました。 其処 ( そこ ) は三階、下はコンクリイトの土間です。飛び降りれば、それでお ( しま ) い。思い切って、ぼくは、頭をまえに突き出しました。ちょうど手摺が ( こし ) の辺に、あたります。 ( はな ) れかかった足指には、力が 一杯 ( いっぱい ) 、入っています。「神様!」ぼくは泣いていたかもしれません。しかし、その 瞬間 ( しゅんかん ) 、ぼくが ( つば ) をすると、それは落ちてから 水溜 ( みずたま ) りでもあったのでしょう。ボチャンという、 ( かす ) かな音がしました。すると、ぼくには、不意と、なにか死ぬのが 莫迦々々 ( ばかばか ) しくなり、 ( こと ) に、死ぬまでの痛さが身に ( ) みておもわれ、いそいで、足をバタつかせ、圧迫されていた腸の ( あた ) りを、まえに ( もど ) しました。いま考えると、可笑しいのですが、そのときは満天の星、銀と輝く、美しい夜空のもとで、ほんとに困って死にたかった。

 そんな簡単に、自殺をしようと考えるのには、多分、 耽読 ( たんどく ) した小説の 悪影響 ( あくえいきょう ) もあったのでしょう。ぼくは冷たい風が ( かみ ) をなぶるのに、やッと気がつきかけたが、もうなんとしても、背広は出てこないという点に、考えがぶつかると、やはり死の容易さに、 ( ) かれてゆきます。ぼくは、なにか、ほかの方法で死にたいと、思いました。身投げは泳げるし、鉄道自殺は汚い、ああ、もう、と目茶苦茶な気持に駆りたてられ、合宿横にある交番に、さしかかると、「オイ」と 巡査 ( じゅんさ ) に呼び ( とが ) められました。それ ( まで ) は、これから、向島の待合に行って、芸者と遊んだ末、無理心中でもしようかという虫の良い 了見 ( りょうけん ) も起しかけていたのですが、ハッと冷水をかけられた気が ( いた ) しました。

 こんな夜 ( おそ ) く、学生がへんな 恰好 ( かっこう ) でうろついていたからでしょう。巡査は、ぼくの ( そば ) にきて、じっとみつめてから、なんだという顔になり、「ああ君はWの人じゃないか」といい、大学の艇庫ばかり並んでいる ( ところ ) ですから、ボオト選手の日頃の行状を知っていて、「いいねエ、君等は、飲みすぎですか」と笑いかけます。ぼくの ( あお ) ざめた顔を、酒の ( ゆえ ) とでも思ったのでしょう。照れ ( くさ ) くなったぼくは、折から来かかった円タクを呼びとめ、また、渋谷へと命じました。

 家に着いたぼくは、なにもいわず、ただ「ねかしてくれ」と頼んだそうですが、あまり顔色と眼付が変なのに、心配した母は、すぐ、叱りもせずに、 ( とこ ) をしいてくれました。翌朝、眼の覚めたときは、もう十時過ぎでしたろう。 ( まくら ) もとの 障子 ( しょうじ ) 一面に、 赫々 ( あかあか ) と陽がさしています。「ああ、気持よい」と手足をのばした 途端 ( とたん ) ( ふすま ) ごしに、 舵手 ( だしゅ ) の清さんと、母の声がします。ぼくの胸は、直ぐ、一杯に ( ふさ ) がりました。

 もう寝たふりをして置こうと、夜着をかぶり、 ( ) きたくもない話なので、耳を塞いでいると、そのうち、また ( ねむ ) ってしまったようです。あの頃は、よく眠りました。練習休みの日なぞ、家に帰って、食べるだけ食べると、あとは、丸一日、眠ったものです。それ程、心身共に、疲れ果てていたのでしょう。ところが、やがて、「やア、 坊主 ( ぼうず ) 、ねてるな」という兄の親しい笑い声と、同時に、夜着をひッぱがれました。二十歳にもなっているぼくを、坊主なぞ呼ぶのは、可笑しいのですが、早くから、父を失い、いちばん末ッ子であったぼくは、家族中で、いつでも ( ねこ ) 可愛 ( かわい ) がりに愛されていて、身体こそ、六尺、十九貫もありましたが、ベビイ・フェイスの、 ( ) だ、ほんとに子供でした。

 ぼくの蒲団をまくった兄は、母から事情をきいたとみえ、 叱言 ( こごと ) 一ついわず、「馬鹿、それ位のことでくよくよする ( やつ ) があるかい。さア、一緒に、洋服を作りに行ってやるから、起きろ、起きろ」とせかしたてるのです。ぼくは途端に、「ほんと」と飛び起きました。兄は会社関係から、日本毛織の販売所に、親しいひとがいて、特に、二日で間に合うように頼んでやる、というので、ぼくは 大慌 ( おおあわ ) てに、 支度 ( したく ) を始めました。

 あとになって、 ( わか ) ったのですが、この朝、老いた母は、六時頃に起きて、合宿まで行ってくれ、また合宿では、清さんがひとり、明方に帰って来ていて、母から話をきくと、一緒に、家まで様子を見にきてくれたとのことでした。清さんは、ぼくを落着くまで、静かにほって置いたほうが好いだろう。背広のことは、コオチャアや監督に、よく話をしておきます。災難だから、仕方がない。明朝、出発のときは、ブレザァコオトをきて 颯爽 ( さっそう ) と出て来るように言って下さい。なアに、学生服で、あちらに行ったって、 差支 ( さしつか ) えないでしょう、と言い置いてくれた ( よし ) 。兄は、その頃、すでに、共産党のシンパサイザァだったらしいのですから、ぼくや母の 杞憂 ( きゆう ) は、てんで茶化していたようでしたが、さすがに、一人の弟の 晴衣 ( はれぎ ) とて心配してくれたとみえます。母といい、兄といい肉親の愛情のまえでは、ひとことの文句も言えません。

 服は 仮縫 ( かりぬ ) いなしに、ユニホォムと同色同型のものを、 出帆 ( しゅっぱん ) の時刻までに、間に合してくれることになりましたが、やはり出来てきたのは少し違うので、ぼくはこの為、旅行中、背広に関しては、いつも顔を赤らめねばなりませんでした。