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二十
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二十

 宿舎の近くに、アイスクリイムスタンドがあって、そこに、十八 ( さい ) になる、ナンシイという 可愛 ( かわい ) 看板娘 ( かんばんむすめ ) がおりました。

 ぼくなぞは、夜間照明のベエスボオルなどを近所の子供達と見物した帰りに、スマックなぞ ( かじ ) りに立寄るくらいでしたが、KOの柴山や上原などは、よくかよっていて行けばいつも顔を合せるほどでした。ことに美少年の上原などは、ナンシイ ( じょう ) と仲が良く、いつもスタンドに ( ひじ ) つきあっては話を交していました。

 ある日の事、 一緒 ( いっしょ ) に近所の 床屋 ( とこや ) まできた柴山と ( かた ) をくんで、その店に入って行くと、上原がもう来ていて、娘さんとなにか笑い話をしています。ぼく達は ( すみ ) っこでチョコレエトクリイムを ( もら ) い、二人でぼそぼそ ( ) めているとき、入口のドアを 荒々 ( あらあら ) しく ( ) して一人のアメリカの大学生が入ってきて、なにも 註文 ( ちゅうもん ) せず、スタンドの前に立ち、 ( うで ) を組んだまま、じっと上原とナンシイ嬢の様子をみつめていました。

 やがて上原の ( そば ) につかつかと立ち寄り、彼の肩を押えて、早口になにか言いだします。 素破 ( すわ ) とおどろき柴山と立ち上がろうとしましたが、意外にも大学生は、 ( なご ) やかな表情で、上原にドライブをしないかと ( さそ ) っています。上原はぼく達に一緒に来るかい、と聞き、ぼく達が 承諾 ( しょうだく ) すると、それではと、大学生に、行く ( むね ) を返事していました。

 そこで四人が、表においてあった大学生のセダンに乗りこむと、 ( かれ ) は、ロングビイチの海岸まで車を走らせて行きました。 ( にぎ ) やかで 面白 ( おもしろ ) そうな海水浴場のほうは素通りにして、 荒涼 ( こうりょう ) とした砂っ原に降りると、大学生は上原の腕をとって、 浪打際 ( なみうちぎわ ) のほうへゆきます。さっきから大学生の上原をみる眼が少し変ってるなと思っていたら、大学生はやにわに、上半身、 真裸 ( まっぱだか ) になって、上原に 角力 ( すもう ) をいどみかけるのです。上原は、はにかんだような 微笑 ( ほほえ ) みを ( うか ) べながらも、シャツを ( ) ぎ裸になりました。

 ナルシサスもかくやと思われる美しい顔立ちに十九歳の若々しい肉体は、アポロのように見事に発育して引き ( しま ) っています。大学生も毛深くて ( たくま ) しいヘラクレスみたいな身体をしていましたが、上原のすべすべした小麦色の 皮膚 ( ひふ ) を愛情のこもった眼付で、 ( ) でまわしていました。

 二人の 相撲 ( すもう ) は力を入れ、むきになっている ( くせ ) に、時々いかにもこそばゆいという風に 身悶 ( みもだ ) えしてキャッキャッと笑い興じていました。 ( あせ ) ばんで転がるたびに砂 ( まみ ) れになってゆく、上原の肉体も、額に髪が ( から ) みついた顔も、だんだん紅潮してゆくに従って、筋肉の線に、 ( ふく ) らみもでて来て美しく、ぼく達でさえ ( いささ ) か色情的に ( なや ) ましさを覚えたほどです。しかし 何時迄 ( いつまで ) もみているのは 莫迦々々 ( ばかばか ) しくなって、ぼくと柴山はその場をはずし、なんとなくそこらを散歩してから歩いて帰りました。

  ( おそ ) く夕方になってから ( もど ) ってきた上原が、その大学生の着ていたレザァコオトを貰ったりしているので、ぼくは人間の愛欲の複雑さがちらっと ( わか ) った気がしました。

 帰朝する前日でしたか、ロオタリイ 倶楽部 ( クラブ ) での、 ( ベル ) ばかり鳴らしてはその ( たび ) に立ったり ( すわ ) ったりする学者ばかりのしかつめらしい招待会から帰ってくると、在留 邦人 ( ほうじん ) の歓送会が、夕方から都ホテルであるとのことで、 出迎 ( でむか ) えの自動車も来ていて、 ( ) ぐとんで行ったのでした。

 男はタキシイド、女は 紋服 ( もんぷく ) かイブニング・ドレスといった 豪奢 ( ごうしゃ ) 宴会 ( えんかい ) で、カルホルニア一流の邦人名士の御接待でした。ぼくの坐った 卓子 ( テエブル ) は、沢村、松山、虎さんとぼくの四人で、接待して下さる邦人のほうは、立派な御主人夫妻と上品なお 祖母様 ( ばあさま ) 、それに二十一になる美しいお嬢さんの御一家でした。

 話をしているうちに 偶然 ( ぐうぜん ) 、そのお嬢さんがぼくの育った 鎌倉 ( かまくら ) 稲村 ( いなむら ) ( さき ) につい昨年 ( まで ) 、おられたことが ( わか ) り、二人の間に、七里ケ浜や 極楽寺 ( ごくらくじ ) ( あた ) りの景色や土地の人の ( うわさ ) などがはずみ、ぼくは 浮々 ( うきうき ) ( たの ) しかったのです。その内に始まった 饗応 ( きょうおう ) の演芸が、いかにも亜米利加三界まで流れてきたという感じの 浪花節 ( なにわぶし ) で、 虎髭 ( とらひげ ) ( はや ) した語り手が苦しそうに見えるまで面を ( ゆが ) めて水戸黄門様の声を ( しぼ ) りだすのに、御祖母様は顔を ( しか ) め、「 ( わたし ) はどうしても、浪花節は ( うる ) さいばかりで ( きら ) いですよ」といわれる。お嬢さんとの会話で気が浮立っていたぼくは、また 尾鰭 ( おひれ ) について出しゃばり、浪花節を下品だとけなしてから、子供の頃より好きだった 歌舞伎 ( かぶき ) を熱心に ( ) めると、しとやかに坐っていた ( おく ) さんが、さも感に ( ) えたと言わぬばかりに、「そのお若さでお 芝居 ( しばい ) がお好きとはお ( めずら ) しい。御感心ですこと」とお世辞を言ってくれるので、ぼくは一層、有頂天になるのでした。お嬢さんはN女子大の国文科を出たとかで、芝居の話も ( くわ ) しく、知ったか振りをしたぼくが 南北 ( なんぼく ) 五瓶 ( ごへい ) 、正三、 治助 ( じすけ ) などという ( むかし ) の作者達の 比較 ( ひかく ) 論をするのに、上手な 合槌 ( あいづち ) を打ってくれ、ぼくは今夜は ( まさ ) に自分の 独擅場 ( どくせんじょう ) だなと得意な気がして、たまらなく ( うれ ) しかったのです。

 沢村さん始め皆は、いつになくお ( しゃべ ) りなぼくを ( あき ) れてみつめ( 大坂 ( ダイハン ) が、エヘ)とさも 軽蔑 ( けいべつ ) したような表情をするのでしたが、その夜は、明らかに教養でみんなを 圧倒 ( あっとう ) した ( てい ) なのも嬉しく、なおも図にのって、お嬢さんに ( ) びるように、「 吉右衛門 ( きちえもん ) 菊五郎 ( きくごろう ) はどうも歌舞伎のオオソドックスに忠実だとはおもえません。まア 羽左衛門 ( うざえもん ) あたりの 生世話 ( きぜわ ) の風格ぐらいが――」など ( ) にもつかぬ 気障 ( きざ ) っぽいことを言っていると、 突然 ( とつぜん ) 、大広間の奥からけたたましいジャズが鳴り ( ひび ) き、続いて、「どうぞ皆さんダンスにお立ち下さい」というマイクロフォンの高声がきこえて来ました。すると奥さんはたいへん 丁寧 ( ていねい ) にお嬢さんに向い、「佐保子や、お前坂本さんにダンスをお願いしなさい」と言われたので、ぼくは 一遍 ( いっぺん ) 冷汗三斗 ( れいかんさんと ) の思いがしました。改めてお嬢さんの金糸銀糸でぬいとりした 衣裳 ( いしょう ) や、指に ( かがや ) 金剛石 ( ダイヤモンド ) 、金と教養にあかし ( みが ) きこんだミルク色の ( きず ) ひとつない上品な顔をみると、ぼくはダンスは下手だし、その手をとるのも ( こわ ) くなり、「 駄目 ( だめ ) です。ぼくは ( おど ) れないんですから」と消え入りそうな声で、 ( ども ) り吃りいいました。お嬢さんはかすかに 片頬 ( かたほお ) でほほえむと折からプロポオズして来た陸上のF氏の肩にかるく手をかけ、踊って行ってしまいました。

 急に 悄気 ( しょげ ) てしまったぼくが片隅でひとりダンスを拝見していると、いつの間にかぼくの横に、油もつけていないバサバサの 長髪 ( ちょうはつ ) を無造作に ( ) きあげた、血色の悪い小男の青年がやって来て立っていました。 ( はかま ) もつけず 薄汚 ( うすよご ) れた 紺絣 ( こんがすり ) の着流しで、 貧乏臭 ( びんぼうくさ ) ( ふとこ ) ろ手をし、ぼんやりダンスをみているけれど、選手ではないし、招待側の邦人のひとりかとおもい、「今晩は、どうも――」と 挨拶 ( あいさつ ) をすると「いやいや」と 周章 ( あわて ) て、ぼくの顔をみて ( かな ) しい薄笑いをして、「ぼくは単なる見物人ですよ」と言いました。

  ( たた ) みかけて、「米国はもうながいんですか」ときけば、「いやまだ上陸して一週間位ですよ」「なにか勉強に」と続けると、「いえいえ遊んでいるんです。日本は煩さくって」「こちらに御親類でも」と ( なお ) 煩さくいうと、「いやなにもありません。行き当り 飛蝗 ( ばった ) とともに 草枕 ( くさまくら ) 」と最前の浪花節の句をいってから笑いました。ではさっきから 何処 ( どこ ) にもぐっていたのかと 不審 ( ふしん ) になり、それとなく ( たず ) ねようとした 刹那 ( せつな ) 、ぼくは彼の 懐中 ( かいちゅう ) にねじこまれている本が 前田河広一郎 ( まいだこうひろいちろう ) の※

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三等船客※
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なのを見て、ハッとして、「文戦はやはり ( さか ) んにやっていますか」ときいてみると、「えッ」と 吃驚 ( びっくり ) したように問い返してから、「いや、ぼくは 左翼 ( さよく ) は嫌いだから――」と歪んだ笑いかたをしました。

 ぼくはなんだか、その青年にニヒリズムを感じて、 ( さび ) しく、そして、それが米国最後のいちばん強い印象となりました。