オリンポスの果実
田中英光 (Orinposu no kajitsu) | ||
十五
翌日、練習休みで、近くのゴルフリンクヘ一同でピクニックに行きました。
前夜、 眠 ( ねむ ) られぬ頭は重く、 涯 ( はて ) しないみどりの 芝生 ( しばふ ) に、初夏の 陽 ( ひ ) の 燦然 ( さんぜん ) たる風景も、眼に痛いおもいでした。
東海さんが、顔 馴染 ( なじみ ) のフォオド会社の 肥 ( ふと ) った 紳士 ( しんし ) に、ゴルフを教えてもらい、なんども 空振 ( からぶ ) りをして、地面を 叩 ( たた ) く 恰好 ( かっこう ) を 面白 ( おもしろ ) がって、みんな笑い 崩 ( くず ) れていましたが、ぼくにはつまらなかった。
みんな、写真機を買いたてで、ぼくも金十八 弗也 ( ドルなり ) のイイストマンを大切に 抱 ( かか ) えていましたが、なにを写す元気もなく、ぼんやりしている 処 ( ところ ) を、あべこべに何度も写されたりしました。
結局、朝から夕方まで、ぼんやり 坐 ( すわ ) ったり歩いたりしただけで、帰ってきました。帰ってからポケットにふと、手を入れると、全財産百五十弗ばかりを入れた 蟇口 ( がまぐち ) がありません。
ぼくは 忽 ( たちま ) ち逆上して、 身体 ( からだ ) 中や 其処 ( そこ ) らを探しまわった 揚句 ( あげく ) の果は、 恐 ( おそ ) らく、ゴルフ場で落したに 相違 ( そうい ) ないときめてしまいました。百五十弗は、当時の 為替 ( かわせ ) 率で、四百五十円位にあたります。 素人 ( しろうと ) 下宿をして働いている、母の 粒々辛苦 ( りゅうりゅうしんく ) の金とおもえば居ても立ってもおられず、明朝、 未 ( ま ) だ皆の起きないうちに 抜 ( ぬ ) けだし、ゴルフ場まで探しに行こうと思いました。
翌朝、未明に合宿を出ると、すぐ表で、ぱったり 出逢 ( であ ) ったのは、近所の、小さい友達で、リンキイ君、ぼく達がリンカアンと 綽名 ( あだな ) をつけた少年でした。ぼくをみると、 鳶色 ( とびいろ ) の 瞳 ( ひとみ ) を 輝 ( かがや ) かせ、「どうしたの ( ホスマラア )
」と 可愛 ( かわい ) い声で 叫 ( さけ ) びます。十歳位の少年ですが、ぼくとは気が合って、 彼 ( かれ ) の家にも引張って行かれ、二間位のせせこましい家に、いっぱいに置かれたオルガンで、 下手糞 ( へたくそ ) なスワニイ河をきかされたり、やさしいお母さんにも 紹介 ( しょうかい ) して 貰 ( もら ) いお 茶 ( コオヒイ ) を頂いたり、または彼氏 自慢 ( じまん ) の映画スタアのサイン入りのブロマイドを何枚となく、貰ったことがあります。その朝、ぼくの様子が気になるのか、彼氏はまた 仕草 ( ジェスチュア ) で、ぼくの 肩 ( かた ) を 叩 ( たた ) き、「なんでも打明けてくれ」というのです。「金をおとした」と答えると「いくら」と 訊 ( き ) き、金額を話すと「オウ」と 眉 ( まゆ ) を 顰 ( しか ) めたり、肩をすぼめたり、おおげさに 愕 ( おどろ ) いてみせ、 一緒 ( いっしょ ) に 捜 ( さが ) しに行く、といいはってきかないのです。
とうとう、二 粁 ( キロ ) もあるゴルフ場まで、ついて来て、 朝露 ( あさつゆ ) に 濡 ( ぬ ) れた芝生の上を、 口笛吹 ( くちぶえふ ) き吹き、探してくれました。ぼくは 勿論 ( もちろん ) 、 一生懸命 ( いっしょうけんめい ) で、 隅 ( すみ ) から隅まで、草の根を 押 ( お ) しわけて探してみましたが、処々に 遺 ( のこ ) っているコカコラの 空瓶 ( あきびん ) 、チュウインガムの 食滓 ( たべかす ) などのほかには、水滴をつづった青草が、どこまでも意地悪く、 羅列 ( られつ ) しているばかりです。
大体、前の日、歩いた 記憶 ( きおく ) を 辿 ( たど ) り、さがしてみたのですが、一通り歩いても、どうしてもありません。リンキイ君が、五 仙 ( セント ) 玉をひとつ拾っただけで、「チェッ」と舌打ち 諸共 ( もろとも ) 、銀貨を空に 抛 ( ほう ) りあげ、意気なスタイルをみせてくれただけの事でした。
歩きつかれ、探しつかれて、帰ってくると、みんな朝飯を食いに食堂に行った後のがらんとした 寝室 ( しんしつ ) を、コックの 小母 ( おば ) さんが、 掃除 ( そうじ ) していましたが、ぼくをみるなり「坂本さん。これあんたんじゃろう。 随分 ( ずいぶん ) 、あんたを探していたのよ」と差出してくれたのは、 失 ( な ) くしたとばかり、思っていた蟇口です。ぼくのベッドの下に落ちていたそうで、この様子をぼくについて来て、ぼんやりみていた Mr. Lincoln いきなりぼくの手を 握 ( にぎ ) りしめ「ありがと。ありがと」と打振ります。ぼくには、少年の親切が、身に 染 ( し ) みて 嬉 ( うれ ) しかった。
これは後の話ですが、ぼく達が帰国する日も迫った 頃 ( ころ ) 、ぼくは日本への 土産 ( みやげ ) に、自動車のナムバア・プレェトが 欲 ( ほ ) しく、それをこのリンキイに 頼 ( たの ) みますと、その日、子供に借りた自転車で、 附近 ( ふきん ) を乗り 廻 ( まわ ) していたぼくの瞳に、道路の真中で、五六人の少年少女が集まり、リンキイが先に立って、なに事か、一心不乱に、働いているのがみえました。
近よってみると、まだ新しいナムバア・プレェトが、アスファルト路の欠けた処を 塞 ( ふさ ) ぐために 釘 ( くぎ ) づけにしてあるのを、子供達が、各自家から持出した、 金槌 ( かなづち ) 、やっとこの類で、取りはずすのに、 大童 ( おおわらわ ) でした。勿論、警官にみつかれば、 叱 ( しか ) られるのでしょうが、このアワア・ギャング達は、おめず 臆 ( おく ) せず、堂々と取ってのけ、その場で、ぼくにくれるのでした。
また、帰国が近づいた頃、うす汚い、 真鍮 ( しんちゅう ) のロケットをぼくにくれた、カアペンタアという八つ位のお嬢さんも、ぼくと仲が 善 ( よ ) く、再々、彼女の宅にも引張って行かれました。その 娘 ( むすめ ) のお母さんは、すこし眼に険のある美人でしたが、 恐 ( おそろ ) しく早口で 捲舌 ( まきじた ) に 喋 ( しゃべ ) るので、なにを言うやら、さっぱり 判 ( わか ) らず、いつもぼくは 面喰 ( めんくら ) いました。帰国のとき、ぼくは、この少女に、持って行った 浴衣 ( カルナモク ) を、一枚上げたところ、早速、その 別嬪 ( べっぴん ) のお母さんが着て、見送りに出ていたのには、苦笑させられたものです。
オリンポスの果実
田中英光 (Orinposu no kajitsu) | ||