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二十四
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二十四

 ハワイをでると、あとはもう横浜まで海ばかりだという気持が、なにかぼくを気抜けさせるものがあって、船室に 引籠 ( ひきこも ) って 啄木 ( たくぼく ) 歌集を読んだり、 日向 ( ひなた ) に出ては海を ( なが ) めたり、そんな時を過していました。 ( たと ) えば、往きの船が、しょっちゅう太陽を感じさせる 雰囲気 ( ふんいき ) に包まれていたとすれば、帰りの船はまた絶えず月光が ( こい ) しいような、感傷の旅でした。ぼくは自己批判も ( くそ ) もなく、 ( あま ) くて下手な歌や詩を作り、 酩酊 ( めいてい ) している時が多かった。

 そうした ( ) る日のこと、中村さんにプロムナアド・デッキで、ぱったり ( ) うといきなりサインブックをつきつけられ、「なにか記念になるものを書いて」と ( たの ) まれました。船室に持って帰って、前の ( ペエジ ) ( ) ってみますと、―― 乙女 ( おとめ ) の君の夢よ、安かれ。――とか、高く強く速く頑張れ ( アルティアスアスフォルティアスモルティアズ )

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中村嬢――とか、様々な文句が書いてあるなかに、Y女子監督が―― 鯨吠 ( くじらほ ) ゆ太平洋に金波照り 行方 ( ゆくえ ) 知れぬ月の旅かな――とかいう様な歌を書いているので、ぼくも 臆面 ( おくめん ) なく――かにかくにオリムピックの ( おも ) ( ) となりにし人と土地のことかな、――と書きなぐり、中村嬢に ( わた ) しておきました。

 すると、二三日 ( ) って、 甲板 ( かんぱん ) で逢った内田さんがぼくに、「坂本さん、お願いがあるんやけれど」と ( めずら ) しく改まった調子です。「ハア」とぼくが ( かた ) くなると、今度は笑いだして、うしろに居た百 ( メエトル ) のM嬢をふりかえり、「ねエ坂本さんの歌うまかったわねエ」「 ( いや ) 駄目 ( だめ ) ですよ」と照れるぼくを 黙殺 ( もくさつ ) して、「ねエMさんがあなたに歌をかいて下さいって。 ( いく ) つでも出来るだけ」Mさんというひとはピチピチとした弾力のある子供っぽい愛くるしい顔をしている ( くせ ) に、コケットの様な 濃厚 ( のうこう ) なお 化粧 ( けしょう ) をいつもしていました。

 そこでぼくは 彼女達 ( かのじょたち ) 婉然 ( えんぜん ) と頼まれると、 唯々諾々 ( いいだくだく ) としてひき受け、その夜は首をひねって、彼女の 桃色 ( ももいろ ) のノオトに書きも書いたり、――かにかくに太平洋に星多き夜はともすれば人の恋しき――から始まり――海の ( ) のノオトは ( なみ ) が消しゆきぬこのかなしみは誰が消すらむ――に終る、 面皰 ( にきび ) だらけの歌を十首ばかり作りあげ、翌日M嬢に手渡そうとおもいました。

 面皰といえば思いだす、面白い話があります。同船していたブラジル人で十五歳位の女の子がいて、それが大分早熟で、体操のKさんの ( あと ) ばかり追っていました。

 或るときブリッジの ( かげ ) で、Kさんの名前を呼び ( わめ ) いている女の子が、あまり 一生懸命 ( いっしょうけんめい ) に呼び探しているので、「ヘェイ、ぼくと遊ぼう」と 覚束 ( おぼつか ) ない英語でからかうと、女の子は急に貴婦人のように取り ( ) まし、しげしげ、ぼくの顔をみていましたが、いきなり ( くちびる ) をとがらせ「 面皰 ( ピムプルズ ) !」と吐きつけると、バタバタ ( ) け去って行ってしまった。あとでぼくは、練習を ( ) めてから、めっきり増えた面皰づらを ( ) で、苦く ( わび ) しい想いでした。

 翌日、歌をかいたノオトを返したくM嬢をさがしていると、また甲板で中村さんに出会い、M嬢は船室に内田さんと二人でいるとのことなので、早く渡してあげたく、かつて一度も行ったことのない、女の船室のほうへ行き、名札のかかったドアを軽く ( たた ) くと、中から内田さんの声がものうげに「どうぞ」という。開けたとたんに、ぼくは 吃驚 ( びっくり ) しました。内田さんがたった一人で、それもシュミイズ一枚で、 横坐 ( よこずわ ) りになり、 ( かみ ) ( ) いていたのです。 白粉 ( おしろい ) 香水 ( こうすい ) ( にお ) いにむっとみちた部屋でした。

 内田さんは入って来たのがぼくなのをみると、 一寸 ( ちょっと ) 坐り直し「坂本さんだったの」とみあげます。ぼくは内田さんの ( セックス ) 圧倒 ( あっとう ) されて居たたまれない気持で、早々にノオトを渡し、 ( とびら ) を開けて出るのと ( ほとん ) ど同時でした。会長のK博士が温顔をきびしく結ばれて、 此方 ( こっち ) 洋杖 ( ステッキ ) の音もコツコツとやって来られたのです。ぼくは、びっくり敗亡、飛ぶようにして自分の船室に逃げ帰りましたが、内田さんの小首を ( かし ) げた横坐りの姿は、 可愛 ( かわい ) ( ねこ ) のような 魅力 ( みりょく ) 媚態 ( びたい ) ( あふ ) れていて、ながく心に残りました。

 しかし、それから間もなく、KOのボオトの連中が 坊主 ( ぼうず ) になるような事件を ( ) き起したとき、ぼくは、なにか危なかったと胸をなでる気持がありました。

 事件といっても、大したことではなく、村川から聞いた ( ところ ) によると、 ( みんな ) ( ) っぱらってブリッジにいると、中村さんを始め女のひと達が二三人あがって来た。それをこちらが不良学生みたいに取囲んで、酔った勢いで、ワアワア言っていると、中村さんが、真っ先に泣きだし、それを 折悪 ( おりあ ) しく来かかったTコオチャアに見つけられ、みんなはその場で 叱責 ( しっせき ) されたばかりでなく、Tさんは主将の八郎さんに告げたので、八郎さんがまたみんなを呼びつけて 烈火 ( れっか ) のように ( いか ) り、自分から先に髪を刈って坊主になったので、皆もいさぎよく ( そろ ) って丸坊主になり、 謹慎 ( きんしん ) の意を表したとのことでした。