オリンポスの果実
田中英光 (Orinposu no kajitsu) | ||
十六
練習が終り、みんな、 素 ( す ) ッ 裸 ( ぱだか ) で、シャワルウムに飛びこみ、頭から、ザアザアお湯を浴びているうち、一人が、当時の流行歌(マドロスの 恋 ( こい ) )を※
赤い 夕陽 ( ゆうひ ) の海に、歌うは、恋のうウた※と歌いだし、 皆 ( みんな ) で、 賑 ( にぎ ) やかに合唱していると、 直 ( す ) ぐ 隣 ( となり ) の部屋から、太いバスの 仏蘭西 ( フランス ) 語が※セネ、カル、シャントプウ、アキタルポウ※と同じ歌を、 突然 ( とつぜん ) 、 謡 ( うた ) いだしたのには、 驚 ( おどろ ) きもしましたが、 嬉 ( うれ ) しくもなって、皆 一緒 ( いっしょ ) に、両国語の合唱が始まったのでした。それは、仏蘭西の選手達でしたが、 他 ( ほか ) に、 独逸 ( ドイツ ) の選手達も、ずいぶん気持の好い連中で、ぼく達と顔を合せるたびに、直ぐ「オハヨオ」と 愛嬌 ( あいきょう ) たっぷりに、日本語で 挨拶 ( あいさつ ) してくれます。それが、朝、昼、夕方おかまいなしなのも嬉しく、ぼく達も「グウテンモルゲン」で一日中、間に合せます。
伊太利 ( イタリイ ) の選手達は、みんな、船乗り上がりかなにからしく、 腕 ( うで ) や 肩 ( かた ) に 刺青 ( いれずみ ) をみせていましたが、 人柄 ( ひとがら ) は、たいへん、あっさりしていて気持よく、いつぞやぼくと東海さんと連れだって、 彼等 ( かれら ) が女の 子達 ( ヤンキイガアルズ )
と遊んでいる 芝生 ( しばふ ) を通りかかると、「ヘエイ、ボオイズ」とか、変なアクセントの英語で呼びとめ、ぼく達と 肩 ( かた ) を組み、写真を 撮 ( と ) ってくれました。連中のうちで、コオルマン 髭 ( ひげ ) を生した 色男 ( ハンサムボオイ ) が真中になり、アメリカ 娘 ( むすめ ) が、 両脇 ( りょうわき ) で、カメラに入りましたが、あとで出来上がったのをみたら、ぼくの鼻がずいぶん低く、 厭 ( いや ) だった。しかし、この人達も、短い練習の時間だけは、非常に 真摯 ( しんし ) に、熱心で、 漕法 ( そうほう ) は、英国の 剣橋 ( ケンブリッジ ) 大学を 除 ( のぞ ) いては、皆、レカバリイが少ないのが、目につきました。日本流の漕法では、※
ボオトは気で 漕 ( こ ) げ腹で漕げ※というのですが、彼等は腕と 脚 ( あし ) とだけで 猛烈 ( もうれつ ) に漕ぎ、ピッチも五十前後まで楽に上がる様でした。殊 ( こと ) に、米国代表南加大学( 金色熊 ( ゴオルデンベア ) )クルウが、ロングビイチに姿を現わしたのは、 開会式 ( オオプニングセレモニイ ) の二三日前でしたが、彼等の漕法は、 殆 ( ほとん ) ど、体を使わないで、ぼく等よりもオォルのスペイスがあり、一糸乱れず、脚のリズムで、スタアトからゴオル 迄 ( まで ) 、一貫したスパアトで持って入り、しかも、 毫 ( ごう ) も、調子が変っていないのには、感心させられました。
どんな練習にも、全力をあげ、精も根も使い果し、ゴオルに入って「イジョオル(Easyoar)」がかかると、バタバタ 倒 ( たお ) れてしまう日本選手の猛練習振りは、彼等には、全然、非科学的にみえるようでした。(A crew of Coxswains.)とぼく達は 彼地 ( あちら ) の新聞に、一言で、かたづけられていたものです。
総 ( あら ) ゆる人種からなる、十三万人の観衆に包まれた 開会式 ( オオプニングセレモニイ ) は、南カルホルニアの晴れ 渡 ( わた ) った 群青 ( ぐんじょう ) の空に、数百羽の 白鳩 ( しろばと ) をはなち、その白い 影 ( かげ ) が点々と、 碧玻璃 ( へきはり ) のような空に消えて行く 頃 ( ころ ) 、 炎々 ( えんえん ) と燃えあがった 塔上 ( とうじょう ) の聖火に、おなじく塔上の聖火に立った七人の 喇叭手 ( らっぱしゅ ) が、 厳 ( おごそ ) かに 吹奏 ( すいそう ) する 嚠喨 ( りゅうりょう ) たる喇叭の音、その 余韻 ( よいん ) も未だ消えない中、 荘重 ( そうちょう ) に聖歌を合唱し始めた、スタンドに立ち 並 ( なら ) ぶ三千人の白衣の合唱団、その歌声に始まって行ったのでした。
ぼくは、その風景を、男子の 本懐 ( ほんかい ) だと、感動して、 眺 ( なが ) めていた。殊に、あの日、塔上に 仰 ( あお ) いだ万国旗のなかの、日の丸の、きわだった美しさは、幼いマルキストではあったぼくですが、にじむような美しさで、 瞳 ( ひとみ ) にのこりました。 身体 ( からだ ) がふるえる 程 ( ほど ) 、それは強烈な印象でした。
大きな声ではいえぬことです。その日、フウバア大統領の前を、 颯爽 ( さっそう ) と、分列行進をしていった女子選手達のうちに、あなたのりりしい晴れ姿をちらっと 垣間見 ( かいまみ ) ました。はるかな美しさで、ぼくは、そッと、 瞼 ( まぶた ) のうちに、 蔵 ( しま ) っておいた。
オリンポスの果実
田中英光 (Orinposu no kajitsu) | ||