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四十

 西洋人は何時の間にか去ってしまった。小さい健三がふと心付いて見ると、その広い ( へや ) は既に 扱所 ( あつかいじょ ) というものに変っていた。

 扱所というのは今の区役所のようなものらしかった。みんなが低い机を一列に並べて事務を執っていた。テーブルや 椅子 ( いす ) 今日 ( こんにち ) のように広く用いられない時分の事だったので、畳の上に長く ( すわ ) るのが、それほどの不便でもなかったのだろう、呼び出されるものも、また自分から ( ) って来るものも、 ( ことごと ) く自分の 下駄 ( げた ) 土間 ( どま ) へ脱ぎ捨てて掛り掛りの机の前へ ( かしこ ) まった。

 島田はこの扱所の ( かしら ) であった。従って彼の席は入口からずっと遠い一番奥の 突当 ( つきあた ) りに設けられた。 其所 ( そこ ) から直角に折れ曲って、河の見える 櫺子窓 ( れんじまど ) の際までに、人の数が何人いたか、机の数が幾脚あったか、健三の記憶は ( たし ) かにそれを彼に語り得なかった。

 島田の 住居 ( すまい ) と扱所とは、もとより細長い一つ ( いえ ) を仕切ったまでの事なので、彼は 出勤 ( しっきん ) といわず 退出 ( たいしつ ) といわず、少なからぬ便宜を ( ) っていた。彼には天気の ( ) い時でも土を踏む面倒がなかった。雨の降る日には傘を差す 臆劫 ( おっくう ) を省く事が出来た。彼は自宅から縁側伝いで勤めに出た。そうして同じ縁側を歩いて ( うち ) へ帰った。

 こういう関係が、小さい健三を少なからず大胆にした。彼は時々公けの場所へ顔を出して、みんなから相手にされた。彼は好い気になって、書記の 硯箱 ( すずりばこ ) の中にある 朱墨 ( しゅずみ ) ( いじ ) ったり、小刀の ( さや ) を払って見たり、 ( ひと ) 蒼蠅 ( うるさ ) がられるような 悪戯 ( いたずら ) を続けざまにした。島田はまた出来る限りの専横をもって、この小暴君の態度を是認した。

 島田は 吝嗇 ( りんしょく ) な男であった。 ( さい ) の御常は島田よりもなお吝嗇であった。

 「 ( つめ ) に火を ( とも ) すってえのは、あの事だね」

 彼が実家に帰ってから ( のち ) 、こんな評が時々彼の耳に ( ) った。しかし当時の彼は、御常が 長火鉢 ( ながひばち ) ( そば ) へ坐って、 下女 ( げじょ ) 味噌汁 ( おつけ ) をよそって遣るのを何の気もなく眺めていた。

 「それじゃ何ぼ何でも下女が 可哀 ( かわい ) そうだ」

 彼の実家のものは苦笑した。

 御常はまた 飯櫃 ( おはち ) 御菜 ( おかず ) 這入 ( はい ) っている戸棚に、いつでも錠を ( ) ろした。たまに実家の父が訪ねて来ると、きっと 蕎麦 ( そば ) を取り寄せて食わせた。その時は彼女も健三も同じものを食った。その代り飯時が来ても決して何時ものように ( ぜん ) を出さなかった。それを当然のように思っていた健三は、実家へ引き取られてから、間食の上に三度の食事が重なるのを見て、大いに驚ろいた。

 しかし健三に対する夫婦は金の点に掛けてむしろ不思議な位寛大であった。外へ出る時は 黄八丈 ( きはちじょう ) 羽織 ( はおり ) を着せたり、 縮緬 ( ちりめん ) の着物を買うために、わざわざ 越後屋 ( えちごや ) まで引っ張って行ったりした。その越後屋の店へ腰を掛けて、柄を ( ) り分けている間に、夕暮の時間が ( せま ) ったので、大勢の小僧が広い間口の雨戸を、両側から一度に締め出した時、彼は急に恐ろしくなって、大きな声を揚げて泣き出した事もあった。

 彼の望む 玩具 ( おもちゃ ) は無論彼の自由になった。その中には写し絵の道具も ( まじ ) っていた。彼はよく紙を継ぎ合わせた幕の上に、 三番叟 ( さんばそう ) の影を映して、 烏帽子 ( えぼし ) 姿に鈴を振らせたり足を動かさせたりして喜こんだ。彼は新らしい 独楽 ( こま ) を買ってもらって、時代を着けるために、それを 河岸際 ( かしぎわ ) 泥溝 ( どぶ ) の中に浸けた。ところがその泥溝は 薪積場 ( まきつみば ) ( さく ) と柵との間から流れ出して河へ落ち込むので、彼は独楽の失くなるのが心配さに、日に何遍となく扱所の土間を抜けて行って、何遍となくそれを取り出して見た。そのたびに彼は石垣の間へ逃げ込む ( かに ) の穴を棒で突ッついた。それから逃げ損なったものの甲を抑えて、いくつも 生捕 ( いけど ) りにして ( たもと ) へ入れた。……

 要するに彼はこの吝嗇な島田夫婦に、よそから ( もら ) い受けた一人っ子として、異数の取扱いを受けていたのである。