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19. | 菟玖波集卷第十九
雜體連歌 |
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(Tsukubashu) | ||
19. 菟玖波集卷第十九
雜體連歌
俳諧
導譽法師
引くに驚くけふの白馬
關白前左大臣
二品法親王北野千句
鶯のあはせの聲はこまかなれ
後小野宮右大臣
梅の花を折りて遣はすとて
源俊方朝臣
導譽法師
鶯のこがひすだちを鳴きあはせ
讀人知らず
奧山に巣かくる鷹のおとしがひ
前大納言爲氏
いかにして百とせ蝶となりぬらん
周阿法師
月に雲なく花に風なし
用通法師
うばそくの宮はとがめぬ山櫻
藤原信藤
花を見し庭の朽木の臥しまろび
詠人知らず
阿弥陀講行ひける所に、雪の降り入りければ、聽聞の人の中に
弘圓法師
と侍るに
法眼顯昭
法勝寺花見侍りけるに、人人酒たうべてと
と侍るに
頓阿法師
したへどもとまらぬ春ぞ力なき
讀人しらず
我が庭にとなりの竹のねをさして
關白前左大臣
夜川にや水のからすをつかふらん
前大納言爲氏
土よりいづる蝉と思ふに
六波羅入道前太政大臣
福原の京にて月隈なかりける夜、登蓮法師ふみをもちて簾のまへを過ぎ侍りけるに
登蓮法師
藤原爲道朝臣
五歳に侍りける時、あそび侍るとて文机こえけるに、乳母なりける人
と申しけるに
讀人しらず
四つの緒のかたわれ月のかたがたに
法性寺入道前關白太政大臣
中將に侍りける時、人人連歌し侍りけるに
源俊頼朝臣
是を人人附けかねたりけるに
紀貫之
なれるこのみやうみわたらるらん
導譽法師
枝は椎木を折る猿の一さけび
素阿法師
關白報恩寺にて百韻連歌し侍りしに
前うしろ竹ある里に鵙鳴きて
關白前左大臣
家の千句の中に
守る小田に近き鹿笛とひすすめ
頓阿法師
といふ句に
讀人知らず
ふたり向かひて衣うつ音
植ゑ立つる籬の菊に綿きせて
實方朝臣
こしのわたりは雪やふるらん
良心法師
死にたる鴛に札をつけて書き付け侍りける
水鳥はいけながらこそ見るべきに
良阿法師
思ふすぢ書きやる文のむすび目に
救濟法師
ともし火の赤き色なる鬼をみて
上西門院兵衞
油綿をさし油にしたりけるがいと香しく匂ひければ、
待賢門院堀河
源頼義朝臣
亂れ藻はすまひ草にぞ似たりける
前右大將頼朝
建久元年上洛し侍りし濱名の宿につきて酒たうべてたたんとしける時、
平景時
鴨長明
熊野へ參りけるに、孔子の山といふ所にて
證心法師
京極前太政大臣
瞻西上人雲居寺の極樂堂に侍りける時、坊を葺かせけるを見て
瞻西上人
と云はれければ、
俊頼朝臣
皇后宮の亮あきくにのもとにまかりて、物申さんとしけるに、人も出でざりければ、人して云ひ送りて侍りける
藤原顯國朝臣
後に女房の語りて、これが元附けざしりと申しければ、斯く云へと申してける
吉水房の庭に蓼といふ草の紅葉したるを見て
前大僧正慈圓
といふ札を立てたりければ、
關白前太政大臣
鯨とく越の大船心せよ
權大納言尊氏
夜になれば苫屋の窓をたてにけり
二品法親王
たてをつきたる舞の姿は
導譽法師
人ごとに急ぐ杣木の下りさか
周阿法師
松あれば風ふくろふの聲ききて
讀人しらず
賤の女がぬきなきはたを立ておきて
山がらの子の夕顏のうち
川舟は淺瀬も近くなりぬれば
後光明照院前關白太政大臣
家に人人あまた來て酒たうべて各々立ちかへり侍りけるに
同家宣旨
と侍るに
敬心法師
上に唯山の見えたるばかりにて
救濟法師
双六の手を打ちわづらふ指のさき
宇治關白前太政大臣
かの水口に水をいればや
敬心法師
親の名の末一文字やとりつらん
藤原清輔朝臣
遠き所に罷りたる道にて、兄の社と申す神の御前にて
と侍るに、十四五ばかりなる童の立てりけるが付け侍りける
讀人しらず
水わたる馬の頭や出ぬらん
籠の中の塒たづぬる放ち鳥
荒牛の岸にむかへる淀車
救濟法師
破れ車をかくる痩牛
前右大將頼朝
狩に出でける道に狐の走り出でたるを見て
平景時
と侍るに
人人に伴ひて鎌倉へ下向し侍るに、行きつれたる男の子口すさびに云ひ侍りける
鴨長明
是を聞きて
崇徳院御製
御前にて人人酒たうべけるに、かれこれ盃を多くさしたりければ、左京大夫なにがしとかや申しける
ちくまの神の何ならねども
鷲尾の花の下より歸りけるに
皇后宮大夫俊成女
と人の云ひかけけるに
前大納言爲家
いねぶりのみみつくのみや覺めぬらん
讀人知らず
鷲の尾にこそ花は咲きつれ
關白前左大臣
隱岐佐渡は八島の内にあらはれて
前大納言尊氏
上におくその名の文字は十なるに
素阿法師
軒にもる雨のふる屋の壁ぬれて
導譽法師
その姿ふじとふせこと一つにて
藤原家躬
つかれの駒の足引の山
救濟法師
鷹の居る森の木ずゑの村烏
俊頼朝臣
きうりの牛は引く力なし
藤原爲守
ゑとと云ふ所の障子の離れたりけるに書きつけ侍りける
前中納言爲相
又後の日に書き附け侍りける
敬心法師
古寺の軒の瓦に苔むして
教圓法師
優婆塞は鬼すむ峯に行ひて
讀人しらず
山本のかけひの末に舟おきて
久方の空足引の山
前大納言尊氏
うらに又ほす薪をも取り入れて
二品法親王
弟子はかならず師をぞいただく
救濟法師
神垣の庭の眞砂を打ちまきて
素阿法師
關白家千句に
姿はしろき馬のよつ足
良阿法師
室の戸の花ふみちらす鳥を見て
大納言爲氏
せうかうの夕つけ鳥のいかきさに
藤原實清
犬蓼といふものの中にゑの子草生ひたるを見て
詠人しらず
といふを聞きて
吾妻に下り侍りしに、伴ひたる人
頓阿法師
と申し侍りけるに
俊頼朝臣
水瓶の湯はわかぬものかは
前大納言爲家
梨を燒きたりけるに燒けざりければ、
安嘉門院四條
と有りけるに
西行法師
深き海にかがまる蝦の有るからに
よみ人しらず
春のかりがね秋の雁が音
山里の筧の竹のふしごとに
素阿法師
花紅葉うりかふ人はよもあらじ
素暹法師
狩人の野邊に射すつるわれ鏑
良阿法師
みどり子のひたひにかける文字を見よ
救濟法師
思へばとてや子をばうつらん
西音法師
人くひ犬をけしといはれて
西住法師
修業し侍りけるに、奈良路をゆくとて、尾もなき山のまろきを見て
西行法師
と侍るとて
鵜と鷺との侍るを見て
俊頼朝臣
といふに
讀人しらず
鯉つみたるものの馬に乘りたるをみて
前大納言爲家
といひてければ、
素阿法師
大鯉の騷ぐことなき身をもちて
順覺法師
蟇目いる産屋の前の古だたみ
導譽法師
戸をあくる内に佛をたてならべ
救濟法師
古寺の壁まだらなる犬ばしり
大納言尊氏
犬の聲する道の末かな
平時政朝臣
前右大將頼朝上洛の時、守山を過ぎけるに、いちごの盛りなるを見て、連歌せよと云ひければ、
前右大將頼朝
中納言國信
堀河院御位の時、弓場にて遊ばせたまひけるに
俊頼朝臣
とくとく付けよとせめ仰ありければ、
藤原爲守
山路よりほりもとめたる草なれば
從二位行家
と侍るに
後西園寺入道太政大臣
禪林寺仙洞にて爲言朝臣二藍の狩衣にうらしたりけるを著たりければ、
藤原爲定朝臣
と侍るに
前大納言爲氏
毛車に乘りて花を見侍りけるに、誰ともなく云ひかけける
などよこかみの助けざるらん
堀河院御製
年中行事の障子のもとにゐさせ給うて、人人に連歌せさせて遊ばせ給ひけるに、今參りたる人の殿上にゐて物申しけるを聞きて、中納言國信の「下におはしますに惡しうもゐたるものかな」と申さるるを聞し召して、御口すさみのやうにて仰ことありける
俊頼朝臣
俊頼つかうまつれと中納言國信申しければ、
夢窓國師、西芳精舍にて本尊のへうほういのゆがみたるを見て
救濟法師
といふ句をせられけるに
敬心法師
佛にならんことはぢやうぢやう
讀人しらず
法勝寺の花の陰に夜に入るまでゐたりけるをみて
覺豪法師
と云ひ侍りければ、
と云ひけるいとをかしかりけん。
讀人しらず
大薙刀ににぐるうぐひす
とあるに
素阿法師
二もとの杉の木蔭に水あびて
敬心法師
かめきくをともに具したる平次殿
寂阿法師
伊勢國を修行し侍りけるに、林崎といふ所にて
玄忠法師
西圓法師
玉杖は地藏菩薩のえたまひて
讀人知らず
疊に舟蟲といふ蟲のありけるを見て
と侍るに
十佛法師
風爐に入りたりける人の叔母を呼びければ、
我が親の姉が小路の湯に入りて
無生法師
曾阿彌夕暮に來たれるをみて、云ひ侍りける
曾阿彌法師
人の家の庭に楯のふしたるを見て
念阿法師
と申しければ、
導譽法師
雪の上に足駄やはきて遊ぶらん
敬心法師
極樂はよきところなりけり
後鳥羽院御時、白黒賦物連歌の中に
按察使光親
といふ句に
前中納言定家
大ひけのみ車そひに北おもて
よみ人しらず
天文博士なりける人の妻を朝日のあざりといふもの盜みたる折節、男に行きあひて西の方へ逃げければ、
と云ひければ、
とぞつけける。
讀み人しらず
といふ句
右大將頼朝
連歌はてて人のねたりけるに
梶原景時
と云ひければ、
敬心法師
十郎がおもひきりたる五郎せよ
よみ人知らず
堀河院の御時、中宮上童の連歌と云ひ侍りけるを、左中辨これ家忍びて物申すと聞えしが、程なく音せざりければ、
俊頼朝臣
と侍るに
よみ人しらず
説法しける道場に鳥の形なりける磬をうつをみて聽聞の人の中にいひける
聯句連歌
後宇多院御製
六條内大臣禪林寺の家に御幸なりて和漢聯句に
二たび世を助けつるかな
花園院御製
といふ句に
後醍醐院御製
といふ句に
後光明照院前關白左大臣
嘉暦四年七月日、内裏の聯句の連歌に
老木の松につもる雪かな
關白前左大臣
千本の花見侍るとて和漢聯句に
とまれかし草の庵の今日の暮
六條内大臣
後宇多院禪林寺の家に行幸なりて、和漢聯句侍りけるに
玉章を雁につけたるたぐひとや
前大納言尊氏
友なふものはただ月のかげ
太宰權帥俊實
捨てざりし世を思ふこそ悔やしけれ
左兵衞督直義
家の和漢聯句に
壺のうちにも天地は有り
法印玄慧
松に咲く十かへりまでの花をみて
後光明照院前關白左大臣
まかする水の末ほそくなる
後醍醐院御製
嘉暦二年七月、和漢聯句に
契り置きしもとの心を思ひ出でよ
六條内大臣
雪をこそ昔は窓にあつめしに
左兵衞督直義
貞和五年六月、家の和漢聯句に
松の下枝にかかる白波
順覺法師
喜ぶも歎くもともに夢のうち
菅原秀長
花のある宿には人の集りて
前大納言尊氏
左兵衞督直義家の聯句連歌に
花の陰より鐘はひびきて
夢窓國師
老のむかしは夢にだに見ず
前中納言定綱
杖をつくよはひも今は近づきて
權少僧都親祐
雲や波舟路の末はきはもなし
菅原長綱朝臣
つま木には紅葉一枝をりそへて
法印玄惠
身を知れば貧しき時もうたがはず
左兵衞督直義
名と共に殘る姿はなかりけり
夢窓國師
音くらき窓の雨こそ閑かなれ
雜句
日本武尊
景行天皇四十年夏六月、東國の亂をしづめて常陸國より甲斐の酒折の宮にとどまりて
人人つけ申し侍らざりけるに、或秉燭人歌の末をつぎて
此兩句連歌の始めにて侍るよし日本紀にしるせり。今の平野のおほん神の御連歌にて侍るなり。
中務皇子
延喜十一年十月二十四日、菊の宴せさせ給ふける。中務の御子おりてかざしの花を奉らせ給ふに「ただにや」と仰せられければ、
延喜御製
と侍るに、しめの中より
齋宮女御
讀人しらず
と侍るに
紀友則
女にはなれて
人の心をいかが頼まん
在原ともはる
といふ歌をよみて此下句を各々付け侍りける中に
紀貫之
凡河内躬恒
源順
康和三年八月四日、五つになるをの子を失ひつ、ことにふれて悲しみの泪乾かず、古萬葉集の中に「世の中を何にたとへん」といふことを上にすゑて下の句あまたよめる
大中臣能宣集に世の中の常なきことを見て、萬葉集の中に「世の中を何にたとへん」といふ歌をもとにして下句をかへて十づつ大中臣能宣・源順・紀時文などして讀み侍りし中に
下きえの氷閉ぢたる春の池水
片句連歌
此句者寶治六年十一月、伊勢太神宮の託宣の御連歌にて侍るとぞ。
聖武天皇御製
みちの國より岩手といふよき鷹を奉りけるに、預かりたる人そらして終に求めえぬよし奏し侍るに、勅答はなくて、
堀河院御製
堀河院の御時、黒男といふ笛吹、黒戸に參りて笛を吹き侍りけるに
大納言國信・俊頼朝臣など御前に侍ひけれども、付け申さざりける。
福光園院入道前關白左大臣
車に乘りて宇治野を過ぎ侍りけるに
藤原爲顯など同車し侍りけれども、終につけで止みにけり。
良暹法師
後冷泉院の御時、四條宮東三條殿に渡らせ給ひて、色色の
をもて舟にかざりて池に浮かべられたりけるを人人多く侍ひけれども、付けずして止みにけり。
前右近大將頼朝
上洛の時まひさはといふ所を見侍りけるに
源順集に天暦五円に宣旨ありて、始めて和歌撰所なしつぼに置かせ給ひて、古萬葉集讀みとき撰ばせ給ふ。召を蒙れるは河内掾清原元輔、近江掾紀時文、學士源順、御書所預坂上望城等なり。藏人左近少將藤原朝臣伊尹其時別當と定めさせ給ふて、神無月の晦日に題めして下し給ひける
(Tsukubashu) | ||