歌行燈 (Uta andon) | ||
二十二
「痘瘡の中に白眼を剥いて、よた/\と立上つて、憤つた聲ながら、
(可懷いわ、若旦那、盲人の悲しさ顏は見えぬ。觸らせて下され、つかまらせて下され、一撫で、撫でさせて下され。)
と言ふ。
いや、撫られて堪りますか。
摺拔けようとするんだがね、六疊の狹い座敷、盲目でも自分の家だ。
素早く、階子段の降口を塞いで、無手と、大手を擴げたらう。……影が天井へ懸つて、充滿の黒坊主が、汗膏を流して撫でうとする。
いや、其の嫉妬執着の、險な不思議の形相が、今以て忘れられない。
(可厭だ、可厭だ、可厭だ。)と、此方は夢中に出ようとする、よける、留める、行違ふで、やはな、かぐら堂の二階中みし/\と鳴る。風は轟々と當る。唯黒雲に捲かれたやうで、可恐しくなつた、凄さは凄し。
衝と、引潜つて、ドンと飛び摺りに、どゝゝと駈け下りると、ね。
(袖や、止めませい。)
と宗山が二階で喚いた。皺枯聲が、風でぱつと耳に當ると、三四人立騷ぐ女の中から、すつと美しく姿を拔いて、格子を開けた門口で、しつかり掴まる。吹きつけて揉む風で、颯と紅い褄が搦むやうに、私に縋つたのが、結綿の、其の娘です。
背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師の妾だらう。
ものを言ふ清い、張のある目を上から見込んで、構ふものか、行きがけだ。
(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物にされるな。)
と言捨てに突放す。
(あれ。)と云ふ聲がうしろへ、ぱつと吹飛ばされる風に向つて、砂塵の中へ、や、躍込むやうにして、一散に駈けて返つた。
後に知つた、が、妾ぢやない。お袖と云ふ其の可愛いのは、宗山の娘だつたね。其れを娘と知つて居たら、いや、その時だつて氣が付いたら、按摩が親の仇敵でも、私あ退治るんぢやなかつたんだ。」
と不意にがツくりと胸を折つて俯向くと、按摩の手が、肩を辷つて、ぬいと越す。……其の袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、
「もしか、按摩が尋ねて來たら、堅く居らん、と言へ、と宿のものへ吩附けた。叔父のすや/\は、上首尾で、竝べて取つた床の中へ、すつぽり入つて、引被つて、可心持に寐たんだが。
あゝ、寐心の好い思ひをしたのは、其晩切さ。
何故ツて、宗山が其の夜の中に、私に辱められたのを口惜しがつて、傲慢な奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死して了つたんだ。七代まで流儀に祟る、と手探りでにじり書した遺書を殘してな。死んだのは鼓ケ嶽の裾だつた。あの廣場の雜樹へ下つて、夜が明けて、漸ツと小止に成つた風に、ふら/\とまだ動いて居たとさ。
此方は何にも知らなからう、風は凪ぐ、天氣は可。叔父は一段の上機嫌。……古市を立つて二見へ行つた。朝の中、朝日館と云ふのへ入つて、いづれ泊る、……先へ鳥羽へ行つて、ゆつくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通つて、日和山を棧敷に、山の上に、海を青疊にして二人で半日。やがて朝日館へ歸る、……と何うだ。
旅籠の表は黒山の人だかりで、内の廊下もごつた返す。大袈裟な事を言ふんぢやない。伊勢から私たちに逢ひに來たのだ。按摩の變事と遺書とで、其の日の内に國中へ知れ渡つた。別に其の事について文句は申さぬ。藝事で宗山の留を刺したほどの豪い方々、是非に一日、山田で謠が聞かして欲しい、と羽織袴、フロツクで押寄せたらう。
いや、叔父が怒るまいか。日本一の不處存もの、恩地源三郎が申渡す、向後一切、謠を口にすること罷成らん。立處に勘當だ。さて宗山とか云ふ盲人、己が不束なを知つて屈死した心、斯くの如きは藝の上の鬼神なれば、自分は、葬式の送迎、墓に謠を手向けう、と人々と約束して、私は其の場から追出された。
あとの事は何も知らず、其の時から、津々浦々をさすらひ歩行く、門附の果敢い身の上。」
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