歌行燈 (Uta andon) | ||
二十
「よく聞いて、暫時熟と顏を見て居なさいました。
(藝事の出來るやうに、神へ願懸をすると云つて、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ケ嶽の裾にある、雜木林の中へ來い。三日とも思ふけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分つたか。若い女の途中が危い、此の入口まで來て待つて遣る、化されると思ふな、夢ではない。……)
とお言ひのなり、三味線を胸に附着けて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀を去きなさいます。……
其の事は言はぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで垢離取つて、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。
殺されたら死ぬ氣でな、――大恩のある御主人の、此の格子戸も見納めか、と思ふやうで、軒下へ出て振返つて、門を視めて、立つて居るとな。
(おいで。)
と云つて、突然、背後から手を取りなすつた、門附の其のお方。
私はな、よう覺悟はして居たが、天狗樣に攫はれるかと思ひましたえ。
あとは夢やら現やら。明方内へ歸つてからも、其の後は二日も三日も唯茫として居りましたの。……鼓ケ嶽の松風と、五十鈴川の流の音と聞えます、雜木の森の暗い中で、其の方に教はりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、唯背後から背中を抱いて下さいますと、私の身體が、舞ひました。其れだけより存じません。
尤も、私が、あの、鳥羽の海へ投入れられた、其の身の上も話しました。其の方は不思議な事で、私とは敵のやうな中だ事も、種々入組んでは居りますけれど、鼓ケ嶽の裾の話は、誰にも言ふな、と口留めをされました。何んにも話がなりません。
五日目に、最う可いから、此を舞つて座敷をせい。藝なし、とは言ふまい、ツて、お記念なり、しるしなりに、此の舞扇を下さいました。」
と袖で胸へ緊乎と抱いて、ぶる/\と肩を震はした、後毛がはらりと成る。
捻平溜息をして頷き、
「いや、能く分つた。教へ方も、習ひ方も、話されずと能く分つた。時に、山田に居て、何うぢやな、其の舞だけでは勤まらなんだか。」
「はい、はじめて謠ひました時は、皆が、わつと笑ふやら、中には恐い怖いと云ふ人もござんす。何故言ふと、五日ばかり、あの私がな、天狗樣に誘ひ出された、と風説したのでござんすから。」
「は、如何にも師匠が魔でなくては、其の立方は習はれぬわ。むゝ、で、何かの、伊勢にも謠うたふものゝ、五人七人はあらうと思ふが、其の連中には見せなんだか。」
「えゝ、物好に試すつて、呼んだ方もありましたが、地をお謠ひなさる方が、何ぢやゝら、些とも、ものに成らぬと言つて、すぐにお留めなさいましたの。」
「はゝあ、いや、其の足拍子を入れられては、やはな謠は斷れて飛ぶぢやよ。はゝゝはゝ、唸る連中粉灰ぢやて。かた%\此の桑名へ、住替へとやらしたのかの。」
「狐狸や、いや、あの、吠えて飛ぶ處は、梟の憑物がしよつた、と皆氣違にしなさいます。姉さんも、手放すのは可哀相や言つて下さいましたけれど、……周圍の人が承知しませず、……此の桑名の島屋とは、行かひはせぬ遠い中でも、姉さんの縁續きでござんすから、預けるつもりで寄越されましたの。」
「おゝ、其處で、又辛い思をさせられるか。先づ/\、其は後でゆつくり聞かう。……其のお娘、私も同一ぢや。天魔でなくて、若い女が、術をするはと、仰天したので、手を留めて濟まなんだ。さあ、立直して舞うて下さい。大儀ぢやらうが一さし頼む。私も久ぶりで可懷しい、御身の姿で、若師匠の御意を得よう。」
と言の中に、膝で解く、其の風呂敷の中を見よ。土佐の名手が畫いたやうな、紅い調は立田川、月の裏皮、表皮。玉の砧を、打つや、うつゝに、天人も聞けかしとて、雲井、と銘ある祕藏の塗胴。老の手捌き美しく、錦に梭を、投ぐるやう、さら/\と緒を緊めて、火鉢の火に高く翳す、と……呼吸をのんで驚いたやうに見て居たお千は、思はず、はつと兩手を支いた。
藝の威嚴は爭はれず、此の捻平を誰とかする、七十八歳の翁、邊見秀之進。近頃孫に代を讓つて、雪叟とて隱居した、小鼓取つて、本朝無雙の名人である。
いざや、小父者は能役者、當流第一の老手、恩地源三郎、即是。
此の二人は、侯爵津の守が、參宮の、假の館に催された、一調の番組を勤め濟まして、あとを膝栗毛で歸る途中であつた。
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