歌行燈 (Uta andon) | ||
十一
「いや、横になる處ぢやない、澤山だ、此處で澤山だよ。……第一背中へ掴まられて、一呼吸でも應へられるか何うだか、實は其れさへ覺束ない。惡くすると、其のまゝ目を眩して打倒れようも知れんのさ。體よく按摩さんに掴み殺されると云つた形だ。」
と眞顏で言ふ。
「飛んだ事をおつしやりませ、田舍でも、これでも、長年々期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾に鍼をお打たせになりましても、決して間違ひのあるやうなものではござりませぬ。」と呆れたやうに、按摩の剥く目は蒼かりけり。
「うまい、まづいを言ふのぢやない。何時の幾日にも何時にも、洒落にもな、生れてから未だ一度も按摩さんの味を知らないんだよ。」
「まあ、あんなにあんた、こがれなさつた癖に。」
「そりや、張つて/\仕樣がないから、目にちらつくほど待つたがね、いざ……と成ると初産です、灸の皮切も同じ事さ。何うにも勝手が分らない。痛いんだか、痒いんだか、風説に因ると擽つたいとね。多分私も擽つたからうと思ふ。……處が生憎、母親が操正しく、是でも密夫の兒ぢやないさうで、其の擽つたがりやう此の上なし。……あれ、あんなあの、握飯を拵へるやうな手附をされる、と其の手で揉まれるかと思つたばかりで、最う堪らなく擽つたい。何うも、あゝ、こりや不可え。」
と脇腹へ兩肱を、しつかりついて、掻竦むやうに背筋を捻る。
「はゝゝはゝ、これは何うも。」と按摩は手持不沙汰な風。
女房更めて顏を覗いて、
「何んと、まあ、可愛らしい。」
「同じ事を、可哀相だ、と言つてくんねえ。……然うかと言つて、恁う張つちや、身も皮も石に成つて固りさうな、背が詰つて胸は裂ける……揉んで貰はなくては遣切れない。遣れ、構はない。」
と激しい聲して、片膝を屹と立て、
「殺す氣で蒐れ。此方は覺悟だ。さあ。ときに女房さん、袖摺り合ふのも他生の縁ツさ。旅空掛けて恁うしたお世話を受けるのも前の世の何かだらう、何んだか、おなごりが惜いんです。掴殺されりや其切だ、最一つ憚りだがついでおくれ、別れの杯に成らうも知れん。」
と雫を切つて、ついと出すと、他愛なさも餘りな、目の色の變りやう、眦も屹と成つたれば、女房は氣を打たれ、默然で唯目をみはる。
「さあ按摩さん。」
「えゝ、」
「女房さん酌いどくれよ!」
「はあ、」と酌をする手が些と震へた。
此の茶碗を、一息に仰ぎ干すと、按摩が手を掛けたのと一緒であつた。
がた/\と身震ひしたが、面は幸に紅潮して、
「あゝ、腸へ沁透る!」
「何か其の、何事か存じませぬが、按摩は大丈夫でござります。」と、これもおどつく。
「先づ、」
と突張つた手をぐたりと緩めて、
「生命に別條は無さゝうだ、しかし、しかし應へる。」
とがつくり俯向いたのが、ふら/\した。
「月は寒し、炎のやうな其の指が、火水と成つて骨に響く。胸は冷い、耳は熱い。肉は燃える、血は冷える。あつ、」と言つて、兩手を落した。
吃驚して按摩が手を引く、其の嘴や鮹に似たり。
兄哥は、確乎起直つて、
「いや、手をやすめず遣つてくれ、あはれと思つて靜に……よしんば徐と揉まれた處で、私は五體が碎ける思ひだ。
其の思ひをするのが可厭さに、種々に惱んだんだが、避ければ摺着く、過ぎれば引張る、逃げれば追ふ。形が無ければ聲がする……ピイ/\笛は攻太鼓だ。恁う犇々と寄着かれちや、弱いものには我慢が出來ない。淵に臨んで、崕の上に瞰下ろして踏留まる膽玉のないものは、一層の思ひ、眞逆に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、從兄弟再從兄弟か、伯父甥か、親類なら、さあ、敵を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺して居るんだ。」
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