University of Virginia Library

Search this document 
  

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
十一
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 

十一

 「いや、横になる處ぢやない、澤山だ、此處で澤山だよ。……第一背中へ掴まられて、一呼吸でも應へられるか何うだか、實は其れさへ覺束ない。惡くすると、其のまゝ目を眩して打倒れようも知れんのさ。體よく按摩さんに掴み殺されると云つた形だ。」

 と眞顏で言ふ。

 「飛んだ事をおつしやりませ、田舍でも、これでも、長年々期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾に鍼をお打たせになりましても、決して間違ひのあるやうなものではござりませぬ。」と呆れたやうに、按摩の剥く目は蒼かりけり。

 「うまい、まづいを言ふのぢやない。何時の幾日にも何時にも、洒落にもな、生れてから未だ一度も按摩さんの味を知らないんだよ。」

 「まあ、あんなにあんた、こがれなさつた癖に。」

 「そりや、張つて/\仕樣がないから、目にちらつくほど待つたがね、いざ……と成ると初産です、灸の皮切も同じ事さ。何うにも勝手が分らない。痛いんだか、痒いんだか、風説に因ると擽つたいとね。多分私も擽つたからうと思ふ。……處が生憎、母親が操正しく、是でも密夫の兒ぢやないさうで、其の擽つたがりやう此の上なし。……あれ、あんなあの、握飯を拵へるやうな手附をされる、と其の手で揉まれるかと思つたばかりで、最う堪らなく擽つたい。何うも、あゝ、こりや不可え。」

 と脇腹へ兩肱を、しつかりついて、掻竦むやうに背筋を捻る。

 「はゝゝはゝ、これは何うも。」と按摩は手持不沙汰な風。

 女房更めて顏を覗いて、

 「何んと、まあ、可愛らしい。」

 「同じ事を、可哀相だ、と言つてくんねえ。……然うかと言つて、恁う張つちや、身も皮も石に成つて固りさうな、背が詰つて胸は裂ける……揉んで貰はなくては遣切れない。遣れ、構はない。」

 と激しい聲して、片膝を屹と立て、

 「殺す氣で蒐れ。此方は覺悟だ。さあ。ときに女房さん、袖摺り合ふのも他生の縁ツさ。旅空掛けて恁うしたお世話を受けるのも前の世の何かだらう、何んだか、おなごりが惜いんです。掴殺されりや其切だ、最一つ憚りだがついでおくれ、別れの杯に成らうも知れん。」

 と雫を切つて、ついと出すと、他愛なさも餘りな、目の色の變りやう、眦も屹と成つたれば、女房は氣を打たれ、默然で唯目をみはる。

 「さあ按摩さん。」

 「えゝ、」

 「女房さん酌いどくれよ!」

 「はあ、」と酌をする手が些と震へた。

 此の茶碗を、一息に仰ぎ干すと、按摩が手を掛けたのと一緒であつた。

 がた/\と身震ひしたが、面は幸に紅潮して、

 「あゝ、腸へ沁透る!」

 「何か其の、何事か存じませぬが、按摩は大丈夫でござります。」と、これもおどつく。

 「先づ、」

 と突張つた手をぐたりと緩めて、

 「生命に別條は無さゝうだ、しかし、しかし應へる。」

 とがつくり俯向いたのが、ふら/\した。

 「月は寒し、炎のやうな其の指が、火水と成つて骨に響く。胸は冷い、耳は熱い。肉は燃える、血は冷える。あつ、」と言つて、兩手を落した。

 吃驚して按摩が手を引く、其の嘴や鮹に似たり。

 兄哥は、確乎起直つて、

 「いや、手をやすめず遣つてくれ、あはれと思つて靜に……よしんば徐と揉まれた處で、私は五體が碎ける思ひだ。

 其の思ひをするのが可厭さに、種々に惱んだんだが、避ければ摺着く、過ぎれば引張る、逃げれば追ふ。形が無ければ聲がする……ピイ/\笛は攻太鼓だ。恁う犇々と寄着かれちや、弱いものには我慢が出來ない。淵に臨んで、崕の上に瞰下ろして踏留まる膽玉のないものは、一層の思ひ、眞逆に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、從兄弟再從兄弟か、伯父甥か、親類なら、さあ、敵を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺して居るんだ。」