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17. 菟玖波集卷第十七
羇旅連歌
關白内大臣に侍りける時、家の千句に
救濟法師
といふ句に
信照法師
旅衣春きてけふはみかの原
導譽法師
古郷の花を見捨てて出でぬるに
關白前左大臣
春のこる都は旅のわかれにて
御堂入道關白家に人人あまた遊びけるに、内の御物忌に參るべきよし催しありて人々出でけるに、折ふし口惜しなどいひて前中納言道方の辨
赤染衞門
と侍るに
大江成種
こよひ我れ花の關屋に旅寐して
寂意法師
月出づる山さへかはる船路にて
藤原氏政
有明までは宿ごとの月
圓懷法師
關屋にのこる月をこそ見れ
海部宗信
旅にゆく心も月にとどまりて
藤原高秀
人も知れ旅寐の秋はうきものを
救濟法師
忘れじな山路のゆふべ浦の秋
藤原爲顯
あとなる月ぞ舟を送りし
平高業
波のよるゆく月の友舟
權律師高暹
月の夜舟のうら波の音
前大納言爲家
東路や野邊の秋霧夜をこめて
權少僧都快宗
月にゆく道は明くるを限りにて
十佛法師
關こゆるまで有明の月
常智法師
夜すぐる山路は月にさそはれて
藤原助茂
月出でば夜もゆかんと里出でて
中原遠康
末に見し山をも月に越えすぎて
汲實法師
夜こゆる山路の月に行きつれて
安倍爲信
旅の名殘のありあけの月
法印超清
有明を夜舟のうちにまつしまや
三河法師
月を見ぬ秋の末野の草まくら
文和二年六月、世間閑かならぬことありて、美濃國小島といふ所へ行宮にて侍りけるに、同七月かの所にて連歌し侍りしに
關白前左大臣
と侍るに
同じところにて
雁の鳴くほどは雲井の都より
常曉法師
野に臥してあとも枕も露深し
法印定意
花もなき野邊の草葉をふみ分けて
越智孝康
あとは時雨のふるさとの空
寂意法師
我もゆく山を時雨のまた越えて
二品法親王
北野の社の千句の中に
舟路の雪ぞ波につもらぬ
救濟法師
冬の日もともに短き旅衣
權大僧都圓惠
雪ふれば袖うちはらふ旅衣
前大納言尊氏
山のかけ路はかちにならばや
足柄のふもとの道は竹の下
侍從典侍
實方朝臣、陸奧の守になりて下るとて、東三條院に參りて罷り下るよし申しけるに、かづけ物給ふとていひ侍りける
實方朝臣
と申し侍りければ
平堯重
關守はあばらやながらゐがくれて
藤原俊顯朝臣
川舟のよどまぬ波に月をみて
性遵法師
野山にも草の枕を雁なきて
前中納言定家
枕ゆふこよひばかりの柴の庵
民部卿爲藤
元亨四年四月、龜山殿連歌に
ふみ分くる岩根の道の跡ふりぬ
鳥羽院に奉りける連歌の中に
從二位家隆
左近中將義詮
きのふの山に又けふの山
二品法親王
山越えの末はうらにや成りぬらん
導譽法師
あなたこなたを見つる富士の根
木鎭法師
都にて聞きつる不二を今日は見て
權少僧都永運
都へと歸る旅にも不二を見て
源信詮
我ならで夜深き關はよも知らじ
法眼永懷
鳥の音も夜深き里に鐘ききて
祝部尚長
鳥の音や跡なき關に殘るらん
成阿法師
行くは旅とまるは何か憂かるらん
曉阿法師
旅にまづ宿とふ人を先立てて
木阿法師
夢しらぬ旅寐いく夜となりぬらん
荒木田長範
旅寐の夢は宿ごとにあり
常智法師
雨にこそ木陰も宿となりにけれ
荒木田守藤
雪に分けゆく山中の道
藤原範高
夢に來て古郷人やみえつらん
大中臣憲宗
鳥の鳴く里の旅寐に夢さめて
宏元法師
旅とてや宿は日ごとにかはるらん
中原遠藤
かげふむ山を夜過ぐる人
禪顯法師
道暗きよに宿をいでぬる
源時秀
風まよふ深山の雲に旅寐して
藤原高秀
鳥の音の聞えぬ山に止まりて
前大納言爲氏
旅衣きても逢ひみぬ宇津の山
救濟法師
川舟の海に入るまで綱はへて
藤原俊顯朝臣
人わたすこの川舟に馬たてて
二品法親王
川舟にのり後れたる旅の友
詠人しらず
水ふかき川のこなたに駒とめて
高階重成
渡るべき川のむかひに舟見えて
平維遠
うき旅は我もねになく友千鳥
周阿法師
夕暮のまがきが島に舟とめて
祐阿法師
逢ふ人もなぎさの舟に日は暮れて
藤原助兼
湊の汐に近き川おと
覺晴法師
浦吹く風ぞ舟路なりける
惟宗親孝
舟とめし旅の浦囘にこぎ別れ
源師義
漕ぐ舟は浦よりうらにうつりきて
源頼遠
波くらき湊の夜舟出でやらで
藤原貞直
浦にあるやかたに今宵旅寐して
救專法師
誰もたびなる浦々の舟
眞阿法師
つくしなる松浦のうらは程遠し
荒木田綱直
よる方のなぎさに舟はただよひて
丹波政職
水暗き夜舟はゆくも知られぬに
南佛法師
舟はやき跡よりおくる風吹きて
源頼氏
近江國佐佐木金剛寺にて千句の連歌侍りしに
救濟法師
といふ句に
この山を越えば都もよもみえじ
藤原倫篤
夜すぐる人をや關にとどむらん
鴨長明
參議雅經と伴ひて東へまかりけるに、宇津山を越え侍るとて楓を折りて
參議雅經
これに蔦の紅葉を打ち添へて
承胤法親王
里つづきあまたの鳥の音を聞きて
左近中將義詮
越えすぎし都の山はけふの雲
道朝法師
月にだに越えぬ山路のあるものを
法眼良澄
不二や遠きも隔てざるらん
藤原知春
富士の根のかげゆく道は野山にて
仁朝法師
今はとて旅なる人の歸る山
神眞嗣
程は雲井のふるさとの山
導譽法師
寺近き山路の關を今こえて
二品法親王
北野社の千句の中に
舟はやきあとには山の隔たりて
前大納言尊氏
唐舟もはやよせよかし
源尊宣朝臣
八重の汐路を舟やゆくらん
關白前左大臣
舟出でしあとの浦風吹きかへて
後嵯峨院御製
八十島かけて出づる舟人
後深草辨内侍
これにはしかじ旅のかなしさ
前大納言忠信
行く舟もとまらぬものを難波瀉
後深草院少將内侍
沖中に割れたる舟のつな手繩
從二位家隆
駒こゆる檜の隈川の旅枕
前中納言定家
それと見て打ち過ぎぬべき飛鳥井に
二品法親王
浦の名のあかし暮らして行く旅に
救濟法師
あつたより近くなるみの野は暮れて
前大僧正賢俊
舟はまた島がくれをや出でぬらん
左近少將善成
風あれば遠きも近きも舟路にて
權少僧都永運
うちわたす川瀬の駒の爪ひぢて
福光園入道前關白左大臣
弘長二年八月、仙洞庚申連歌に
和田の原行くへもしらぬ波のうへ
前大納言尊氏
舟のうきねは夢だにもなし
後白河院御製
熊野御幸の還御の時、かうぶりなはてにて雨いたく降りければ、
從三位頼政
御こし近く侍りけるに
從二位家隆
建保五年四月、庚申百韻連歌に
まてしばし浦路も更けぬ小夜千鳥
前大納言經信
關の戸は波間も見えず清見がた
後光明照院前關白左大臣
嘉暦二年七夕、内裏の百韻に
清見が關をこゆるうら波
前右兵衞督爲教
波かくるを島の苫屋かはらずば
稱阿上人
うき草ながら舟やゆくらん
寂忍法師
旅寢する三輪の山もと夜は更けて
素阿法師
きのふより今日の細道山深し
藤原信藤
くらきより闇き山路を夜こえて
藤原親長朝臣
みちのかはるや汐干なるらん
法眼村重
舟路の末の沖つしらなみ
常盤井入道前太政大臣
こぎつづく灘の汐瀬のつくし舟
關白前左大臣
家にて是れ彼れ百韻連歌し侍りしに
風ある舟はささず來にけり
權大僧都圓忠
舟にても旅をするがの海遠し
導譽法師
海士のすむ芦屋も舟も程近し
救濟法師
うかりしも中々旅の物がたり
性遵法師
夜舟こぐ須磨のあま雲月みえて
順覺法師
浦にては川舟をさへ乘りかへて
寂意法師
波はやき川瀬の舟のみなれ棹
頓阿法師
こぎ歸るほどをや待たん渡し舟
二品法親王
行く舟の波の上よりこぎ別れ
木鎭法師
浦遠くなぎさの舟のこぎ出でて
從二位行家
あだに見るひなの篠屋のかり柱
後鳥羽院御製
人人に連歌召されけるついでに
こなたの里を急ぐ旅人
信實朝臣
鳥が音は關の戸にしてまたれけり
隆祐朝臣
やがて又同じ旅寢にかへるかな
救濟法師
旅人かはる宿の夕暮
藤原教言朝臣
ぬし知らぬ宿の夕の旅の道
顯英法師
浦こぐ舟や行きちがふらん
常智法師
こよひの宿は須磨の浦船
前大納言忠信
ひとり過ぎゆく野路のしのはら
救濟法師
これぞこの旅のはじめの鹿島立
善阿法師
野中よりあなたも末の遠ければ
源宗氏
はてかとすれば同じ武藏野
信照法師
曉は必ずいづる宿ごとに
平景清
別れ易きは旅の道づれ
禪源法師
ふる里は誰が心にもあるものを
藤原時綱
我が方を忍ぶは里の名に有りて
性嚴法師
昨日の山はけふの古里
寂意法師
ふる里は遠山にこそなりにけれ
前大納言爲家
行けばゆかるる野中ふる道
關白左大臣
家の千句の中に
古郷に思ひおきたる人ありて
二品法親王
旅人のとまる宿をもあらそひて
導譽法師
宿なくばせめては寺をも尋ねばや
十佛法師
草の枕にふせる旅人
前參議彦良
道かはる旅には馴れぬ宿とひて
源頼氏
聞きもせずみもせぬ方に旅寐して
導譽法師
古郷も夢にかへるは程もなし
いづくともかねては知らぬ草枕
寂意法師
清見潟月を明けぬと關越えて
良心法師
さこそは末も急がざるらめ
導生法師
千句の連歌の中に
打ちむれて旅ゆく道のせばければ
藤原秀能
東路の露分衣しほたれて
前中納言定家
都をこふる袖やくちなん
後二條院御製
乾元二年三月、内裏の連歌に
古郷に歸るも旅の道なれば
後鳥羽院御製
遠方人はしばしとどまれ
前大納言尊氏
旅衣袖はあらしのやどりにて
承胤法親王
ひく心こそ古郷にあれ
源氏頼
その關よりも旅のおとづれ
淨永法師
文をみて旅の心はしられけり
藤原高秀
我出でし旅には友のなきものを
南佛法師
旅にうき泪のはてはいかならん
信照法師
かへるには錦をや着ん旅衣
權少僧都永運
いつのまに旅寐の夢の見えつらん
盛憲法師
しらぬ野の末には松の見えながら
木鎭法師
夢さますうきねの舟の夜ごとに
良阿法師
舟とめて夜ともす火の川上に
二品法親王
ゆきゆきて旅こそ里に歸りけれ
都より文のたよりを松浦潟
救濟法師
これぞこの身のたくはへの旅のつと
關白前左大臣
道はなほうらなる芦邊島がくれ
人人に百韻の連歌めされけるついでに
後鳥羽院御製
といふ句に
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