University of Virginia Library

菟玖波集

 それ和歌は、兩儀剖判ののち、萬物未だ成らざる以來、神世より傳へて人代に逮び、既に章句を聯ね、漸く文字を整へ、風賦比興雅頌の六義を分かち、長短・旋頭・混本の諸體をあらはす。ここを以て詞林ますます華麗の艶をあらはし、思泉いよいよ芳潤の流れを添ふ。然れども連歌はその言約にしてその旨遠く、義は周詩に歸し、體は倭歌に合するなり。蓋し日本武尊蝦夷を平げ、菟玖波の艱難を嘆きたまひ、中納言家持は言を棹川の水に寄せ、業平の朝臣は情を逢阪の關に停め、天暦の御門は叡旨を滋野内侍に遺し、北野天神は天の御戸漸く舊りぬるを告ぐ。みなこれ理は幽玄に入り、事は神明に通ずるものなり。中葉爾降雅詠いよいよ暢び、

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什相聯なり、四時の景象形容せざるなく、萬慮の情性吟詠せざるなし。啻に日域の風俗を述ぶるのみにあらず、剩さへ漢家の故事を採れり。然れば則ち代代の聖主これを撰集に加へ、家家の前修執範を作ることをなす。或は花下に詠じ、或は月前に嘯くの輩、美譽後世に埀るといへども、佳句遺音を傳へず。嗟呼惜しいかな。而していま華闕風融らぎ、京洛陽和の仁に依り、柳營露遍く、邊藩も天均の惠みを被る。民は教化を美め、人は孝敬を成す。ここに幽情を舒べ、常に微詞を綴りて、或は諷詠の媒となし、或は教誡の端となす。賢愚誠を致し、尊卑以て思ひを陳べ、心に盡くさざるなく、詞に通ぜざるはなし。ここを以て旦に讀み、夕に見るの暇、片文集字の志に感じ、述べて作らず、名づけて菟玖波集と曰ふ。古今の作を分かたず、上下の句を擇ばず、その數二千有餘、鄙俚の詞は來哲の嘲を貽すといへども、手を林を擧げ、纔かに一枝を攀ぢ、目を崑山に寓し、たまたま片玉を拾ふは、譬へば猶天を窺ふに管を以てし、海を測るに蠡を以てするがごとし。方に庶幾は將來に傳へ、能者を待たん。時に文和五年三月二十五日、編緝已に畢んぬ。菟玖波の道を尋ね、佐保川の流れを受くと云ふこと爾り。