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拾遺和歌集卷第二十 哀傷
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

20. 拾遺和歌集卷第二十
哀傷

小野宮太政大臣

むすめにまかり後れて又の年の春櫻の花ざかりに家の花を見ていさゝかに思をのぶといふ題をよみ侍りける

櫻花のどけかりけりなき人を戀ふる泪ぞまづは落ちける

平兼盛

俤にいろのみ殘る櫻ばないくよのはるをこひむとすらむ

清原元輔

花の色も宿も昔のそれながら變れる物は露にぞありける

大中臣能宣

櫻花匂ふ物からつゆけきは木のめも物をおもふなるべし

大納言延光

この事をきゝ侍りてのちに

君まさばまづぞ折らまし櫻花風のたよりに聞ぞかなしき

一條攝政

中納言敦忠まかりかくれて後ひえのにし坂もとに侍りける山里に人々まかりて花見侍りけるに

古はちるをや人のをしみけむ花こそ今はむかしこふらし

女藏人兵庫

天暦の帝かくれ給ひて又のとし五月五日に宮内卿兼通がもとに遣はしける

さ月きて長雨増ればあやめ草思絶えにし音こそ泣かるれ

粟田右大臣

ふくたりといひ侍りける

[_]
[1]ごの
やり水にさうぶをうゑ置きてなくなり侍りにける後の年おひ出でゝ侍りけるをみて

忍べとやあやめも知らぬ心にも長からぬ世の憂にうゑ劔

右大臣顯光

右兵衛佐のぶかたまかりかくれにけるに親のもとに遣はしける

こゝにだに徒然と鳴く時鳥ましてこゝひの森はいかにぞ

藤原道信朝臣

朝がほの花を人のもとに遣はすとて

朝顏をなに儚しと思ひけむひとをも花はさこそみるらめ

天暦御製

夏柞の紅葉のちり殘りたりけるにつけて女五のみこのもとに

時ならで柞の紅葉散りに鳬いかにこのもと寂しかるらむ

大貳國章

妻のなくなりて侍りける頃秋風のよさむにふき侍りければ

思ひきや秋の夜風の寒けきに妹なき床にひとりねむとは

天暦御製

中宮かくれ給ひての年の秋御前の前栽に露の置きたるを風の吹きなびかしたるを御覽じて

秋風になびく草葉の露よりも消えにし人を何にたとへむ

人麿

妻にまかりおくれて又の年の秋の月を見侍りて

去年みてし秋の月夜は照せ共あひみし妹はいや遠ざかる

權中納言敦忠

朱雀院の御四十九日の法事にかの院の池のおもに霧の立ちわたりて侍りけるを見て

君なくて立つ朝霧は藤ごろも池さへきるぞ悲しかりける

人麿

さる澤の池に采女の身をなげたるを見て

わぎも子がねくたれ髮を猿澤の池の玉もと見るぞ悲しき

よみ人志らず

題志らず

心にもあらぬ憂世に墨染のころもの袖のぬれぬ日ぞなき

服ぬぎ侍るとて

藤衣はらへてすつるなみだ川きしにもまさる水ぞ流るゝ

藤衣はつるゝいとは君こふる泪のたまのをとやなるらむ

藤原道信朝臣

恒徳公の服ぬぎ侍るとて

限あればけふぬぎ捨てつ藤衣はてなきものは泪なりけり

としのぶが流されける時流さるゝ人は重服をきて罷ると聞きて母がもとよりきぬに結びつけて侍りける

人なしゝむねのちぶさをほむらにてやく墨染の衣きよ君

大江爲基

思ふめにおくれてなげく頃よみ侍りける

藤衣あひ見るべしと思ひせばまつにかゝりて慰めてまし

年ふれどいかなる人か床ふりて相思ふ人に別れざるらむ

よみ人志らず

題志らず

墨染の衣の袖はくもなれやなみだの雨のたえず降るらむ

擧賢藏人頭正五位下左近少將廿五義孝從五位上右近少將春宮權亮二十

天延二年九月十六日同日卒

兼徳公の北の方ふたり子どもなくなりて後

蜑といへどいかなる蜑の身なればかよににぬ鹽を垂渡る覽

藤原爲頼

むかし見侍りし人々多くなくなりたることを歎くを見侍りて

世中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにける哉

右衞門督公任

返し

常ならぬ世は憂身こそ悲けれ其數にだに到らじと思へば

伊勢

親におくれて侍りけるころ男のとひ侍らざりければ

なき人もあるがつらきを思ふにも色わかれぬは泪なりけり

よみ人志らず

題志らず

美くしと思ひし妹を夢に見ておきて探るになきぞ悲しき

清原元輔

順が子なくなりて侍りける頃とひに遣はしける

思ひやるこゝゐの森の雫にはよそなる人の袖もぬれけり

平兼盛

子におくれてよみ侍りける

なよ竹のわが此世をば知らずしておほし立てつと思ひける哉

藤原共政朝臣妻

大納言朝光がむすめの女御まかりかくれにける事をきゝ侍りて筑紫よりとひにおこせて侍りける頃子馬助ちかしげがなくなりて侍りければ

われのみや此よは憂きと思へ共君も歎くと聞くぞ悲しき

返し

浮世にはある身もうしと歎きつゝ泪のみ社ふる心ちすれ

伊勢

生み奉りたりけるみこのなくなりて又のとし郭公をきゝて

死出の山越えてきつらむ時鳥戀しきひとのうへ語らなむ

平定文

伊勢がもとにこの事をとひに遣はすとて

思ふよりいふは愚に成ぬれば譬へていはむ言の葉ぞ無き

貫之

中納言兼輔めなくなりて侍りける年の師走に貫之まかりて物いひ侍りけるついでに

戀ふるまに年の暮れなば亡人の別やいとゞ遠くなりなむ

よみ人志らず

めなくなりて後に子もなくなりにける人をとひに遣はしたりければ

いかにせむ忍の草も摘侘びぬ形見とみてし子だに無れば

子ふたり侍りける人の一人は春まかりかくれいま一人は秋なくなりにけるを人のとぶらひて侍りければ

春は花秋は紅葉と散りはてゝ立ち隱るべきこの本もなし

中務

むすめにおくれ侍りて

忘られて暫し眠ろむ程もなくいつかは君を夢ならでみむ

うまごに後れ侍りて

憂ながら消えせぬ物は身なりけり羨ましきは水の泡かな

よみ人志らず

題志らず

世中を斯いひ/\て果々はいかにやいかにならむとす覽

人麿

吉備津の采女なくなりて後よみ侍りける

[_]
[2]漣や
しがのてこらがまかりにし川せの道をみれば悲しも

讃岐のさみねの島にして岩やのなかにてなくなりたる人を見て

沖津波よるあら磯をしきたへの枕とまきてなれる君かも

貫之

紀友則身まかりにけるによめる

あすしらぬ我身と思へど暮れぬまのけふは人社悲かりけれ

あひしれる人のうせたる所にてよめる

夢とこそいふべかりけれ世中は現ある物と思ひけるかな

人麿

女の死に侍りて後悲びてよめる

家にいきて我宿をみれば玉笹のほかに置きたる妹がこ枕

まきもくの山邊ひゞきて行水の水沫の如くよをばわがみる

石見に侍りてなくなり侍りぬべき時にのぞみて

妹山の岩根における我をかもしらずて妹が待つゝあらむ

紀貫之

世中心ぼそく覺えて常ならぬ心ちし侍りければ公忠朝臣のもとによみて遣はしける、このあひだ病重くなりにけり。

手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世に社有けれ

この歌よみ侍りて程なくなくなりにけるとなむ家の集にかきて侍る。

御製

朱雀院うせさせ給ひけるほど近くなりて太皇太后宮をさなくおはしましけるを見たてまつらせ給ひて

呉竹の我世はことになりぬ共ねはたえせずもなかるべき哉

よみ人志らず

題志らず

鳥部山谷に煙のもえたつははかなく見えし我と知らなむ

すけきよ左近番長

やまひして人多くなくなりし年なき人を野ら藪などにおきて侍るを見て

みな人の命を露にたとふるは草村ごとにおけばなりけり

世のはかなきことをいひてよみ侍りける

草枕人はたれとかいひ置きし露のすみかは野山とぞみる

沙彌滿誓

題志らず

世中を何にたとへむ朝ぼらけこぎ行くふねの跡のしら波

源相方朝臣

忠蓮南山の房のゑに死人を法師の見侍りてなきたるかたをかきたるを見て

契あれば屍なれ共逢ひぬるを我をば誰れか訪むとすらむ

よみ人志らず

題志らず

山寺の入相の鐘の聲ごとにけふもくれぬと聞くぞ悲しき

慶滋保胤大内記

法師にならむとていでける時に家にかきつけて侍りける

憂世をば背かばけふも背きなむ明日もありとは頼むべき身か

よみ人志らず

題志らず

世中に牛のくるまのなかりせば思の家をいかでいでまし

藤原高光

法師にならむとしける頃雪のふりければたゝうがみにかきおきて侍りける

世中にふるぞ儚き白雪のかつは消えぬるものとしる/\

能宣

服に侍りける頃あひしりて侍りける女の尼になりぬと聞きて遣はしける

墨染の色はわれのみと思ひしを憂世を背く人もありとか

よみ人志らず

返し

墨染の衣とみればよそながら諸共にきる色にぞありける

右衞門督公任

成信重家ら出家し侍りける頃左大辨行成がもとにいひ遣しける成信、從四位上右近中將。重家、從四位下左近少將。長保二年二月三日出家

思知る人もありける世中をいつをいつとて過ぐすなる覽

少納言藤原理にとし頃ちぎる事侍りけるを志賀にて出家し侍ると聞きていひ遣はしける

さゞ波や志賀の浦風いかばかり心の内のすゞしかるらむ

齋院

女院の御八講の捧物にかねしてかめのかたを作りてよみ侍りける

ごふ盡す御水洗川の龜なれば法の浮木にあはぬなりけり

御製

天暦の御時故きさいの宮の御賀せさせ給はむとて侍りけるを宮うせ給ひにければやがてそのまうけして御諷誦おこなはせ給ひける時

早晩と君にと思ひし若菜をば法の道にぞけふは摘みつる

春宮大夫道綱母

爲雅朝臣普門寺にて經供養し侍りて又の日これかれ諸共にかへり侍りけるついでに小野にまかりて侍りけるに花のおもしろかりければ

薪こる事は昨日につきにしをいざ斧のえは爰にくたさむ

實方朝臣

左大將濟時白川にて説教せさせ侍りけるに

けふよりは露のいのちもをしからず蓮の上の玉と契れば

おこなひし侍りける人のくるしく覺え侍りければえおき侍らざりける夜の夢にをかしげなる法師のつき驚かしてよみ侍りける

朝ごとに拂ふ塵だにある物を今幾夜とてたゆむなるらむ

雅致女式部

性空上人のもとによみて遣はしける

暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照せ山の端の月

仙慶法師

極樂をねがひてよみ侍りける

極樂はるけき程と聞きしかどつとめて至る所なりけり

空也上人天録三年九月於東山西光寺入滅

市門にかきつけて侍りける

一度も南無阿彌陀佛といふ人の蓮の上にのぼらぬはなし

光明皇后山階寺にある佛跡にかきつけ給ひける

みそぢあまり二つの姿備へたる昔の人のふめる跡ぞこれ

大僧正行基よみ給ひける

法華經を我がえしことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し

百草にやそ草そへて給ひてしちぶさの報けふぞわがする

南天竺より東大寺の供養にあひに菩提がなぎさにきつきたりける時よめる

靈山の釋迦のみ前に契りてし眞如くちせず逢見つるかな

波羅門僧正

返し

迦毘羅衛に共に契りしかひありて文珠の御顏相みつる哉

聖徳太子片岡の山邊道人の家に坐しけるに餓ゑたる人道のほとりにふせり。太子の乘りたまへる馬とゞまりてゆかず。ぶちをあげて打ち給へどしりへしりぞきてとゞまる。太子即馬よりおりて餓ゑたる人のもとに歩みすゝみ給ひて紫の上の御ぞをぬぎてうゑの人の上に覆ひ給ふ。歌をよみて宣はく

しなてるや片岡山にいひに餓ゑてふせる旅人哀おやなし

に汝れなれけめやさす竹のきねはやなきいひに餓ゑてこやせる旅人あはれ/\といふ歌なり。

餓人かしらを擡げて御返しを奉る

いかるがやとみのを川の絶えば社我大君のみなを忘れめ
[_]
[1] Shinpen kokka Taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1; hereafter cited as SKT) reads この.
[_]
[2] SKT reads さざなみの.