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18. 拾遺和歌集卷第十八
雜賀

紀貫之

延喜二年五月中宮の御屏風元日

昨日よりをちをばしらず百年の春の始は今日にぞ有ける

伊勢

屏風に

はる%\と雲居をさしてゆく舟の行末遠く思ほゆるかな

元輔

九條の右大臣の五十賀の屏風に竹ある所に花の木ちかくあり

花の色も常磐ならなむ弱竹の長きよに置く露しかゝらば

爲明の朝臣紀のかみに侍りける時ちひさき子を抱き出でゝこれ祈れ/\といひたる歌よめと云ひ侍りければ

万代をかぞへむ物はきのくにの千尋の濱の眞砂なりけり

よみ人志らず

東宮のいしなどりの石めしければ三十一を包みて一つにひと文字をかきてまゐらせける

苔むさば拾ひもかへむさゞれ石の數をみなとる齡幾世ぞ

貫之

賀の屏風人の家に松のもとより泉出でたり

松のねに出づる泉の水なれば同じき物を絶えじとぞ思ふ

左大臣

冷泉院五六のみこ袴き侍りける頃いひおこせて侍りける

岩の上の松に譬へむ君々はよにまれらなる種とぞ思へば

元輔

ある人の産して侍りける七夜

松が枝の通へる枝をとぐらにてすだてらるべき鶴の雛哉

大貳國章うまごのいかにわりごてうじて歌をゑにかゝせける

松の苔千年をかけておひ茂れ鶴のかひこの巣共みるべく

よみ人志らず

題志らず

我のみや子もたるてへば高砂の尾上にたてる
[_]
[1]松もこも

貫之

延喜の御時齋院の屏風四帖せんじによりて

幾世へし磯邊の松ぞ昔より立ちよる浪やかずはしるらむ

元輔

人のかうぶりし侍りけるに

こ紫たれ引く雲をしるべにてくらゐの山のみねを尋ねむ

參議好古

天暦の御時内裏にて爲平のみこはかまき侍りけるに

百敷に千年の事は多かれどけふの君はためづらしきかな

春宮大夫道綱母

五月五日ちひさきかざりちまきを山すげのこにいれて爲正の朝臣のむすめに心ざすとて

心ざし深きみぎはにかるこもは千年のさ月いつか忘れむ

清原元輔

天徳四年右大臣の五十賀の屏風に

千年へむ君しいまさばすべらぎの天の下こそ後やすけれ

右衛門督公任

東三條院の賀左大臣のし侍りけるに上達部かはらけとりて歌よみ侍りけるに

君が世に今幾度かかくしつゝ嬉しき事に逢はむとすらむ

右大臣の家つくりあらためて渡り始めける頃ふみつくり歌など人々によませ侍りけるに水樹多佳趣といふ題を

住みそむる末の心の見ゆるかなみぎはの松の蔭を移せば

權中納言敦忠

ある人の賀し侍りけるに

千年ふる霜の鶴をば置き乍ら久しき物は君にぞありける

貫之

清和の女七のみこの八十賀重明のみこのし侍りける時の屏風に竹に雪の降かゝりたるかたある處に

白雪は降りかくせども千世までに竹の縁は變らざりけり

元輔

子をとみはたとつけて侍りけるに袴きすとて

世中にことなる事はあらずともとみはたしてむ命長くば

右大將實資

中將に侍りける時右大辨源致方の朝臣のもとへ八重こをばいををりて遣はすとて

流俗の色にはあらずうめのはな

致方朝臣

珍ちようすべきものとこそみれ

筑紫へまかりける時にかまど山のもとにやどりて侍りけるにみちづらに侍りける木にふるくかきつけて侍りける

春はもえ秋はこがるゝかまど山

元輔

かすみもきりもけぶりとぞみる

藤原忠君朝臣右兵衞督

春良峯のよしかたがむすめのもとに遣はすとて

思ひ立ちぬるけふにもあるかな

むすめ

かゝらでもありにしものを春霞

廣幡の御息所に參りて遲くわたらせ給ひければ

くらすべしやはいまゝでにきみ

とそうし侍りければ

とふやとぞ我も待つる春の日を

天暦御製

宵に久しうおほとの籠らでおほせられける

さよふけて今はねぶたく成に鳬

しげのゝ内侍少貳命婦

御前にさぶらひて奏しける

ゆめにあふべきひとやまつらむ

内にさぶらふ人を契りて侍りける夜おそくまうできけるほどに丑滿と時申しけるをきゝて女のいひ遣はしける

人こゝろうしみつ今は頼まじよ

良宗貞

ゆめに見ゆやとねぞすぎにける

平定文

題志らず

引寄せば唯にはよらで春駒の綱引するぞなは立つと聞く

よみ人志らず

花の木はまがき近くは植ゑてみじ移ろふ色に人傚ひけり

夏は扇冬は火桶に身をなしてつれなき人に寄も付かばや

戀するに佛になるといはませば我ぞ淨土の主人ならまし

灌佛の童を見侍りて

から衣たつより落つる水ならでわが袖ぬらす物や何なる

藤原義孝

修理大夫惟正が家に方たがへにまかりたりけるにいだして侍りける枕にかきつけ侍りける

つらからば人にかたらむ敷妙の枕かはして一夜ねにきと

おなじ少將かよひ侍りける所に兵部卿致平のみこまかりて少將のきみおはしたりといはせ侍りけるを後に聞きてかのみこのもとに遣はしける

あやしくもわれ濡衣きたるかな三笠の山を人にかられて

平公誠

忍びたる人のもとに遣はしける

隱れ簑隱笠をもえてしがなきたりと人にしられざるべく

よみ人志らず

年月をへてけさうし侍りける人のつれなくのみ侍りければ今はさらによにもあらじといひて後久しく音づれず侍りければかの男の妹うとにさき%\も語らひて文など遣はしければいひ遣はしける

心有りてとふには非ず世中にありやなしやのきかま欲きぞ

語らひける人の久しう音せず侍りければたかうなを遣はすとて

君とはで幾よへぬらむ色かへぬ竹の古ねの生ひ變るまで

紀貫之

延喜十七年八月宣旨によりてよみ侍りける

こぬ人をしたに待ちつゝ久方の月を哀といはぬよぞなき

柿本人丸

題志らず

梓弓引きみひかずみこずばこずこば社猶ぞよそに社みめ

一條攝政

春日の使にまかりて歸りてすなはち女のもとに遣はしける

暮ればとく行きて語らむ逢事の十市の里の住うかりしも

よみ人志らず

あづまよりある男のまかり上りてさま%\ものいひ侍りける女のもとにまかりたりけるにいかで急ぎ上りつるぞなどいひ侍りければ

愚にも思はましかば東路の伏屋といひしのべにねなまし

女のもとに遣はしける文のつまをひきやりて返り事をせざりければ

跡もなき葛城山を踏見れば我が渡しこしかたはしかもし

人のさうしかゝせ侍りける奧にかきつけ侍りける

書きつくる心みえなる跡なれどみても忍ばむ人やある迚

春宮女藏人左近

大納言朝光下らふに侍りける時女のもとにしのびてまかりて曉にかへらじといひければ

岩橋のよるの契も絶えぬべし明くる侘しきかつらぎの神

春宮大夫道綱母

入道攝政まかりかよひける時女のもとに遣はしける文を見侍りて

疑はし他に渡せる文みれば我れやと絶えにならむとす覽

よみ人志らず

題志らず

いかでかは尋ねきつらむ蓬生の人も通はぬわが宿のみち

承香殿女御

東三條にまかり出でゝ雨の降りけるに

雨ならでもる人もなきわが宿を淺茅が原と見るぞ悲しき

大納言朝光

まかりかよふ所の雨のふりければ

いにしへはたが故郷ぞ覺束な宿もる雨にとひてしらばや

高階成忠女

中納言平惟仲久しうありて消息して侍りける返事にかゝせ侍りける

夢とのみ思ひなりにし世中をなに今更におどろかすらむ

源公忠朝臣

題志らず

人も見ぬ所に昔君とわがせぬわざ/\をせしぞこひしき

藤原後生が女少納言

左大將濟時があひしりて侍りける女筑紫にまかり下りけるに實方の朝臣うさの使にてくだり侍りけるにつけてとぶらひに遣はしたりければ

けふ迄は生きの松原いきたれど我身のうさに歎てぞふる

則忠朝臣女

成房の朝臣法師にならむとていひむろにまかりて京の家にまくらばこをとりに遣はしたりければかきつけて侍りける

活たるか死ぬるかいかに思ほえむ身よりほかなる玉櫛笥哉
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[1] Shinpen kokka Taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1) reads 松もこもたり.