拾遺和歌集 (Shui wakashu [Book 1]) | ||
18. 拾遺和歌集卷第十八
雜賀
紀貫之
延喜二年五月中宮の御屏風元日
伊勢
屏風に
元輔
九條の右大臣の五十賀の屏風に竹ある所に花の木ちかくあり
爲明の朝臣紀のかみに侍りける時ちひさき子を抱き出でゝこれ祈れ/\といひたる歌よめと云ひ侍りければ
よみ人志らず
東宮のいしなどりの石めしければ三十一を包みて一つにひと文字をかきてまゐらせける
貫之
賀の屏風人の家に松のもとより泉出でたり
左大臣
冷泉院五六のみこ袴き侍りける頃いひおこせて侍りける
元輔
ある人の産して侍りける七夜
大貳國章うまごのいかにわりごてうじて歌をゑにかゝせける
よみ人志らず
題志らず
貫之
延喜の御時齋院の屏風四帖せんじによりて
元輔
人のかうぶりし侍りけるに
參議好古
天暦の御時内裏にて爲平のみこはかまき侍りけるに
春宮大夫道綱母
五月五日ちひさきかざりちまきを山すげのこにいれて爲正の朝臣のむすめに心ざすとて
清原元輔
天徳四年右大臣の五十賀の屏風に
右衛門督公任
東三條院の賀左大臣のし侍りけるに上達部かはらけとりて歌よみ侍りけるに
右大臣の家つくりあらためて渡り始めける頃ふみつくり歌など人々によませ侍りけるに水樹多佳趣といふ題を
權中納言敦忠
ある人の賀し侍りけるに
貫之
清和の女七のみこの八十賀重明のみこのし侍りける時の屏風に竹に雪の降かゝりたるかたある處に
元輔
子をとみはたとつけて侍りけるに袴きすとて
右大將實資
中將に侍りける時右大辨源致方の朝臣のもとへ八重こをばいををりて遣はすとて
致方朝臣
筑紫へまかりける時にかまど山のもとにやどりて侍りけるにみちづらに侍りける木にふるくかきつけて侍りける
元輔
藤原忠君朝臣右兵衞督
春良峯のよしかたがむすめのもとに遣はすとて
むすめ
廣幡の御息所に參りて遲くわたらせ給ひければ
とそうし侍りければ
天暦御製
宵に久しうおほとの籠らでおほせられける
しげのゝ内侍少貳命婦
御前にさぶらひて奏しける
内にさぶらふ人を契りて侍りける夜おそくまうできけるほどに丑滿と時申しけるをきゝて女のいひ遣はしける
良宗貞
平定文
題志らず
よみ人志らず
灌佛の童を見侍りて
藤原義孝
修理大夫惟正が家に方たがへにまかりたりけるにいだして侍りける枕にかきつけ侍りける
おなじ少將かよひ侍りける所に兵部卿致平のみこまかりて少將のきみおはしたりといはせ侍りけるを後に聞きてかのみこのもとに遣はしける
平公誠
忍びたる人のもとに遣はしける
よみ人志らず
年月をへてけさうし侍りける人のつれなくのみ侍りければ今はさらによにもあらじといひて後久しく音づれず侍りければかの男の妹うとにさき%\も語らひて文など遣はしければいひ遣はしける
語らひける人の久しう音せず侍りければたかうなを遣はすとて
紀貫之
延喜十七年八月宣旨によりてよみ侍りける
柿本人丸
題志らず
一條攝政
春日の使にまかりて歸りてすなはち女のもとに遣はしける
よみ人志らず
あづまよりある男のまかり上りてさま%\ものいひ侍りける女のもとにまかりたりけるにいかで急ぎ上りつるぞなどいひ侍りければ
女のもとに遣はしける文のつまをひきやりて返り事をせざりければ
人のさうしかゝせ侍りける奧にかきつけ侍りける
春宮女藏人左近
大納言朝光下らふに侍りける時女のもとにしのびてまかりて曉にかへらじといひければ
春宮大夫道綱母
入道攝政まかりかよひける時女のもとに遣はしける文を見侍りて
よみ人志らず
題志らず
承香殿女御
東三條にまかり出でゝ雨の降りけるに
大納言朝光
まかりかよふ所の雨のふりければ
高階成忠女
中納言平惟仲久しうありて消息して侍りける返事にかゝせ侍りける
源公忠朝臣
題志らず
藤原後生が女少納言
左大將濟時があひしりて侍りける女筑紫にまかり下りけるに實方の朝臣うさの使にてくだり侍りけるにつけてとぶらひに遣はしたりければ
則忠朝臣女
成房の朝臣法師にならむとていひむろにまかりて京の家にまくらばこをとりに遣はしたりければかきつけて侍りける
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