University of Virginia Library

6. 拾遺和歌集卷第六

よみ人志らず

春ものへまかりける人に曉にいでたちける所にてとまり侍りける人のよみ侍りける

春霞たつ曉を見るからにこゝろぞそらになりぬべらなる

題志らず

櫻花露にぬれたるかほ見ればなきてわかれし人ぞ戀しき

ちる花は道みえぬまで埋まなむ別るゝ人も立ちや止ると

曾禰好忠

ものへまかりける人のもとに人々まかりてかはらけとりて

鴈がねの歸るをきけば別路は雲居はるかに思ふばかりぞ

御製

天歴の御時小貳の命婦豊前に罷侍ける時盤所にて餞せさせ給ふに被け物給ふとて

夏衣たちわかるべき今宵こそひとへに惜しき物添ひぬれ

よみ人志らず

題志らず

忘るなよ別路におふる葛のはの秋風ふけばいま歸りこむ

別てふことは誰かは始めけむ苦しき物としらずやありけむ

時しもあれ秋しも人の別るればいとゞ袂ぞ露けかりける

御製

天歴の御時九月十五日齋宮下り侍りけるに樂子天歴皇女母計子中納言庶明女

君が世を長月とだに
[_]
[1]思はずば
いかに別のかなしからまし

忠見

十月ばかりにものへまかりける人に

露にだにあてじと思し人しもぞ時雨ふる頃旅に行きける

能宣

ものへまかりける人に馬のはなむけし侍りて扇つかはしける

別路をへだつる雲のためにこそ扇の風をやらまほしけれ

讀人志らず

題志らず

別れてはあはむあはじぞ定めなき此夕ぐれや限なるらむ

別路は戀しき人の文なれややらでのみ社みまくほしけれ

貫之

ものへまかりける人のおくり、關山までし侍るとて

別行くけふは惑ひぬ逢坂は歸りこむ日の名に社ありけれ

能宣

いせよりのぼり侍りけるにしのびて物いひ侍りける女のあづまへ くだりけるが逢坂にまかりあひて侍りけるに遣しける

行末の命もしらぬわかれぢはけふ逢坂やかぎりなるらむ

赤染衛門

大江爲基あづまへまかり下りけるに扇を遣はすとて

惜む共なき物故にしかすがの渡りときけばたゞならぬ哉

源のよしたねが三河介にて侍りけるむすめのもとに母のよみて遣はしける

諸共にゆかぬ三河の八橋はこひしとのみやおもひ渡らむ

源順

兼盛駿河のかみにて下り侍りける馬のはなむけし侍るとて

別路は渡せる橋もなき物をいかでかつねにこひ渡るべき

貫之

信濃國に下りける人のもとに遣はしける

月かげはあかず見るとも更科の山のふもとに長居すな君

天歴御製

共政朝臣肥後守にて下り侍けるに妻のひぜんが下りけるに筑紫櫛御ぞなど給ふとて

別るれば心をのみぞ筑紫櫛さしてみるべき程をしらねば

よみ人しらず

天歴の御時御めのと肥前がいで羽の國に下り侍りけるにせん給ひけるに藤壷よりさうぞく給ひけるに添へられたりける

行く人をとゞめがたみの唐衣たつより袖の露けかるらむ

御乳母少納言

同じ御乳母のせんに殿上のをのこども女房など別をしみ侍りける に

惜むともかたしや別れ心なる泪をだにもえやはとゞむる

女藏人參河

東路の草葉をわけむひとよりも後るゝ袖ぞまづは露けき

よみ人志らず

題志らず

別るればまづ泪こそさきにたて爭で後るゝ袖のぬるらむ

別るゝを惜しとぞ思ひつるぎばの身をより碎く心地のみして

三條太皇太后宮

源弘景ものへまかりけるにさうぞく給ふとて

旅人のつゆ拂ふべき唐衣まだきもそでのぬれにけるかな

貫之

橘公頼帥になりてまかり下りける時利貞が繼母内侍のすけのうまのはなむけし侍りけるにさうぞくにそへて遣はしける

あまたには縫ひ重ねゝど唐衣思ふ心はちへにぞありける

題志らず

遠く行く人のためには我袖の涙のたまもをしからなくに

よみ人志らず

惜むとて止る事こそ難からめわが衣手をほしてだにゆけ

貫之

田舍へまかりける時

糸による物ならなくに別路は心ぼそくもおもほゆるかな

戒秀法師

みちの國の守これともが罷り下りけるに彈正のみこのかうやく遣はしけるに

龜山にいく藥のみありければとゞむるかたもなき別かな

藤原清正

藤原の雅正が豐前守に侍りける時爲頼が覺束なしとて下り侍りけ るに馬のはなむけし侍るとて

思ふ人あるかたへゆく別路ををしむ心ぞかつはわりなき

元輔

肥後守にて清原元輔くだり侍りけるに源滿仲せんし侍りけるにかはらけとりて

いかばかり思ふらむとかおもふらむ老て別るゝ遠き別を

源滿仲朝臣

返し

君はよし行末遠し止る身のまつ程いかゞあらむとすらむ

よみ人志らず

題志らず

後れゐてわが戀をれば白雲のたなびく山をけふや越ゆ覽

右衛門源兼澄女

命をぞいかならむとは思來しいきて別るゝ世に社ありけれ

橘倚平

筑紫へまかりける人のもとにいひ遣しける

昔見しいきの松原こととはゞ忘れぬ人もありとこたへよ

藤原爲頼

陸奧守にて下り侍りける時三條太政大臣餞し侍りければよみ侍りける

たけ隈の松を見つゝや慰めむきみが千年の陰にならひて

平兼盛

みちの國の白河の關越え侍りけるに

便あらばいかで都へつげやらむけふ白河の關はこえぬと

右衛門督公任

實方朝臣みちのくにへ下り侍りけるにしたぐら遣はすとて

東路の木の下くらくなりゆかば都のつきを戀ざらめやは

よみ人志らず

題志らず

旅行かば袖社ぬるれもる山の雫にのみはおほせざらなむ

兼盛

恒徳公の家の障子に

汐みてる程に行きかふ旅人や濱名のはしと名け初めけむ

貫之

たみのゝ島のほとりにて雨にあひて

雨により田簔の島に分行けど名には隱れぬ物にぞ有ける

伊勢

難波にはらへし侍りてまかり歸りけるあかつきにもりの侍りけるに時鳥のなき侍りけるを聞きて

時鳥ねぐらながらのこゑきけばくさの枕ぞ露けかりける

能宣

物へまかりける道にて雁のなくをきゝて

草枕我のみならず雁がねもたびの空にぞなきわたりける

よみ人志らず

題志らず

君をのみ戀ひつゝ旅のくさまくら露しげからぬ曉ぞなき

平兼盛

源公貞が大隈へまかり下りけるにせきとの院にて月のあかゝりけるに別をしみ侍りて

はるかなる旅の空にも後れねば羨ましきは秋のよのつき

能宣

秋旅にまかりけるにいなみのに宿りて

女郎花我に宿かせいなみのゝ否といふ共こゝを過ぎめや

重之

筑紫へ下りける道にて

舟路には草の枕も結ばねばおきながらこそ夢も見えけれ

弓削よしとき

帥伊周つくしへまかりけるにかはじりはなれ侍りけるによみ侍りける

思ひ出もなき故郷の山なれどかくれゆくはた哀なりけり

贈太政大臣

流され侍りて後いひおこせて侍りける

君がすむ宿の梢のゆく/\と隱るゝまでに歸りみしはや

かなをか金岡仁明天皇御時人也承和四年九月五圖御所繪

かさの金岡が唐土にわたりて侍りけるときめの長歌よみて侍りける返し

浪の上に見えし小島の島がくれ行く空もなし君に別れて

柿本人麿

もろこしにて

あまとぶや鴈の使にいつしかもならの都に言傳てやらむ

人丸入唐事此歌外無所見。但上古事雖可任本。

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[1] Shinpen kokka Taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1) reads 思はずは.