拾遺和歌集 (Shui wakashu [Book 1]) | ||
20. 拾遺和歌集卷第二十
哀傷
小野宮太政大臣
むすめにまかり後れて又の年の春櫻の花ざかりに家の花を見ていさゝかに思をのぶといふ題をよみ侍りける
平兼盛
清原元輔
大中臣能宣
大納言延光
この事をきゝ侍りてのちに
一條攝政
中納言敦忠まかりかくれて後ひえのにし坂もとに侍りける山里に人々まかりて花見侍りけるに
女藏人兵庫
天暦の帝かくれ給ひて又のとし五月五日に宮内卿兼通がもとに遣はしける
粟田右大臣
ふくたりといひ侍りける
やり水にさうぶをうゑ置きてなくなり侍りにける後の年おひ出でゝ侍りけるをみて右大臣顯光
右兵衛佐のぶかたまかりかくれにけるに親のもとに遣はしける
藤原道信朝臣
朝がほの花を人のもとに遣はすとて
天暦御製
夏柞の紅葉のちり殘りたりけるにつけて女五のみこのもとに
大貳國章
妻のなくなりて侍りける頃秋風のよさむにふき侍りければ
天暦御製
中宮かくれ給ひての年の秋御前の前栽に露の置きたるを風の吹きなびかしたるを御覽じて
人麿
妻にまかりおくれて又の年の秋の月を見侍りて
權中納言敦忠
朱雀院の御四十九日の法事にかの院の池のおもに霧の立ちわたりて侍りけるを見て
人麿
さる澤の池に采女の身をなげたるを見て
よみ人志らず
題志らず
服ぬぎ侍るとて
藤原道信朝臣
恒徳公の服ぬぎ侍るとて
としのぶが流されける時流さるゝ人は重服をきて罷ると聞きて母がもとよりきぬに結びつけて侍りける
大江爲基
思ふめにおくれてなげく頃よみ侍りける
よみ人志らず
題志らず
擧賢藏人頭正五位下左近少將廿五義孝從五位上右近少將春宮權亮二十
天延二年九月十六日同日卒
兼徳公の北の方ふたり子どもなくなりて後
藤原爲頼
むかし見侍りし人々多くなくなりたることを歎くを見侍りて
右衞門督公任
返し
伊勢
親におくれて侍りけるころ男のとひ侍らざりければ
よみ人志らず
題志らず
清原元輔
順が子なくなりて侍りける頃とひに遣はしける
平兼盛
子におくれてよみ侍りける
藤原共政朝臣妻
大納言朝光がむすめの女御まかりかくれにける事をきゝ侍りて筑紫よりとひにおこせて侍りける頃子馬助ちかしげがなくなりて侍りければ
返し
伊勢
生み奉りたりけるみこのなくなりて又のとし郭公をきゝて
平定文
伊勢がもとにこの事をとひに遣はすとて
貫之
中納言兼輔めなくなりて侍りける年の師走に貫之まかりて物いひ侍りけるついでに
よみ人志らず
めなくなりて後に子もなくなりにける人をとひに遣はしたりければ
子ふたり侍りける人の一人は春まかりかくれいま一人は秋なくなりにけるを人のとぶらひて侍りければ
中務
むすめにおくれ侍りて
うまごに後れ侍りて
よみ人志らず
題志らず
人麿
吉備津の采女なくなりて後よみ侍りける
讃岐のさみねの島にして岩やのなかにてなくなりたる人を見て
貫之
紀友則身まかりにけるによめる
あひしれる人のうせたる所にてよめる
人麿
女の死に侍りて後悲びてよめる
石見に侍りてなくなり侍りぬべき時にのぞみて
紀貫之
世中心ぼそく覺えて常ならぬ心ちし侍りければ公忠朝臣のもとによみて遣はしける、このあひだ病重くなりにけり。
この歌よみ侍りて程なくなくなりにけるとなむ家の集にかきて侍る。
御製
朱雀院うせさせ給ひけるほど近くなりて太皇太后宮をさなくおはしましけるを見たてまつらせ給ひて
よみ人志らず
題志らず
すけきよ左近番長
やまひして人多くなくなりし年なき人を野ら藪などにおきて侍るを見て
順
世のはかなきことをいひてよみ侍りける
沙彌滿誓
題志らず
源相方朝臣
忠蓮南山の房のゑに死人を法師の見侍りてなきたるかたをかきたるを見て
よみ人志らず
題志らず
慶滋保胤大内記
法師にならむとていでける時に家にかきつけて侍りける
よみ人志らず
題志らず
藤原高光
法師にならむとしける頃雪のふりければたゝうがみにかきおきて侍りける
能宣
服に侍りける頃あひしりて侍りける女の尼になりぬと聞きて遣はしける
よみ人志らず
返し
右衞門督公任
成信重家ら出家し侍りける頃左大辨行成がもとにいひ遣しける成信、從四位上右近中將。重家、從四位下左近少將。長保二年二月三日出家
少納言藤原統理にとし頃ちぎる事侍りけるを志賀にて出家し侍ると聞きていひ遣はしける
齋院
女院の御八講の捧物にかねしてかめのかたを作りてよみ侍りける
御製
天暦の御時故きさいの宮の御賀せさせ給はむとて侍りけるを宮うせ給ひにければやがてそのまうけして御諷誦おこなはせ給ひける時
春宮大夫道綱母
爲雅朝臣普門寺にて經供養し侍りて又の日これかれ諸共にかへり侍りけるついでに小野にまかりて侍りけるに花のおもしろかりければ
實方朝臣
左大將濟時白川にて説教せさせ侍りけるに
おこなひし侍りける人のくるしく覺え侍りければえおき侍らざりける夜の夢にをかしげなる法師のつき驚かしてよみ侍りける
雅致女式部
性空上人のもとによみて遣はしける
仙慶法師
極樂をねがひてよみ侍りける
空也上人天録三年九月於東山西光寺入滅
市門にかきつけて侍りける
光明皇后山階寺にある佛跡にかきつけ給ひける
大僧正行基よみ給ひける
南天竺より東大寺の供養にあひに菩提がなぎさにきつきたりける時よめる
波羅門僧正
返し
聖徳太子片岡の山邊道人の家に坐しけるに餓ゑたる人道のほとりにふせり。太子の乘りたまへる馬とゞまりてゆかず。ぶちをあげて打ち給へどしりへしりぞきてとゞまる。太子即馬よりおりて餓ゑたる人のもとに歩みすゝみ給ひて紫の上の御ぞをぬぎてうゑの人の上に覆ひ給ふ。歌をよみて宣はく
に汝れなれけめやさす竹のきねはやなきいひに餓ゑてこやせる旅人あはれ/\といふ歌なり。
餓人かしらを擡げて御返しを奉る
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