拾遺和歌集 (Shui wakashu [Book 1]) | ||
17. 拾遺和歌集卷第十七
雜秋
源順
屏風に七月七日
平兼盛
圓融院の御屏風に棚機まつりしたる所にまがきのもとに男たてり
貫之
七夕後朝みつねがもとに遣はしける
人麿
題志らず
天暦御製
七夕まつりかける御扇にかゝせ給ひける
よみ人志らず
題志らず
中務
大禄四年五月二十一日圓融院のみかど一品の宮にわたらせ給ひてらむ棊とらせ給ひけるにまけわざを七月七日にかの宮より内の臺盤所に奉られける扇にはられて侍りけるうす物にをりつけて侍りける
元輔
源順
おなじ御時御屏風七月七日夜ことひく女あり
平定文
仁和の御時屏風に七月七日女の河水浴みたる所
藤原義孝
七月七日よみ侍りける
右衞門督公任
寂昭がもろこしにまかり渡るとて七月七日舟にのり侍りけるにいひ遣はしける
貫之
七夕後朝に躬恒がもとより歌よみておこせて侍りける返ごとに
よみ人志らず
題志らず
天暦の御屏風に
源重之
三條太政大臣の家にて歌人めし集めてあまたの題よませ侍りけるに岸のほとりの花といふことを
僧正遍昭
房の前栽見に女どもまうで來りければ
よみ人志らず
題志らず
平兼盛
圓融院の御屏風に秋の野にいろ/\花咲き亂れたる所に鷹すゑたる人あり
貫之
女郎花といふことを句のかみに置きて
題志らず
能宣
善滋爲政
中宮のうちにおはしましける時月の明き夜歌よみ侍りけるに
よみ人志らず
延喜十九年九月十三日御屏風に月にのりて翫潺湲
順
八月に人の家のつり殿にまらうど許多ありて月を見る
元輔
清愼公の五十賀の屏風に
曾禰好忠
題志らず
人麿
好忠
三百六十首のなかに
躬恒
右大將定國の家の屏風に
人麿
題志らず
女
ちかどなりなる所に方たがへにわたりて宿れりと聞きてある程にことにふれてみきくに歌よむべき人なりと聞きてこれが歌よまむさまいかでよくみむと思へどもいとも心にしあはねば深くも思はず進みてもいはぬ程にかれも亦心みむと思ひければ萩の葉のもみぢたるにつけて歌をなむおこせたる
貫之
返し
人麿
題志らず
よみ人志らず
忠見
天暦の御時菊の宴侍りけるあしたに奉りける
よみ人志らず
ものねたみしける男はなれ侍りて後に菊の移ろひて侍りけるを遣はすとて
人麿
題志らず
忠見
屏風に翁のいね運ばするかたかきて侍りける所に
躬恒
延喜の御時月次の御屏風のうた
惠慶法師
はらへしに秋、から崎にまかり侍りて舟のまかりけるを見侍りて
よみ人志らず
題志らず
小一條太政大臣貞信公
亭子院の大井川に御幸ありて行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふにことのよし奏せむと申して
大中臣能宣
たび人の紅葉のもとゆくかたかける屏風に
よみ人志らず
題志らず
躬恒
齋院の御屏風に
清原元輔
内裏の御屏風に
修理内近允、藤眞行女
藏人所にさぶらひける人のひをの使にまかりにけるとて京に侍りながら音もし侍らざりければ
よみ人志らず
題志らず
源順
九月つごもりの日をとこ女野に遊びて紅葉をみる
清原元輔
十月ついたちの日殿上の男子ども嵯峨野にまかりて侍るともによばれて
能宣
時雨を
源順
十月しがの山ごえしける人々
躬恒
冬、親の喪にあひて侍りける法師のもとに遣はしける
中務
天暦の御時伊勢が家の集めしたりければまゐらすとて
天暦御製
御返し
權中納言義懷入道して後むすめの齊院にやしなひたまひけるがもとよりのひんがし院に侍りける姉のもとに十月ばかりに遣はしける
曾禰好忠
三百六十首の中に
元輔
高岳相如が家に冬の夜の月おもしろう侍りける夜まかりて
東宮女藏人左近
祭の使にまかりていでける人のもとより摺袴すりに遣はしけるを遲しと責められければ
能宣
小忌に當りたる人の許に罷りたりければ女ども盃にひかげを添へて出したりければ
貫之
右大臣恒佐の家の屏風に臨時祭かきたる所に
よみ人志らず
題志らず
貫之
中務のみこ具平
雪をしま%\のかたに作りてみ侍りけるにやうやう消え侍りければ
藤原通頼加賀守從五位下右少雅我男
東宮の御屏風に冬野やく所
貫之
師走のつごもり頃に身の上を歎きて
三統元夏式部大輔理千子
西なる隣に住みてかくちかどなりにありける事など云ひおこせ侍りて
貫之
返し
師走のつごもりがたに年の老いぬることを歎きて
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