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續千載和歌集十九 哀傷歌
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19. 續千載和歌集十九
哀傷歌

後京極攝政前太政大臣

題志らず

消えはてし幾世の人のあとならむ空にたなびく雲も霞も

法皇御製

百首の歌めされしついでに

人の世の習をしれとあきつのに朝ゐる雲の定めなきかな

覺仁法親王

題志らず

瀧つせに早く落ちくる水の泡のありとはみえてなき世なり

修明門院大貳

後鳥羽院かくれさせ給うける時御月忌始賀茂の祭の日にあたり侍りければ通忠卿の母の許に申しつかはしける

思ひきや葵をよそのかざしにて誰も泪のかゝるべしとは

右近大將通忠母

返し

形見ぞとみるに泪ぞかゝりける葵はよその挿頭と思ふに

圓光院入道前關白太政大臣

右大臣于時權大納言のもとへ權大納言冬基さうぶの根を送り侍りける事を身まかりて後傳へ聞きて次の年の五月五日ねにそへてつかはしける

思へたゞおいの命のながきねに又ねをそへてなげく心を

右大臣

返し

思はずよ去年の浮寐を形見にてけふ諸共に忍ぶべしとは

大納言師氏

題志らず

朝がほの露に命をくらぶれば花のにほひは久しかりけり

新院御製

朝がほの花は籬にうゑてみむ常ならぬ世を思ひしるやと

永福門院内侍

何事かおもひもおかむ末の露もとの雫にかゝるうき世に

前僧正道性

龜山院の御事を思ひ出でゝ

忘らるゝ時こそなけれあだにみしとゝせの夢の秋の面影

慈道法親王

秋霧のはれぬ歎きも深かりきかくれし月のあかつきの空

平惟貞

都へのぼりて侍りける時平宗宣朝臣にあひともなひて都に侍りしことを思ひ出でゝよみ侍りける

住みなれしみやこの宿に月を見ばひとり昔の影や忍ばむ

昭慶門院一條

伏見院かくれさせ給ひにける秋龜山院の御事を思ひ出でゝよみ侍りける

うき秋のおなじ哀れに昔とも今ともわかずぬるゝ袖かな

太政大臣

前大納言爲氏身まかりて後十三年にあたりける時誦經のさゝげ物をおくるとて

忘れじよ消えにし露の草枕たゞそのたびの長きわかれは

前大納言爲世

返し

今さらにとふにも秋の草枕きえにし露のたびぞかなしき

讀人志らず

身まかりける人の歌をかきあつめて人の許へつかはすとて

消えはてし露のかたみの言の葉に泪をそへてぬるゝ袖哉

伏見院御製

龜山院かくれさせ給うて後昭訓門院御ぐしおろさせ給ひける時入道前太政大臣のもとにつかはされける

今日かはる袖の色にも露きえじあはれや更におき所なき

式部卿久明親王

伏見院かくれさせ給ひにける時人のもとへつかはしける

思へたゞたのみしかげも色かはる深山の奥の秋の悲しさ

後鳥羽院下野

前中納言定家身まかりて後前大納言爲家嵯峨の家に住み侍りける頃申しつかはしける

尋ねばやみぬ古への秋よりも君が住みけむ宿はいかにと

前大納言爲家

返し

都人なにの色にかたづねみむしぐれぬさきの秋のやま里

おなじ頃法印覺寛、思ひやる袂までこそしをれけれ秋のさが野のしげき夕露と申して侍りければ

朽ちぬべし思遣るだに絞るなるうき身のさがの秋の袂は

新宰相

伏見院かくれさせ給ひにける秋の暮によみ侍りける

時雨さへかゝる秋こそ悲しけれ泪ひまなき頃のたもとに

前權僧正教範

安嘉門院かくれさせ給ひにける時長月の頃いたく時雨のふりければ

聞くもうし涙の外の夕時雨ぬるゝをいとふ袖ならねども

法印定爲

前大納言爲氏身まかりて長月の頃ひとめぐりにあたり侍りけるに津守國助おとづれて侍りける返事に

いかばかりしぐるとかしる廻逢ふ秋さへはての長月の空

前大納言爲氏

京極院、御こと侍りて四十九日、九月盡日にて侍りけるに御佛事の間よみて御堂のうしろどにさしおかせける

なき跡はかたみだに猶留らで秋もわかれとちる木のは哉

賀茂遠久

母身まかりて後よみける

立ちよりて時雨もしばし過すべき柞の杜の影だにもなし

法印行深

入道一品親王源性かくれ侍りにける秋の頃前大僧正禪助に申しつかはしける

惜むべき日數も秋もくれぬとや露は泪のいろをそふらむ

平宗宣朝臣

平貞時朝臣身まかりて後鹿の鳴くをきゝて

けふは又永き別れをしたひてや秋より後も鹿の鳴くらむ

山本入道前太政大臣

藻壁門院少將身罷りて後、人の夢に見えて、あるかひも今はなぎさの友千鳥くちぬその名の跡や殘らむとよみ侍りける歌の心を辨内侍人々にすゝめてよませ侍りけるに

なき跡を忍ぶ昔の友千鳥おもひやるにもねはなかりけり

藤原業尹

西行法師が庵室にて寄花思故人といふことを

すみすてし人は昔になりはてゝ花に跡とふ宿ぞふりぬる

前參議雅有

左近中將定長身まかりにける頃思ひ出づる事ありて前大納言長雅のもとに申しつかはしける

人の世も我が身一つに悲しきは同じ心のやみぢなりけり

源信明朝臣

朱雀院かくれさせ給うての頃

悲しさの月日にそへて今日よりは我が身一つに止るべき哉

讀人志らず

人におくれてよみ侍りける

おくれゐて歎くだにこそ悲しけれ獨り闇路は君迷ふらむ

太宰大貳重家

俊惠法師、母身まかり侍りにける時、申しつかはしける

思ふらむ心やいかになべて世のさらぬ別といひはなすとも

俊惠法師

返し

いざや又さらぬ別も習はねば猶覺めやらぬ夢かとぞ思ふ

前僧正道性

なき人を夢にみて

面かげを心に殘すおもひねの夢こそ人のかたみなりけれ

前大納言良教

題しらず

はかなしやこれは夢かと驚かで長き夜すがら覺めぬ心は

前大僧正源惠

夢の世をみてぞ驚く現にておくれ先だつならひありとは

從三位氏久

智道上人身まかりけるよしきゝて

驚けば夢をのみきく世なりけりまどろむ程や現なるらむ

平貞房

平貞朝の母身まかりける時よめる

現とも夢ともわかぬ面影の身にそひながら別れぬるかな

源兼胤朝臣

後近衛關白前右大臣身まかりて後人のもとへ申しつかはしける

暫しこそうきを夢とも辿りしか覺めぬ現のはてぞ悲しき

慈寛法師

題志らず

驚かぬ心ぞつらきめの前にさだめなき世の夢はみれども

大江宗秀

うせにける人を夢にみて

覺むるより頓て泪の身にそひてはかなき夢にぬるゝ袖哉

權僧正憲淳

題志らず

風にちる眞葛が露は結べども消えにし人ぞ又もかへらぬ

津守國冬

母の思ひに侍りける頃父にもおくれ侍りにしことを思ひ出でゝよめる

よしさらば此の度つきね我が涙又もあるべき別ならねば

權僧正覺圓

無常の歌とて

聞きそふる世のはかなさに驚かで偖いつ迄の身と思ふらむ

權大僧都忠性

なき人を思ひ出でゝ

折々にあらましかばと思ひいづる心ぞ今も變らざりける

平氏村

平時常身まかりて後常にかきかはしける文のうらに經をかきて人の許よりおくられにければ

心だに通はゞ苔のしたにてもさぞな哀れとみづくきの跡

法印憲基

從一位貞子身まかりける骨を高野山に送り侍るとて道にてよみ侍りける

行くさきの道も覺えず高野山これを別れのはてと思へば

法印覺守

後二條院御忌の程に人々十首の歌よみ侍りけるに

御幸とは聞きなれしかどこの山の烟を果と思ひやはせし

式乾門院御匣

題志らず

鳥部山はれせぬ峯のうきぐもやなきが數そふ烟なるらむ

式部卿久明親王

三條入道内大臣の女身まかりにける頃

立ちのぼる烟も雲も消えにしを涙の雨ぞはるゝよもなき

高階宗成朝臣

近衛關白身まかりにける事をなげきて

身にかへてとむる習ひのありもせば我ぞ今宵の烟ならまし

蓬生法師

藤原經綱が妻身まかりて後夢に六字の名號を上におきて歌をよみてとぶらへと見え侍りけるとて人々にすゝめければよみてつかはしける中に

哀れ猶とまる命もある物をかはる習ひのなどなかるらむ

前大僧正道昭

弟子におくれて歎き侍りける頃、無常の心を

末遠く思ひし人をさきだてゝしばし浮世に殘るはかなさ

藤原重綱

平貞時朝臣身まかりける時人のとぶらひ侍りける返事に

おのづからとはゞおもひもなぐさまで又泪そふ墨染の袖

讀人志らず

頼みて侍りける人の娘身まかりて侍りけるに色をば許しながら出家をばとゞめけれども思ひにたへずさまをかへて侍りけるに人のもとより衣をおくりて侍りける返事に

いとゞなほ涙の色のふかきかなふたゝびきつる墨染の袖

藤原基任

觀意法師身まかりて後服ぬぎ侍るとてよめる

たちそめし時はうかりし藤衣又ぬぎかふるはてぞ悲しき

左大臣

母の身まかりにける時思ひの外に服を着侍らざりければ

今年わがきるべき物を麻衣よそなるさへぞいとゞ露けき

常磐井入道前太政大臣

後高倉院御はての日よみ侍りける

ぬぎかふる袖の別れの藤衣身にそふ露はさてもかわかじ

行胤法師妹

贈從三位爲子まかりて五七日の佛事に經を送りけるつゝみ紙にかきつけ侍りける

三十日餘りけふとふ法の言の葉にしるや泪の露かゝるとは

昭訓門院春日

返し

分きてかくとはるゝ法の言の葉やけふゆく道の知べなる覽

藤原宗秀

爲道朝臣の十三年の佛事いとなみて侍りけるついでに、懷舊の心を

なき影の跡とふ今日の名殘さへくれなば又や遠ざかりなむ

平時仲

平時村朝臣身まかりて後十三年の佛事などいとなみ侍りける時思ひつゞけ侍りける

生きて世にあらばと人を思ふにもけふこそは袖は猶萎れけれ

前僧正道性

龜山院十三年の御佛事の頃、母の十三年、同じ年月にあたりける人のもとへ申しつかはしける

くらべばや誰かまさると十年餘り同じ三とせの秋の泪を

前參議雅有

藤原雅行身まかりて後叙位に加階し侍りけるよし都より人の申して侍りければ

なき跡に猶立ちのぼる位山ありてきくよと思はましかば