University of Virginia Library

風雅和歌集序

大和歌は、天地未だ開けざるより其のことわりおのづからあり。人のしわざ定まりて後此の道遂に顯れたり。世をほめ時を誹る、雲風に付けて志を叙ぶ、喜びに逢ひ愁に向ふ、花鳥を翫びて思ひを動かす。言葉幽かにして旨深し。眞に人の心を正しつべし。下を教へ上を諫む、すなはち政の本となる。難波津の君にそへし歌は天の下の風をかけ、淺香山の采女の戯ぶれは四方の民の心を和ぐ。やまと言の葉の淺はかなるに似たれども、周雅の深き道均しかるべし。かるが故に代々の聖の帝も之を捨て給はず。目に見えぬ鬼神の心にも通ふは此の歌なり。然るを世降り道衰へ行きしより、徒に色を好む媒となりて國を治むる業を知らず。いはむや又近き世となりて、四方の事業廢れ眞少く僞多くなりにければ、偏に飾れる姿巧なる心ばせを旨として古への風は殘らず。あるひは古き詞を盜み僞れるさまを繕ひなして更に其の本に惑ふ。又心を先とすとのみ知りて、ひなびたる姿だみたる言の葉にて思ひみたる心ばかりを言ひあらはす。正しき心すなほなる詞は古の道なり。眞に之をとるべしといへども、ことわり迷ひて強ひて學ばゝすなはち賤しき姿となりなむ。艷なる躰巧なる心優ならざるにあらず。若し本意を忘れて妄に好まば此の道偏に廢れぬべし。かれもこれも互に迷ひて、古への道にはあらず。あるひは姿高からむとすれば其の心足らず。言葉細やかなれば其のさま賤し。艷なるはたはれ過ぎ、強きは懷かしからず。凡べて之を言ふに、そのことわり茂き、言の葉にて叙べ盡し難し。旨を得てみづから悟りなむ。おほよそ出雲八雲の色に志を染め、和歌の浦波に名をかくる人々、流れての世に絶えずして、各思ひのつゆ光を磨きて玉を聯ね、詞の花匂ひを添へて錦を織るとのみ思ひ合へる内に、眞の心を得て歌の道を知れる人は猶數少くなむありける。難波の芦のあしよし別け難く、片糸の引き%\にのみ爭ひ合ひて亂りがはしくなりにけり。誰か之を傷まざらむや。唯古き姿を慕ひ正しき道を學ばゞおのづから其のさかひに入りぬべし。抑昔は天つ日嗣を受けて、百敷のうち繁き事業に紛れすぐしゝを、今は塵のほか藐姑射の山靜かなる住まひを占めながら、猶天の下萬の政を聞きて、夙に起き夜はに寐ぬる暇無し。然るを此の頃八つのえん亂れし塵も治まりて野飼の駒もとり繋がず、四方の海荒かりし浪も靜まりてふな渡しする貢物絶えずなりにければ、萬の道の衰へ四方の事わざの廢るゝを歎く。之に由りて元久の昔の跡を尋ねて、古き新しき詞目につき心に適ふを撰び集めてはた卷とせり。名づけて風雅和歌集といふ。これ色に染み情に引かれて目の前の興をのみ思ふにあらず。正しき風古への道末の世に絶えずして、人の惑ひを救はむが爲なり。時に貞和二年十一月九日になむしるし畢りぬる。このたびかく撰び置きぬれば、濱千鳥久しき跡をとゞめ、浦の玉藻磨ける光を殘して、葦原や亂れぬ風代々に吹き傳へ、敷島の正しき道を尋ねむ後の輦、迷はぬ志るべとならざらめかも。