新拾遺和歌集 (Shin Shui wakashu) | ||
7. 新拾遺和歌集卷第七
賀歌
元正天皇御製
左大臣の佐保の家にみゆきせさせ給うける時
法成寺入道前攝政太政大臣
長元四年九月上東門院住吉の社に詣でさせ給ひける時人々歌詠み侍りけるに
西園寺入道前太政大臣
建久二年八十島の祭に住吉に罷りて詠み侍りける
津守國助
弘安八年住江に御幸ありて行旅述懷といふ事を詠ませられ侍りけるに仕うまつりける
權大納言公明
松延齡友といふことをよみ侍りける
等持院贈左大臣
暦應二年六月、仙洞にて、松影映池と云ふ事を
爲道朝臣
弘安八年三月從一位貞子に九十の賀給はせける時詠み侍りける
後嵯峨院大納言典侍
龜山院の御時龜山殿に行幸ありて花契遐年と云ふ事を講ぜられけるに
中院前内大臣
法橋顯昭
二品覺性法親王に八重櫻に添へて遣しける
二品法親王覺性
返し
前中納言定家
元久三年正月高陽院殿にて、庭花春久と云ふ事を
今出川入道前右大臣
元徳二年中殿にて花契萬春と云ふ事を講ぜられしに
前參議爲秀
文和五年二月松有佳色と云ふことを仕うまつりける
照光院前關白右大臣
康永三年後の二月仙洞に松遐年友と云ふ事を講ぜられけるに
入道前内大臣
前大納言經顯
前大納言公蔭
前大納言忠季
前參議實名
貞治二年二月春松久緑と云ふ事を講ぜられけるに
藤原雅家朝臣
花園院御製
卅首の歌召されしついでに
左兵衛督基氏
題志らず
前大納言俊光
文保の千首の歌奉りし時
御製
百首の歌召されし時、祝言
等持院贈左大臣
後醍醐院御製
正中の百首の歌召されける次でに
皇太后宮大夫俊成
建仁三年十一月和歌所にて九十の賀給はりける時仕うまつりける
正三位經家
後鳥羽院宮内卿
同じき時給はせける法眼の袈裟のおき物にすべき歌召されけるに
建禮門院右京大夫
此の歌を賀せられむとて召されて參りて終夜見侍りてなべてならぬ道の面目いみじく覺えける餘りにつとめて申し遣はしける
皇太后宮大夫俊成
返し
式部卿敦賢親王
承保三年大井川に行幸の日詠める
衣笠前内大臣
建保六年中殿にて池月久明と云ふ事を講ぜられけるに
從三位行能
信實朝臣
前中納言定家
建保二年九月、月契千秋と云ふ事を
權大納言行成
東三條院石山に詣でゝおはしましけるに秋の盡くる日人々浮橋といふ所に罷りて歸りがてにして歌詠み侍りけるに
前大納言實教
後宇多院紅葉の頃昭慶門院に御幸ありて人々枝に歌をつくべき由仰せられけるに詠める
後宇多院宰相典侍
元弘三年、立后の屏風に
三條内大臣
崇徳院位におはしましける時法金剛院に行幸侍りて菊契千秋と云ふ事を詠ませ給ひけるに
前關白左大臣九條
百首の歌奉りし時、庭竹
後照念院關白太政大臣
正和五年内裏造營の比竹臺の呉竹を尋ねられけるを奉るとて結び付けゝる
内大臣
延文四年庭上鶴と云ふ事をよませられけるに
辨乳母
人の子生ませ侍りけるにうぶぎぬ遣すとて
源師光
祝の心を
權僧正永縁
十二月晦日に藤原基俊の子法師と云ふが許にもちひ鏡遣すとて云ひ遣しける
基俊
返し
權大納言義詮
百首の歌奉りし時、祝言
法印定
題志らず
入道二品親王法守
貞和の百首の歌奉りし時
津守國冬
嘉元の百首の歌奉りける時
源有長朝臣
洞院攝政の家の百首の歌に、祝
藤原經衡
後三條院の御時、大甞會の備中國の歌
前中納言匡房
堀川院の御時、大甞會の近江國の歌
清輔朝臣
高倉院の御時、大甞會の備中國の歌
同じき御屏風の歌
權中納言時光
今上の御時、大甞會の御屏風に
前大納言爲定
文保の百首の歌奉りける時
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