後拾遺和歌集 (Goshui wakashu [Introduction]) | ||
8. 後拾遺和歌集第八
別
惠慶法師
祭主輔親ゐなかへまかり下らむとしけるに野の花山の紅葉などは誰とか見むとするといひてつかはしける
祭主輔親
かへし
源道濟
田舎へくだりける人の許にまかりたりけるに侍らざりければ家の柱にかきつけゝる
増基法師
東へまかるとて京をいづる日よみ侍りける
藤原道信朝臣
遠江守爲憲まかりくだりけるにある所より扇つかはしけるによめる
藤原惟規
父のもとに越後にまかりけるに逢坂のほどより源爲善の朝臣のもとにつかはしける
藤原長能
田舎へまかりける人に狩衣扇つかはすとて
選子内親王
筑後守藤原爲正國に下り侍りけるに扇給はすとて藤の枝つくりたるにむすびつけて侍りける
藤原爲正
かへし
藤原道信朝臣
人の遠き所にまかりけるに
藤原倫寧朝臣
入道攝政わかう侍りける頃大納言道綱の母にかよひ侍りけるにみちのくにへまかり下らむとて見よとおぼしくて女の硯にいれて侍りける
入道攝政
かへし
堪圓法師
筑紫にくだりて侍りけるにのぼらむとて家あるじなる人のもとに遣はしける
相摸
源頼清の朝臣みちのくにの守はてゝ又肥後守になりて下り侍りけるをいでたちの所に誰ともなくてさしおかせ侍りける
嘉言對馬になりて下り侍りけるに人にかはりて遣しける
大江嘉言
對馬になりてまかり下りけるに津の國のほどより能因法師がもとにつかはしける
中納言定頼
橘則光みちのくにゝ下り侍りけるにいひつかはしける
橘則長
よしみちの朝臣十二月の頃ほひ宇佐の使にまかりけるに年あけばかうぶり給はらむ事など思ひて餞給ひけるにかはらけ取りてよみ侍りける
慶範法師
筑紫へ下りける人にうまのはなむけし侍るとて人々酒たうべてひねもすに遊びて夜やう/\ふけゆくまゝに老いぬることなど云ひ出してよみ侍りける
讀人志らず
筑紫よりのぼりて後良勢法師のもとにつかはしける
良勢法師
かへし
藤原家經朝臣
能因法師伊豫國にまかり下りけるに別惜みて
源兼長
能因法師伊豫國よりのぼりて又歸リ下りけるに人々馬のはなむけしてあけむ春のぼらむといひ侍りければよめる
源道濟
語らふ人のみちの國に侍りけるに
能登へまかり下りけるに人々まできて歌よみ侍りければ
中納言定頼
讃岐へまかりける人に遣しける
源光成
かへし
源兼隆
爲善伊賀にまかり侍りけるに人々餞たまひけるにかはらけとりて
源爲善朝臣
大江公資の朝臣遠江守にて下り侍りけるに志はすの廿日頃に馬のはなむけすとてかはらけとりてよみ侍りける
祭主輔親
あからさまに田舎へまかると女のもとにいひつかはしたりけるかへりごとに志ばしときけど關こゆるなどあれば遠き心地こそすれといひて侍りければ遣はしける
赤染衛門
橘道員式部を忘れてみちのくにゝ下り侍りければ式部がもとにつかはしける
中原頼成
物いひける女のいづちともなく遠き所へなむいくといひ侍りければ
祭主輔親
女に睦じくなりてほどなく遠き所にまかりければ女のもとより、雲居はるかにいくこそあるかなきかの心地せらるれといひ侍りける返事につかはしける
藤原節信
筑紫にまかりけるむすめに
連敏法師
筑紫にまかりてのぼり侍りけるに人々別惜み侍りけるによめる
大江正言
出雲へ下るとて能因法師のもとにつかはしける
前大納言公任
寂昭法師入唐せむとて筑紫へまかり下るとて七月七日舟にのり侍りけるに遣しける
寂昭法師
入唐し侍りけるみちより源心がもとにおくり侍りける
讀人志らず
成尋法師もろこしにわたり侍りて後かの母のもとに遣はしける
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