University of Virginia Library

Search this document 

 0. 
expand section1. 
expand section2. 
expand section3. 
expand section4. 
expand section5. 
expand section6. 
expand section7. 
expand section8. 
expand section9. 
expand section10. 
expand section11. 
expand section12. 
expand section13. 
expand section14. 
expand section15. 
expand section16. 
expand section17. 
expand section18. 
collapse section19. 
後拾遺和歌集第十九 雜五
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
expand section20. 

19. 後拾遺和歌集第十九
雜五

出羽辨

後冷泉院みこの宮と申しける時二條院はじめてまゐりたまひけるを見たてまつる事やありけむよみ侍りける

春毎の子日は多くすぎつれどかゝる二ばの松はみざりき

大貳三位

二條院東宮にまゐり給ひて藤つぼにおはしましけるに前中宮の此のふぢつぼにおはせし事など思ひいづる人の侍りければ

忍びねの涙なかけそかくばかりせばしと思ふころの袂に

出羽辨

かへし

春の日に歸らさりせば古への袂ながらやくち果てなまし

源爲善朝臣

後冷泉院みこの宮と申しける時うへの男子ども一品の宮の女房と諸共に花を玩びけるに故中宮のいではも侍るときゝて遣しける

花ざかり春の山べの曙におもひわするなあきのゆふぐれ

入道前太政大臣

三條院春の宮と申しける時式部卿敦儀親王うまれて侍りけるに御はかしたてまつるとてむすびつけて侍りける

萬世を君が守りと祈りつゝたち造り江の志るしとをみよ

三條院御製

御かへし

古への近き守を戀ふるまにこれは忍ぶる志るしなりけり

或人云、この歌は故左大將濟時みこ達のおほぢにて侍りければけふの事をかの大將や取扱はましなどおぼし出でゝよませたまひけるなり。

法住寺太政大臣

一條攝政かくれ侍りて後少將義孝子生ませて侍りける七夜に昔を思ひ出でゝよみ侍りける

ちゞにつけ思ひぞ出づる昔をば長閑かれ共君ぞいはまし

源相方朝臣

六條左大臣身まかりて後播磨國に下り侍りけるに高砂の程にて?は高砂となむ云ふと或人いひ侍りければ昔を思ひ出づる事やありけむよみ侍りける

高砂と高くないひそ昔きゝし尾上の志らべまづぞ戀しき

選子内親王

後一條院をさなくおはしましける時祭御覽じけるにいつきのわたり侍りけるをり入道前太政大臣いだきたてまつり侍りけるをみたてまつりてのちに太政大臣の許につかはしける

光出づる葵の影をみてしかば年へにけるも嬉しかりけり

入道前太政大臣

かへし

諸葛二葉ながらも君にかくあふひや神の志るしなるらむ

選子内親王

後一條院の御時賀茂の行幸侍りけるに上東門院御輿にのらせ給ひてむらさき野よりかへらせ給ひける又のあしたきこえさせ給ひける

御幸せしかもの川波歸るさにたちやよるとて待明しつる

上東門院中將

後冷泉院の御時上東門院に御ゆきあらむとしけるをとゞまりて後うちより硯の箱の蓋に櫻の枝を入れて奉らせ給ひたりける御かへしにおほせ事にてよみ侍りける

みゆきとか世にはふらせて今は唯梢の櫻ちらずなりけり

六條院宣旨

小辨、齋院にまゐり侍りてほのかに見奉るよしいひおこせて侍りける返事に

木綿垂や繁き木のまを漏る月の朧げならでみえし影かは

入道前太政大臣

宇治前太政大臣、少將に侍りける時春日のつかひにいでたち侍るに又の日雪のふり侍りけるに大納言公任が許につかはしける

若菜つむ春日の原に雪ふれば心づかひをけふさへぞやる

前大納言公任

かへし

身をつみて覺束なきは雪やまぬ春日の野べの若菜也けり

二條前太政大臣、少將に侍りける時春日のつかひにまかりて又の日霧のいみじうたち侍りければ入道前太政大臣のもとにつかはしける

三笠山かすがの原の朝霧に歸り立つらむけさをこそまて

伊勢大輔

上東門院、長家民部卿の三條の家に渡らせ給ひたりける頃俄に御幸ありて近き人々のいへめされければよかるべな所なきよしそうせさせ侍りけり。其御返事に歌をよみて參らせよとおほせられければ雪ふる日よみてまゐらせける

年つもる頭の雪はおほ空の光りにあたる今日ぞうれしき

家をかへしにすと仰せられてゆるされにけり。

源重之

冷泉院東宮と申しける時女の石井に水くみたるかた繪にかきたるをよめと仰事侍りければ

年をへて澄める清水に影みれば瑞齒ぐむ迄老ぞしにける

花山院御製

春頭白き人のゐたる所繪に書けるを

春來れどきえせぬ物は年をへて頭に積る雪にぞ有りける

伊勢大輔

三條院の御時大甞會の御禊などすぎての頃雪のふり侍りけるに大原にすみける少將井のあまの許につかはしける

世に動む豐の御禊をよそにして小鹽の山の御幸をや見し

少將井尼

かへし

小鹽山梢も見えず降積みしそやすべらぎの御幸なるらむ

伊勢大輔

一條院うせさせ給ひて上東門院里にまかり出で給ひにける又の年五節の頃昔を思ひ出でゝうへのをのこども引きつれて參りて侍りける中によみていだしける

はやくみし山ゐの水の薄氷打解けざまはかはらざりけり

讀人志らず

中納言實成宰相にて五節奉りけるに妹の弘徽殿の女御の御許に侍りける人かしづきに出でたりけるを中宮の御方の人々ほのかに聞きて、みならしけむ百敷をかしづきにてみるらむ程もあはれと思ふらむといひて箱の蓋に志ろがねのあふぎに蓬莱の山つくりなどしてさしぐしに日影のかづらを結びつけてたきものをたてぶみにこめてかの女御の御方に侍りける人のもとよりとおぼしくて左京のきみの許にといはせて果の日さしおかせける

多かりし豐の宮人さし分けて志るき日影を哀れとぞみし

藤原長能

かくて臨時祭になりて二條前太政大臣中將に侍りて祭のつかひし侍りけるにあるし箱のふたにぢんの櫛白がねのかうがいかねのはこにかゞみなどいれてつかひは中宮のはらからなればにや日かげとおぼしくてかゞみの上にあしでにてかきて侍りける

ひかげ草輝く影やまがひけむますみの鏡くもらぬものを

選子内親王

同じ人の五節のわらはのかざみかしづきのからぎぬに青ずりを志て赤紐などつけたりけり。人々見侍りけるにあをき紙のはしにかきてむすびつけさせ侍りける

神代よりすれる衣といひながら又かさねても珍しきかな

藤原實方朝臣

一條院の御時皇后宮五節奉り給ひけるにかいつくろひつかうまつりける人のつけて侍りける赤紐のとけていかにせむといひけるをきゝて結びつくとてよみ侍りける

足引の山ゐの水は凍れるをいかなる紐のとくるなるらむ

源頼家朝臣

物いひ侍りける女の五節に出でゝこと人にときゝ侍りければつかはしける

誠にやあまた重ねしをみ衣豐のあかりのかくれなきよに

法眼源賢

人のこをつけむと契りて侍りけれどこもりゐぬと聞きてこと人につけ侍りければよめる

思ひきやわが志めゆひし撫子を人の籬のはなとみむとは

平正家

父の志なのなる女をすみ侍りける許につかはしける

信濃なる曾乃原にこそあらねども我が帚木と今は頼まむ

源重之

一條院の御時大貳佐理筑紫に侍りけるに御手本かきに下し遣はしたりければ思ふ心かきて奉らむとてかきつくべき歌とて詠ませ侍りけるに詠める

都へといきの松原いきかへり君が千年にあはむとすらむ

中將尼

父の許にをさなくて筑前國に侍りて年へて後成順が其國になりて侍りければ下りて詠める

そのかみの人は殘らじ箱崎の松ばかりこそ我を志るらめ

藤原基房朝臣

阿波守になりて又同じ國にかへりなりて下りけるにこづかみの浦とい所に浪のたつを見てよみ侍りける

こづかみの浦の年へてよる浪も同じ所にかへるなりけり

連敏法師

頼國の朝臣紀伊守にて侍りける時いふべき事ありてまかりてけるをことさらに物いはざりければよみ侍りける

老の波よせじと人は厭ふともまつらむ物をわかの浦には

源兼長

肥後守義清下り侍りての年の秋さが野の花は見きやといひおこせて侍りける返事につかはしける

打群れし駒も音せぬ秋の野は草枯れ行けどみる人もなし

源兼俊母

あづまに侍りけるはらからの許にたよりにつけてつかはしける

にほひきや都のはなは東路の東風の返しの風につけしは

康資王母

かへし

吹き返すこちの返しは身に志みき都の花の知べと思ふに

大貳高遠

筑紫よりのぼらむとてはかたに侍りけるに舘の菊の面白く侍りけるを見て

取分きて我身に露や置きつらむ花より先にまづぞ移ろふ

藤原實方朝臣

みちのくにゝ侍りけるに中將宣方の朝臣の許につかはしける

やすらはで思立ちにし東路に有けるものかはらからの關

語ひ侍りける人の許にみちのくにより弓をつかはすとてよみ侍りける

陸奥のあだちの眞弓君にこそ思ひためたることは語らめ

大江匡衡朝臣

實方の朝臣みちのくにゝ侍りける時いひつかはしける

都にはたれをか君は思ひ出づる都の人はきみをこふめり

藤原實方朝臣

かへし

忘られぬ人の中には忘れぬをまつらむ人の中にまつやは

赤染衛門

攝津國に通ふ人の今なむ下るといひて後にも又京にありけるを聞きて人に代りてよめる

有てやは音せざるべき津の國の今ぞ生田の杜といひしは

相模

六原といふ寺に講に參り侍りけるにきのふの祭のかへさにみける車のかたはらにたちて侍りければいひつかはしける

昨日迄神に心をかけしかどけふこそ法にあふひなりけれ

和泉式部

石山に參りける道に山科といふ所にて息み侍りけるに家あるじの心あるさまに見え侍りければ今歸るさになどいひ侍りけるをよにさしもといひ侍りければ

歸るさをまち心みよかくながらよもたゞにては山科の里

堀川右大臣

山階寺供養の後宇治前太政大臣の許につかはしける

ふかきうみの誓ひはしらず三笠山心高くも見えし君かな

伊勢大輔

山里にまかりて歸る道に家經が西八條の家近しと聞きて車を引き入て見ありきけるに難波わたりの心ちせられていとをかしう侍りければ硯の箱の上にかきつけ侍りける

こも枕假の旅ねにあかさばや入江の芦のひと夜ばかりを

源頼實

山里にまかりて日くれにければ

日もくれぬ人もかへりぬ山里は峯の嵐のおとばかりして

橘俊綱朝臣

伏見といふ所に四條宮の女房あまた遊びて日暮れぬさきにかへらむとしければ

都人くるれば歸る今よりは伏見のさとの名をもたのまじ

讀人志らず

語らふ人の許にとし頃ありてまかりたりけるにおぼめくさよにやありけむ、よみ侍りける

杉も杉宿もむかしの宿ながらかはるはひとの心なりけり

蓮仲法師

ひえの山に二月の五番とて花など作る事侍りけり。其花つくらせむとて人の山によび登せて侍りければ昔此山にて物などまなびける事思ひ出でゝ

思ひきや古里人に身をなして花のたよりに山を見むとは

大中臣能宣朝臣

ある所に庚申しけるに御簾のうちの琴のあかぬ心をよみ侍りける

絶にけるはつかなるねを繰返し蔓の緒社聞かまほしけれ

相模

入道一品宮に人々參りて遊び侍りけるに式部卿敦貞のみこ笛などをかしくふき侍りければ、かのみこの許に侍りける人の許に又の日よべの笛のをかしかりしよしいひに遣したりけるをみこ傳へ聞きて思ふ事の通ふにや人志もこそあれきゝとがめけることなど侍りける返事に

いつかまた胡竹鳴るべき鶯の囀づりそめし夜はの笛たけ

大中臣能宣朝臣

人のあふぎに山里の人もすさまぬわたりかきたるをみてよめる

牡鹿ふす繁みにはへる葛の葉のうら寂しげに見ゆる山里

源重之

法師の色このめるを見てよめる

つねならぬやまの櫻に心いりて池の蓮をいひなはなちそ

藤原爲頼朝臣

人のかめにさけ入れてさかづきにそへて歌よみて出し侍りけるに

もちながら千世を廻らむ盃のきよき光はさしもかけなむ

中務卿兼明親王

小倉の家に住み侍りける頃雨の降りける日蓑かる人の侍りければ山吹の枝を折りてとらせて侍りけり。心もえでまかり過ぎて又の日山吹の心もえざりしよしいひおこせて侍りける返事にいひ遣はしける

七重八重花はさけ共山吹のみの一つだになきぞかなしき

清少納言

陸奥守則光くら人にて侍りける時いもせなどいひつけて語らひ侍りけるに里へ出でたらむ程に人々尋ねむにありかな告げそといひて里に

[_]
[1]まかり出でゝりけるを
人々せめて、せうとなれば志るらむとあるはいかゞすべきといひおこせて侍りける返事にめをつゝみて遣はしたりければ則光心もえでいかにせよとあるぞとまうで來てとひ侍りければよめる

潜ぎする蜑の在所をそこ也と勤いふなとやめをくはせ劔
[_]
[1] Shinpen kokka taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1) reads まかりいでて侍りけるを.

源頼俊

駿河守國房と車にのりてものにまかりける道にちゝの定季が墓ありとて俄に車よりおり侍りければよめる

垂乳根は儚くてこそやみにしかこは何處とて立止るらむ

慶範法師

山にすみうかれて越の國にまかり下りけるに思ひかけず良暹法師などあそびて昔の事思ひ出でゝ云ひ侍りければよめる

思へどもいかに習ひし道なれば志らぬ境とまどふなる覽

帥前内大臣

筑紫よりのぼりて道雅三位の童にて松君といはれ侍りけるをひざにすゑて久しう見ざりつるなどいひてよみ侍りける

淺茅生にあれにけれども古里の松は小高くなりにける哉

天台座主教圓

前伊勢守義孝宇治前太政大臣のうまやにくだりたりときゝて遣しける

古のまゆとしめにはあらね共君はみま草取りてかふとか

藤原義孝

使こざりけるさきにゆるされたりければ返事

離れてもかひ社なけれ青馬のとり繋がれし我身と思へば