University of Virginia Library

20. 新後拾遺和歌集卷第二十
慶賀歌

前大納言爲氏

題志らず

渡つ海の眞砂の數にあまれるは久しき君が千年なりけり

前中納言匡房

神山の麓をとむるみたらしの岩打つ浪やよろづ代のかず

前中納言定家

建保四年、百首の歌に

芳野川いはとがしはを越す波の常磐堅磐ぞ我が君の御世

後醍醐院御製

中殿にて花契萬春と云ふ事を講ぜられける時詠ませ給うける

時知らば花も常磐の色に咲け我が九重はよろづ代のはる

太上天皇

永和元年三月廿三日松樹春久と云ふ事を講ぜられしついでに

十かへりの花を今日より松が枝に契るも久し萬代のはる

京極前關白太政大臣

題志らず

君が代の最ど久しくなりぬれば千歳の松も若葉さしけり

法印定爲

文保の百首の歌奉りける時

更に又百代はじめて我が君の天つ日嗣のすゑもかぎらじ

權大納言具通

題志らず

男山いまを百代の始めにてさらにやきみを又まもらまし

二條院御製

天のしたひとの心や晴れぬらむ出づる朝日の曇なければ

權大納言忠光

應安二年二月六日三首の歌講ぜられし時、寄世祝

限無く代をこそてらせ雲に住む月日や君が御影なるらむ

前關白近衛

應安四年九月十三夜、池月添光と云ふ事を講ぜられし時、序奉りて

千年とも言ひ出でがたし限なく月も澄むべき宿の池みづ

前大納言爲定

雜の歌の中に

臥して思ひ起きて祈りし程よりも猶榮え行く君が御代哉

左大臣

永徳元年六月十二日三十首の歌講ぜられし時、寄道祝

治まれる御代の志るしも更に今見えて榮ゆる敷島のみち

後深草院少將内侍

寛元元年大甞會の主基方の女工所に侍りけるに雪の降る日、九重の大内山の如何ならむ限も知らず積る白雪と、常磐井入道前太政大臣の許より言ひ遣して侍りける返事に

九重のうちのゝ雪に跡つけて遙かに千世の道を見るかな

後伏見院御製

花園院位におはしましける時大なるたかんなを奉らせ給ふとて包紙に書きつけさせ給うける

百敷にみどり添ふべき呉竹の變らぬかげは代々久しかれ

花園院御製

御返し

百敷に移し植ゑてぞ色添はむ藐姑射の山の千世のくれ竹

後西園寺入道前太政大臣

嘉元の百首の歌奉りけるに、松

四代までに舊りぬと思ふ宿の松千年の末はまだ遙かなり

後二條院御製

雜の御歌の中に

高砂の尾上に立てる松が枝の色にや經べき君が千とせは

伊勢

亭子院の六十の賀に京極の御息所に奉りける御屏風の歌

生ふるより年定れる松なれば久しき物と誰れか見ざらむ

從二位家隆

元久二年、新古今の竟宴の歌

君住めば寄する玉藻も磨きいでつ千世も傳へよ和歌の浦風

左近中將具氏

文永三年、續古今の竟宴の歌

今日や又代々のためしを繰り返しまさ木の葛長く傳へむ

後光明峰寺攝政前左大臣

盡きもせじ濱の眞砂の數々に今も積れるやまとことの葉

儀同三司

永和元年大甞會の悠紀方の辰の日の退出の音聲、千々松原

君が代は契るも久し百とせを十かへりふべき千々の松原
新後拾遺和歌集