University of Virginia Library

Search this document 

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
collapse section16. 
新後拾遺和歌集卷第十六 雜歌上
 1266. 
 1267. 
 1268. 
 1269. 
 1270. 
 1271. 
 1272. 
 1273. 
 1274. 
 1275. 
 1276. 
 1277. 
 1278. 
 1279. 
 1280. 
 1281. 
 1282. 
 1283. 
 1284. 
 1285. 
 1286. 
 1287. 
 1288. 
 1289. 
 1290. 
 1291. 
 1292. 
 1293. 
 1294. 
 1295. 
 1296. 
 1297. 
 1298. 
 1299. 
 1300. 
 1301. 
 1302. 
 1303. 
 1304. 
 1305. 
 1306. 
 1307. 
 1308. 
 1309. 
 1310. 
 1311. 
 1312. 
 1313. 
 1314. 
 1315. 
 1316. 
 1317. 
 1318. 
 1319. 
 1320. 
 1321. 
 1322. 
 1323. 
 1324. 
 1325. 
 1326. 
 1327. 
 1328. 
 1329. 
 1330. 
 1331. 
 1332. 
 1333. 
 1334. 
 1335. 
 1336. 
 1337. 
 1338. 
 1339. 
 1340. 
 1341. 
 1342. 
 1343. 
 1344. 
 1345. 
 1346. 
 1347. 
 1348. 
 1349. 
 1350. 
 1351. 
 1352. 
 1353. 
 1354. 
 1355. 
 1356. 
 1357. 
 1358. 
 1359. 
 1360. 
 1361. 
 1362. 
 1363. 
 1364. 
 1365. 
  
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 

16. 新後拾遺和歌集卷第十六
雜歌上

後嵯峨院御製

題志らず

八雲立つ出雲八重垣かきつけて昔語りを見るぞかしこき

太上天皇

百首の歌召されしついでに、述懷

露も我が知らぬ言葉の玉なれど拾ふや代々の數に殘らむ

圓融院御製

題志らず

光さす雲の上のみ戀しくてかけ離るべきこゝちだにせず

入道親王道覺

天台座主になりて西山より出で侍りける時

心をば西の山邊にとゞめ置かむ廻逢ふべき月日有りやと

從三位藤子

題志らず

長らへてうき世の果は三輪の山杉の過ぎにし方ぞ戀しき

法印増運

いかにせむ我が立つ杣の杉の門過ぎこし老の驗無き身を

津守國夏

かざし折る跡とも見えぬ梢かな檜はら重なる三輪の茂山

法印俊憲

八十ぢまで長柄の山に存へて人こそ知らね代を祈るとは

津守國量

山を詠める

故郷に間近ければやあし垣の吉野の山と名にし負ふらむ

津守國冬

浦路より打ち越え來ればたかし山峯まで同じ松風ぞ吹く

永福門院内侍

伏見山裾野をかけて見わたせば遙かに下る宇治のしば舟

攝政太政大臣

延文の百首の歌奉りける時

朝霧に磯の波分け行く舟は沖に出でぬもとほざかりつゝ

津守國冬

永仁六年十月、龜山院住吉の社御幸の時、遠島眺望と云ふことを仕うまつりける

朝夕に見ればこそ有れ住吉の浦よりをちの淡路しまやま

冷泉前太政大臣

寶治の百首の歌に、海眺望

渡の原八重の潮路を見渡せば浮きたる雲につゞく白なみ

太上天皇

百首の御歌の中に

夕汐の引く方遠く見渡せば雲にかけたるあまのうけなは

左大臣

百首の歌奉りし時

若の浦の松に絶せぬ風の音に聲打添ふるたづぞ鳴くなる

權中納言爲重

沖つ浪寄するひゞきをのこしても浦に鳴尾の松風ぞ吹く

爲冬朝臣

磯浪と云ふ事を

潮風の荒磯かけて沖つなみ猶寄せかへるおとのひまなき

從三位爲繼

寶治の百首の歌に、磯嚴を

潮風に荒磯波のいくかへり碎けてもまたいはにかくらむ

源義春

題志らず

潮滿てばそれとも見えず澪標松こそ浦のしるしなりけれ

等持院贈左大臣

貞和二年、百首の歌に

渡り來て身は安くとも浮橋のあやふき道をいかゞ忘れむ

僧正定伊

題志らず

苔ふかき谷の懸橋年ふりて有るかひもなき世を渡るかな

橘遠村

長らへば十綱の橋に引く綱のくるしき世をも猶や渡らむ

讀人志らず

歎かじよ久米の岩橋とても世を渡り果つべき我身ならねば

津守國冬

嘉元の百首の歌奉りけるに、橋

淺き瀬はたゞも行くべき澤田河まきの繼橋何わたすらむ

源頼之朝臣

雜の歌の中に

逢坂の木綿附鳥や急ぐらむまだ關もりも明けぬ戸ざしを

寶篋院贈左大臣

延文の百首の歌に、曉鷄

一かたに鳴きぬと聞けば里毎にやがて數添ふ鳥の聲かな

西園寺前内大臣女

同じ心を

寐覺にも流石驚くあかつきを思ひしらずと鳥や鳴くらむ

權大納言時光

延文の百首の歌に

今も猶つかへて急ぐあかつきを知らでや鳥の驚かすらむ

攝政太政大臣

鳥の音に急ぎなれても年は經ぬいまは長閑けき曉もがな

光嚴院御製

雜の御歌の中に

山里は明け行く鳥の聲もなし枕のみねにくもぞわかるゝ

入道二品親王尊道

百首の歌奉りし時、曉

長き夜の老の寢覺は中々にかねより後ぞしばしまどろむ

内大臣

曉更鐘と云ふ事を

聞きなるゝ野寺のかねのこゑのみぞ曉毎の友となりける

淨阿上人

題志らず

老が身の寐覺の後やあかつきの木綿附鳥も八聲鳴くらむ

前大僧正頼仲

數々に思ひ續くるむかしこそ長き寐覺になほのこりけれ

源頼春朝臣

夜を深くのこす寐覺の枕とてまだ消えやらぬまどの燈火

在原業平朝臣

背くとて雲には乘らぬ物なれど世の憂き事ぞよそになるてふ

前中納言定宗

入道二品親王詠ませ侍りし五十首の歌に

人はみな越えぬる跡の位山後れてだにものぼりかねつゝ

前大納言爲定

述懷の歌とて

位山あるにまかする道なれど今一さかぞさすがくるしき

平政村朝臣

登るべき程はのぼりぬ位山これよりうへの道ぞゆかしき

前大納言爲氏

弘安の百首の歌奉りける時

杣山の谷の埋れ木年經れど跡あるかたに引くひとも無し

平常顯

題志らず

朽ち殘る名だに聞えよ埋木の花咲く迄は知らぬ身なれば

前參議敦有

憂かりける汀の眞菰何時迄か越え行く波の下にしをれむ

爲道朝臣

世の中は苦しき物かうきぬなはうきをも下に思ひ亂れて

[_]
[9]A
子内親王

浮草の浮たる世には誘ふ水有りともいかゞ身をば任せむ

信實朝臣

みづからの歌ども書き置くとて

袖濡らす人もや有ると藻鹽草形見のうらに書きぞ集むる

一品親王寛尊

題志らず

藻鹽草流石かき置く跡なれや八十ぢを越ゆる和歌の浦波

源義將朝臣

述懷の歌の中に

人並の數にとのみや和歌の浦の入江の藻屑書き集めまし

讀人志らず

磨くなる玉と聞くにも和歌の浦の藻屑は最ど寄る方も無し

及ぶべき便もあらば松が枝に名をだにかけよ和歌の浦波

鴨長明

後鳥羽院の御時和歌所にさふらふべき由仰せられければ

しづみにき今更和歌の浦浪に寄らばや寄せむあまの捨舟

讀人志らず

題志らず

偖も何時誰かは引かむ若の浦にまだ寄りやらぬ世々の捨舟

順徳院御製

百首の歌めしけるついでに

和歌の浦や羽根打ちかはし濱千鳥波に書置く跡や殘らむ

從二位家隆

題志らず

さても猶哀はかけよ老の波末吹きよわる和歌のうらかぜ

前大納言爲家

今はとて世にも人にも捨てらるゝ身に七十ぢの老ぞ悲しき

前權僧正雲雅

文保の百首の歌に

問ふ人の有らばぞ言はむ山里は思しよりも住み憂からぬを

參玄法師

題志らず

猶深く山より山を尋ねてぞ捨てしこゝろの奧も知られむ

津守量夏

世を背く山は吉野と聞きながら心の奧に何時しるべせむ

法印慶運

遁れ來て住むは如何なる宿とだに人に知られぬ山の奧哉

常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、山家

顯はれて我が住む山の奧に又人に訪はれぬいほり結ばむ

法眼圓忠

同じ心を

松風を友と聞きても寂しさは猶忍ばれぬやまのおくかな

元可法師

山里は住み果てよとや世のうさを來る人毎に先語るらむ

讀人志らず

題志らず

山深き苔の下道踏み分けてげには訪ひ來る人ぞまれなる

紹辨上人

それ迄は厭はぬ物を山深み訪ひくる人のなど無かるらむ

正三位通藤女

長閑にと求めし山の奧も又あくがれぬべくまつ風ぞ吹く

攝政太政大臣

山家嵐を

心住む松のあらしもなれにけり遁るゝ山の奧ならねども

源義將朝臣

百首の歌奉りし時、山家

寂しさはなれて忘るゝ山ざとを訪ひ來る人や驚かすらむ

頓阿法師

題志らず

自づから又身を隱す人にだに住むと知られぬ山の奧かな

祝部成景

靜かなる心の内の隱れがは遁れてけりと知るひともなし

藤原長信

寂しさになれての後や山里の松のあらしも友と聞かまし

讀人志らず

かねて我が思しよりも山里はなれぬる後ぞ寂しかりける

惟宗貞俊朝臣

いづくをも厭ふ心の身に添はゞ此山陰も住みや捨てまし

權中納言資教

あらましの其儘ならば山里に住むなる人の數や添はまし

源頼之朝臣

寂しとて又住みかふる山里も猶聞き侘ぶる軒のまつかぜ

權大僧都經賢

寂しさは思ひし儘の山里にいとふ人目のなど待たるらむ

祝部成詮

よそに我が思やるより山里は寂しからでや人の住むらむ

源頼康

訪はれぬを憂しと思ひし山里はまだ住みなれぬ心なりけり

權大僧都隆縁

住むからにうき世とならば猶深く入りても山のかひやなからむ

藤原康行

遁れ入るかひや無からむ山里も心に背くうき世ならずば

蓮道法師

浮世より住み憂くとても身を捨てゝ後は出づべき山の奧かは

源顯則

共に住む心も習へ山水をたよりとむすぶ志ばのいほりに

前大僧正行尊

筧の水の曉になれば音の増るを聞きて詠める

寢ぬ程に夜や明け方になりぬらむ懸樋の水は音増るなり

藤原頼清朝臣

題志らず

あらましに思ひしよりも山里のかけひの水は心すみけり

藤原行輔朝臣

此里は竹の懸樋の末うけて軒端のやまにつま木をぞ取る

法印慶運

前大僧正慈勝人々に詠ませ侍りける千首の歌に、田家

牡鹿ふす門田の霜の冴ゆる夜ぞもる頃よりも寢ねがてにする

靜法仁親王

弘安の百首の歌に

露霜の洩らぬ岩屋に洩る物はこけの袂の志づくなりけり

覺増法親王

述懷の心を詠める

世の中を憂しとは誰も言ひながら誠に捨つる人や少なき

前大納言實教

古へは猶さりともと此頃の憂きを待ちけむ程ぞはかなき

宗鏡禪師

雜の歌に

思ひ出づる心に浮ぶ古へを遠きものぞとへだてこしかな

權中納言經定女

思出の無き古へを忍ぶるは身の憂き事やなほまさるらむ

前大僧正圓伊

老いて猶憂かりける身を古は行く末とのみ頼まれしかな

藤原行春

世の憂さは今はた同じ古への老せぬばかり志のばるゝ哉

昌義法師

こし方に歸る道無き老の坂何を志るべに越えて來つらむ

法印乘基

何時までと思ふ心に老が身の憂き程よりは世をぞ歎かぬ

性嚴法師

歸りこぬ身の昔をば忍べども迷はむ後の世をばなげかず

平重基

斯計り老ぬる身には命だに有らばと頼むあらましも無し

讀人志らず

はかなくもさて幾程の思出にかへて厭はぬ浮世なるらむ

源孝行

長らふる心よわさを命にてそむかぬ世こそ老となりけれ

兼好法師

後の世を歎かぬ程ぞ知られける身の憂きにのみ袖は濡れつゝ

權中納言公雄

嘉元の百首の歌に、述懷

世の中のうきに換へてし墨染の袖になみだの何殘るらむ
[_]
[9] The kanji in place of A is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa kanji number 6487.