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新後拾遺和歌集卷第十七 雜歌下
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17. 新後拾遺和歌集卷第十七
雜歌下

藤原高光

世を遁れて横川に住み侍りける頃詠める

見わたせば烟絶えたる山里に如何に干さまし墨染のそで

讀人志らず

題志らず

墨染の袖にうき世を遁れても心のいろはかはるともなし

頓阿法師

述懷の歌に

年も經ぬ今一志ほと思ひしもこゝろに朽つる墨染のそで

中務卿宗尊親王

厭ひても後を如何にと思ふこそ猶世に止まる心なりけれ

後岡屋前關白左大臣

貞和二年、百首の歌に

我が心曇りあらじと思ふ身を友とは知らで月や澄むらむ

後醍醐院御製

正中二年百首の歌召されし次でに

自づから人の心のくまもあらばさやかに照せ秋の夜の月

前大僧正道基

御持僧に侍りて二間に侍りける事を思ひ出でゝ詠み侍りける

祈りこし昔の夜居の跡なくばよそにぞ見まし雲の上の月

從三位爲理

題志らず

憂き身をも流石雲居の月ばかり同じ友とは思ひ出づらむ

攝政太政大臣

永和二年八月十五夜三首の歌講ぜられし時

今は身の山とし高き秋の月出でゝ幾たび世につかふらむ

題志らず

さらでだに思ひも捨てぬ世の中に住むを友なる月の影哉

源光行

老が身の涙に浮ぶ月のみや我がむかしをも思ひ出づらむ

[_]
[10]A
子内親王

よしさらば積らば積れ月をだに見て老らくの思出にせむ

大納言通具

建保三年、内裏にて十五首の歌合に

影清き蓬が洞の秋の月志もをてらさば捨てずもあらなむ

法印延全

題志らず

我ばかりなほ古郷にのこり居て蓬が庭のつきを見るかな

前大納言公蔭

貞和の百首の歌に

秋の月こたへば如何に語らまし心に浮ぶ代々のあはれを

夢窓國師

題志らず

世を捨てゝ後は詠めぬ物ならば月に心や志ばしとゞめむ

源頼貞

住み侘びぬわが身伴なへ秋の月いづくの方の野山なりとも

中園入道前太政大臣

閑居月を

山深き月に今よりなれ初めて背かむ後のこゝろをぞ知る

前中納言定家

入道二品親王詠ませ侍りける五十首の歌に

斯計り厭ふべき世に存へて憂きをも知らぬ身とぞ成ぬる

津守國冬

題志らず

徒らにすぐすになれる月日かなさすが心の隙はなけれど

平直基

厭ふべき世の有らましもなかり鳬憂き時にだに捨られぬ身は

中忻法師

身の爲に歎かぬのみぞ世の中はよそに爲しても猶憂かり鳬

藤原爲量朝臣

捨遣らで心からなる身の憂さを唯世の咎にいかゞ恨みむ

前大納言實教

文保の百首の歌に

さりともと行く末頼むあらましに難面く過ぎし身の昔哉

權僧正良憲

題志らず

頼むべき身にはあらねど行末のあらましにこそ暫し慰め

法印昌算

存へてあるさへ厭ふ老らくの身のあらましは末も頼まじ

法印宗信

あらましの叶ふ世ならば捨てかぬる身の行末を猶や頼まむ

藤原高範

一すぢに思ひも絶えて遁るべき世を等閑に過しつるかな

前權僧正宋助

さりともと慰め來つる行末も頼無きまで身こそ舊りぬれ

三善爲連

今迄も遁れは果てぬ老が身に世を憂き物と思はずもがな

讀人志らず

とに斯に又や歎かむ遁れても身のよそならぬ浮世なりせば

法眼聖承

如何なれば我があらましの末をだに思定めぬ心なるらむ

前大納言爲世

弘安元年百首の歌奉りける時

自から憂きをわするゝあらましの身の慰めは心なりけり

法印有雅

題志らず

あらましのなからましかば何をかは數ならぬ身の慰めにせむ

妙藤法師

背くぞとよそには見れど古のあらまし程は捨ぬ身ぞ憂き

昭覺法師

厭ふべきあらましならで世の中の實に憂き時の慰めぞ無き

窓覺法師

思ひ侘び世の憂き時はあらましに幾度捨てし心なるらむ

夢窓國師

雜の歌とて

忘れては世を捨て顏に思ふ哉遁れずとても數ならぬ身を

源氏直

憂き物と思知りても過ぐる世を如何に住む身と人の見る覧

權少僧都覺家

遂にさて捨つる身ならば徒に過ぎにし方や悔しからまし

讀人志らず

題志らず

思ふより外なる物は世の憂さに堪へて難面き命なりけり

つらしとて厭ひも果てば中々に世の憂き事を誰か歎かむ

禪要法師

よしさらば捨られぬ身をあだし世の憂きに任せて果をこそ見め

道雄法師

何事を待つとは無くて移行く月日の儘に世をやすぐさむ

太宰大貳高遠

中々につらきにつけて忘れなば誰も浮世や歎かざらまし

小町

我れが身に來にける物を憂き事は人の上とも思ひける哉

前大納言爲家

定めなき心弱さを顧みてそむかぬ世こそいとゞ惜しけれ

讀人志らず

さもこそは竹の園生の末ならめ身に憂き節のなど茂る覧

前中納言雅孝

嘉元の百首の歌に、述懷

數ならぬ身を思ふには代々經ぬる道をも爭で猶傳へけむ

攝政太政大臣

永徳二年護國の宣命に攝政の事載せられ侍りしに、忠仁公始めて此の宣をかうぶりしが、同じ年六十三にて侍りしを思ひ出でゝ

古への跡に及ばぬ身なれども老の數こそかはらざりけれ

權中納言爲重

百首の歌奉りし時、述懷

敷嶋の道は代々經し跡ながら猶身に越ゆる和歌のうら波

二條院讃岐

正治の百首の歌に

今はとて澤邊に歸る芦たづのなほ立ち出づる和歌の浦波

等持院贈左大臣

延文二年百首の歌奉りける時

我が方に和歌の浦風吹きしより藻屑も波の便りをぞ待つ

光嚴院御製

貞和の百首の歌召されける次でに

十年餘り世を助くべき名は舊りて民をし救ふ一事もなし

左兵衛督直義

道大法師病に煩ひ侍りけるに泰山府君まつるべき由申して太刀など贈り遣しけるに詠みて添へて侍りける

世の爲に我れも祈れば限ある命なりともながらへやせむ

西行法師

世を遁れける折ゆかり有りける人の許へ云ひ贈りける

世の中を背き果てぬと言置かむ思知るべき人は無くとも

定顯法師

題志らず

元の身の憂きは捨てゝも變らじと思ひし儘の世を歎きつゝ

權大僧都顯源

此の頃の憂きに較べて思出の無きむかしをも又忍ぶかな

權僧正果守

更に今聞きてだにこそ忍ばるれ見しより先の昔がたりは

西園寺前内大臣女

せめて今言ひて慰む友もがな心にあまるむかしがたりを

源高秀

かへりこぬ習ばかりを昔にて見しはきのふの代々の面影

清輔朝臣

うきながら今はとなれば惜しき身を心の儘に厭ひつる哉

橘重吉

はかなくも世のうき事を喞つ哉遁れぬ程の身をば歎かで

源光正

遁るべき我があらましも頼まれず憂世と云て年の經ぬれば

三善資連

愚なる身は空蝉の世の中に捨てぬ物から侘びつゝぞ經る

僧正永縁

我ならで物思ふ人を世の中に又有りけりと見るぞ悲しき

權少僧都運圓

現とも夢とも分かでこしかたの昔語りになるぞはかなき

光嚴院御製

見し人は面影ちかきおなじ世に昔がたりの夢ぞはかなき

前僧正尊玄

驚かぬ現こそ猶はかなけれ何かぬる夜のゆめにまさらむ

法眼宗濟

夜な/\に通ふ夢路や現にも面影ちかきむかしなるらむ

前大僧正桓惠

思寐の其儘ならば行く末の我があらましは夢に見てまし

[_]
[11]B
子内親王家宰相

寐ぬに見し昔の夢のはかなさを今だに覺めず猶忍ぶらむ

前大納言爲氏

弘安の百首の歌に

現とて見るに現の有らばこそ夢をもゆめと思ひあはせめ

前大納言忠良

六條攝政の思ひに侍りけるに詠める

夢ならば又も見るべき面影の頓て紛るゝ世を如何にせむ

貫之

題志らず

立歸り悲しくも有る哉別れては知るも知らぬも烟也けり

後京極攝政前太政大臣

世のはかなき事を思ひて

鳥部山多くの人の烟立ち消え行くすゑはひとつ志らくも

良遍法師

重く煩ひて雲林院に罷れりける時友とする人の許に詠みて遣しける

此世をば雲の林にかど出してけぶりとならむ夕をぞ待つ

山階入道前左大臣

西園寺の花を見て

山櫻見ぬ世の春と植ゑ置きて袖のみぬらす花のしたつゆ

前中納言定家

母の思ひに侍りける春の暮に後京極攝政の許より、春霞かすみし空のなごりさへけふをかぎりの別れなりけりと申し侍りし返事に

別れにし身の夕暮に雲絶えてなべての春は恨みはてゝき

前中納言有忠

前坊失せ給ひぬと吾妻にて傳へ聞きて三月つごもりかしらおろし侍りける時に思ひ續けゝる

大方の春の別れの外に又我が世も盡くる今日ぞかなしき

一響上人

題志らず

何時を夢何時を現の程ぞとも見定めがたきあだし世の中

高辨上人

世の中を捨てぬ身なりと思ひせば常無き事も悲しからまし

藤原光俊朝臣

少將内侍身まかりて弁内侍さまかへ侍りける由聞きて申し遣しける

亡き人もあるが姿の變るをも見て如何ばかり涙落つらむ

信實朝臣

返し

無きが無く有るが有るにも非ぬ世を見るこそ老の涙なりけれ

[_]
[12]C
子内親王

後二條院、御歌どもの奧に、我が身世になからむ後は哀とも誰か岩間の水莖の跡と遊ばしたるを見て

今は世に我れより外は哀れとも誰れ水莖の跡をしのばむ

藤原仲文

頼めたる女の身罷りければはらからの許に詠みて遣しける

流れてと契りし事は行く末の涙の河を云ふにぞありける

讀人志らず

題志らず

たらちねの形見ばかりの藤衣脱ぐにつけても濡るゝ袖哉

津守國夏

祖父國助が卅三廻の佛事沙汰するとて父國冬が事思ひ出でゝ

垂乳根ぞ更に悲しき親の親を我訪ふべしと思ひやはせし

前大納言爲氏

弘安の百首の歌奉りける時

垂乳根の有りて諌めし言の葉は亡き跡にこそ思知らるれ

源順

世の中を何に譬へむと云へる歌を句のかみに置きて數多歌詠み侍りける中に

世の中を何に譬へむ夕露も待たで消えぬる朝がほのはな

花園左大臣家小大進

題志らず

如何にして思ひ捨てまし朝顏の昨日の花のあり難き世を

權大納言長家

草の葉に消え行く露を見る毎に有りし有明の影ぞ悲しき

源仲綱

淺茅原末葉にすがる露の身はもとの雫をよそにやは見る

藻壁門院少將

父に後れて後、前栽の枯たるを見て

後れ居て猶風寒し何時までか霜のくち葉に立ち隱れけむ

周防内侍

藤原伊家がむすめ子生みて程なく失せぬと聞きて遣はしける

霜がれの荻の上葉の袖の露うしろめたくや思ひ置きけむ

雄舜法師

前大納言爲定の十三回に一品經すゝめ侍りしついでに、懷舊を

算ふれば我も八十ぢの同じ身に殘りて今日の跡を訪ふ哉

惟宗光吉朝臣

民部卿爲藤の一めぐりの追善に、同じ心を

別れにし月日や何の隔てにて昨日は人のむかしなるらむ

伏見院御製

後深草院の御事覺し召し出でゝ七月十六日、月のあかゝりけるに詠ませ給うける

算ふれば十とせあまりの秋なれど面影近き月ぞかなしき

法印實甚

母の身まかりて後詠める

忘らるゝひまなき物は面影もさらぬ別れの名殘なりけり

託阿上人

無常の歌に

遂に行く道も今はの時なれやひつじの歩み身にぞ近づく

二品法親王守覺

はかなしや如何なる野べの蓬生に遂には誰れも枕定めむ

如空上人

命こそ猶頼まれねあだし野の露は風待つほども有る世に

高階宗成朝臣

後近衛關白身罷りて淨妙寺に送り置き侍りける時常には日野の山庄に通ひ侍りける事を思ひ出でゝ

木幡山君が往來はなれにしをかちより送る旅ぞかなしき

前大納言忠良

なき人の櫛の有るを見て

行方無き玉の小櫛も形見にて猶そのかみを忘れ侘びぬる

土御門院御製

題志らず

春の花秋の紅葉の情だにうき世にとまるいろぞまれなる
[_]
[10] The kanji in place of A is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa number 21117.
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[11] The kanji in place of B is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa number 21117.
[_]
[12] The kanji in place of C is unavailable in the JIS code table. The kanji is Morohashi's Dai-Kanwa number 21117.