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10. 後拾遺和歌集第十
哀傷

一條院の御時皇后宮かくれ給ひて後御帳のかたびらの紐にむすびつけられたるふみを見つけたれば内にも御覽ぜさせよとおぼしがほに歌三つかきつけられたりけるなかに

夜もすがら契りし事を忘れずばこひむ涙のいろぞ床しき

しる人もなき別路にいまはとて心ぼそくも急ぎたつかな

源兼長

物いふ女の侍る所にまかれりけるによべなくなりにきといひければよめる

ありしこそ限なりけれ逢ふことをなど後の世と契らざりけむ

和泉式部

山里にこもりゐて侍りけるに人をとかくするが見え侍りければよめる

立ちのぼる煙につけて思ふかないつ又我を人のかくみむ

命婦乳母

三條院の皇太后宮かくれ給ひて葬送の夜月あかく侍りけるによめる

などてかく雲隱るらむかく計り長閑に澄める月もあるよに

左大將朝光

圓融院の法皇うせたまひて紫野に御葬送侍りけるに一とせこの所にて子日せさせ給ひし事など思ひ出でゝよみ侍りける

紫の雲のかけても思ひきや春のかすみになしてみむとは

大納言行成

後れじと常のみゆきはいそぎしを煙にそはぬ旅の悲しさ

一條院御製

長保二年十二月に皇后宮うせさせ給ひてさうそうの夜雪の降りて侍りければよませたまうける

野べ迄に心一つは通へども我御幸とはしらずや
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ありけむ

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[1] Shinpen kokka taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1; hereafter cited as SKT) reads あるらん.

法橋忠命

入道前太政大臣のさうそうのあしたに人々まかり歸るに雪の降りて侍りければよみ侍りける

たきゞ盡き雪ふりしける鳥部野は鶴の林の心地こそすれ

小侍從命婦

入道一品の宮かくれ給ひて葬送のともにまかりて又の日相摸がもとにつかはしける

はれずこそ悲しかりけれ鳥部山立ち返りつるけさの霞は

二月十五日のことにやありけむ、かの宮のさうそうの後相摸がもとに遣はしける

古の薪もけふの君がよも盡き果てぬるを見るぞかなしき

相摸

かへし

時しもあれ春のなかばにあやまたぬよはの煙は疑もなし

山田中務

三條院の御時皇后宮のきさいに立ち給ひける時くら人つかまつりける人のうせ給ひて葬送の夜したしき事つかうまつりけるを聞きて遣しける

そなはれし玉のをぐしをさし乍ら哀悲しき秋にあひぬる

相摸

同じ頃その宮に侍りける人のもとにつかはしける

とはゞやと思遣るだに露けきをいかにぞ君が袖は朽ちぬや

大和宣旨

かへし

涙川流るゝみをとしらねばや袖ばかりをば人のとふらむ

前中宮出雲

後一條院の御時中宮九月にうせ給ひて後朱雀院の御時又弘徽殿の中宮八月にかくれ給ひにければかの宮に侍りける伊賀少將がもとに遣はしける

いかばかり君歎くらむ數ならぬ身だにしられし秋の哀を

小左近

左兵衛督經成身まかりにける其いみにいもうとのあつかひなどせむとて師賢の朝臣こもり侍りけるにつかはしける

よそにきく袖も露けき柏木のもとの雫をおもひこそやれ

能因法師

靈山にこもりたる人にあはむとてまかりたりけるに身まかりて後十三日にあたりて物いみすと聞きて

主なしと答ふる人はなけれども宿の景色ぞいふに勝れる

右大臣北方

右兵衛督俊實子におくれて歎き侍りける頃とぶらひにつかはしける

いかばかり寂しかるらむ木枯の吹きにし宿の秋の夕ぐれ

讀人志らず

親なくなりて山寺に侍りける人のもとにつかはしける

山里の柞の紅葉散りにけり木の本いかにさびしかるらむ

前大納言隆國

いで羽の辨が親におくれて侍りけるを聞きて身をつめばいと哀れなることなど云ひ遣はすとてよみ侍りける

思ふらむ別れし人の悲しさはけふ迄ふべき心地やはせし

出羽辨

かへし

悲しさの類になにを思はまし別れを志れる君なかりせば

中宮内侍

高階成棟父におくれにけると聞きて遣はしける

惜るゝ人なくなどて成に劔捨たる身だに有ればある世に

源順

清原元輔がおとゝもとさだ身まかりにけるをおそくきゝたる由元輔が許にいひ遣はすとて詠める

宵のまの空の煙となりにきとあまの同胞などかつげこぬ‘

橘季通

橘則長こしにてかくれ侍りにける頃相摸がもとにつかはしける

おもひいづや思出づるに悲しきは別ながらの別なりけり

式部命婦

後冷泉院の御時いとまなど申して筑紫にくだり侍りけるほどに代もかはりぬと聞きて上東門院のとはせ給ひたる御返り事に奉り侍りける

思ひやれかねて別れし悔しさにそへて悲しき心づくしを

周防内侍

後三條院位につかせ給ひての頃さみだれひまなく曇りくらして六月一日またかきくらし雨のふり侍りければ先帝の御事など思ひいづる事や侍りけむよめる

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[2]梅雨に
あらぬけふさへ晴れせぬは空も悲しき事やしる覽

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[2] SKT reads さみだれに.

中納言定頼母

二條前太政大臣のめなくなりて後おちたる髮を見てよみ侍りける

仇にかくおつと思ひしうば玉の髮こそ長き形見なりけれ

藤原實方朝臣

子におくれて侍りける頃夢に見てよみ侍りける

うたゝねの此世の夢の儚きに覺めぬやがての命ともがな

藤原相如女

父の身まかりけるいみによみ侍りける

夢みずと歎きし人をほどもなく又わが夢に見ぬぞ悲しき

此歌は粟田右大臣身まかりて後彼家に父の相如とのゐして侍りけるに夢ならで又もあふべき君ならばねられぬいをもなげかざらましとよみて程もなく身まかりにければかくよめるとなむいひ傳へたる。

藤原實方朝臣

物いひ侍りける女の程もなく身まかりにければ女の親のもとにつかはしける

契ありて此世にまたもうまるとも面變志てみもや忘れむ

少將藤原義孝

一條攝政身まかりて後、わざのことなどはてゝ人々ちり%\になり侍りければ

今はとてとびわかるめる村鳥の古巣に獨ながむべきかな

和泉式部

小式部内侍なくなりてうまごどもの侍りけるを見てよみ侍りける

とゞめ置て誰を哀と思ふらむ子は勝るらむ子はまさり鳬

上東門院

一條院うせ給ひてのち撫子の花の

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[3]侍けけるを
後一條院をさなくおはしまして何心も志らでとらせ給ひければおぼしいづる事やありけむ

見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし心も志らぬ撫子の花
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[3] SKT reads はべりけるを.

藤原實方朝臣

道信の朝臣諸共に紅葉見むなど契りて侍りけるに彼人身まかりての秋よみ侍りける

見むといひし人は儚くきえにしを獨つゆけき秋の花かな

大江匡房朝臣

五月の頃ほひ女におくれ侍りける年冬雪のふりける日よみ侍りける

別れにし其五月雨の空よりも雪ふればこそ戀しかりけれ

大江嘉言

田舍に侍りける程に京に侍りける親なくなりにければいそぎのぼりて山里にて古郷を思ひおこせてよみ侍りける

何しかは今は急がむ都にはまつべき人もなくなりにけり

和泉式部

敦道親王に後れてよみ侍りける

今はたゞそよ其の事と思ひ出て忘る計のうきこともがな

同じ頃尼にならむと思ひてよみ侍りける

捨果てむと思ふさへ社悲しけれ君に馴にし我身と思へば

十二月のつごもりの夜よみ侍りける

亡人のくる夜ときけど君もなし我が住む宿や魂無きの里

土御門右大臣女

右大將通房身まかりて後ふるくすみ侍りける帳のうちにくものいかきけるを見てよみ侍りける

別れにし人はくべくもあらなくにいかに振舞ふ笹蟹ぞこは

大貳高遠

筑紫よりまかりのぼりけるになくなりにける人を思ひ出でゝよみ侍りける

戀しさにぬる夜なけれど世中の儚きときは夢とこそみれ

源道成

兼綱の朝臣めなくなりて後越前守になりてまかりくだりけるに裝束つかはすとてよみ侍りける

ゆゝしさにつゝめどあまる涙かなかけじと思ふ旅の衣に

選子内親王

少納言なくなりて哀れなる事など歎きつゝおきたりける百和香をちひさきこにいれてせうと棟政の朝臣につかはしける

法の爲つみける花をかず/\に今は此世の形見とぞ思ふ

伊勢大輔

思ふ人二人ありける男なく成りて侍りけるに末に物いはれける人にかはりてもとの女のもとにつかはしける

深さこそ藤の袂はまさるらめ涙はおなじいろにこそ志め

康資王母

ぶくに侍りける頃十月一日おなじさまなる人われのみなむおなじ姿にてといひにおこせて侍りければよめる

君のみや花の色にもたちかへで袂のつゆはおなじ秋なる

美作三位

赤染、匡衡におくれてのち五月五日よみてつかはしける

墨染の袂はいとゞこひぢにて菖蒲の草のねやしげるらむ

一條院御製

圓融院法皇うせさせ給ひて又の年の御はてのわざなどの頃にやありけむ、うちに侍りける御めのとの藤三位の局にくるみいろの紙に老い法師の手のまねをしてかきてさしいれさせ給ひける

これをだに形見と思ふを都には葉がへや志つる椎柴の袖

麗景殿前女御

後冷泉院位につかせ給ひければ里にまかりいで侍りて又の年の秋東三條のつぼねの前にうゑて侍りける萩を人の折りてもてきたりければ

こぞよりも色こそこけれ萩の花涙の雨のかゝるあきには

伊勢大輔

成順におくれ侍りて又のとしはてのわざし侍りけるに

別れにしその日計はめぐりきていきも歸らぬ人ぞ戀しき

紀時文

とし頃すみ侍りけるめにおくれて又のとしはてのわざつかうまつりけるによめる

年をへて馴たる人も別にし去年は今年の今日にぞ有ける

清原元輔

かへし

別れけむ心をくみて涙川おもひやるかなこぞの今日をも

江侍從

後一條院の御時皇太后宮うせ給ひて果のわざにさはることありてまゐらざりければかの宮よりきのふはなどまゐらざりしなどいひにおこせて侍りけるによめる

我身には悲しき事のつきせねば昨日をはてと思はざり鳬

平棟仲

父のぶくぬぎ侍りける日よめる

思ひかねかたみにそめし墨染の衣にさへも別れぬるかな

平教成

うすくこく衣の色はかはれどもおなじ涙のかゝる袖かな

藤原定輔朝臣女

ぶくぬぎ侍りけるによめる

うきながらかたみに見つる藤衣はては涙に流しつるかな

赤染衞門

十月ばかりにものへまかりける道に一條院をすぐとて車を引入れて見侍りければ火たき屋などの侍りけるを見てよめる

きえにけるゑじの焚く火の跡を見て煙と成し君ぞ悲しき

出羽辨

菩提樹院に後一條院の御影をかきたるを見てみなれ申しける事など思ひ出でゝよみ侍りける

いかにして寫しとめけむ雲居にてあかず隱れし月の光を

赤染衛門

匡衡におくれて後石山にまゐり侍りける道に新らしき家のいたう荒れて侍りけるをとはせければ親におくれて二年にかくなりて侍るなりといひければ

獨こそ荒行く床はなげきつれ主なき宿はまたもありけり

源信宗朝臣

熊野へまうで侍りけるに小一條院のかよひ給ひける難波といふ所にとまりて昔を思ひいでゝよめる

古になにはのことはかはらねど涙のかゝる旅はなかりき

伊勢大輔

かくよみて侍りけるをつてにきゝてかの信宗の朝臣のもとにつかはしける

思遣る哀れ難波のうらさびて芦の浮根はさぞ泣かれけむ

源重之

秋身まかりける人を思ひいでゝよめる

年ごとに昔は遠くなりゆけどうかりし秋は又もきにけり

しかばかり契りしものを渡り川歸る程には忘るべしやは

此歌よしたかの少將わづらひ侍りけるに、なくなりたりともしばしまて、經よみはてむと妹うとの女御にいひ侍りて程もなく身まかりて後忘れてとかくしてければその夜母の夢に見え侍りける歌なり。

時雨とは千草の花ぞちりまがふなにふる里に袖濡すらむ

此歌義孝かくれ侍りてのち十月ばかりに賀縁法師の夢に心地よげにて笙をふくと見るほどに口をたゞならすになむ侍りける。母のかくばかりこふるを心地よげにていかにといひ侍りければ立つをひきとゞめてよめるとなむいひ傳へたる。

きてなれし衣の袖も乾かぬに別れし秋になりにけるかな

此歌身まかりて後あくる年の秋いもうとの夢に少將よしたかゞ歌とてみえ侍りける。

逢事を皆暮毎にいでたてど夢路ならではかひなかりけり

或人のいはく、此歌思ふ女をおきて身まかりにける男のむすめの夢にかの女にとらせよとてよみ侍りける。

讀人志らず

むすめ彼女のもとにやるとてよみ侍りける

なく/\も君には告げつ亡人の又歸りこといかゞいはまし

女いみじうなきてかへりごとによみ侍りける

先にたつ涙を道の導べにて我こそ行きていはまほしけれ