University of Virginia Library

Search this document 

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
collapse section16. 
續拾遺和歌集卷第十六 雜歌上
 1095. 
 1096. 
 1097. 
 1098. 
 1099. 
 1100. 
 1101. 
 1102. 
 1103. 
 1104. 
 1105. 
 1106. 
 1107. 
 1108. 
 1109. 
 1110. 
 1111. 
 1112. 
 1113. 
 1114. 
 1115. 
 1116. 
 1117. 
 1118. 
 1119. 
 1120. 
 1121. 
 1122. 
 1123. 
 1124. 
 1125. 
 1126. 
 1127. 
 1128. 
 1129. 
 1130. 
 1131. 
 1132. 
 1133. 
 1134. 
 1135. 
 1136. 
 1137. 
 1138. 
 1139. 
 1140. 
 1141. 
 1142. 
 1143. 
 1144. 
 1145. 
 1146. 
 1147. 
 1148. 
 1149. 
 1150. 
 1151. 
 1152. 
 1153. 
 1154. 
 1155. 
 1156. 
 1157. 
 1158. 
 1159. 
 1160. 
 1161. 
 1162. 
 1163. 
 1164. 
 1165. 
 1166. 
 1167. 
 1168. 
 1169. 
 1170. 
 1171. 
 1172. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 

16. 續拾遺和歌集卷第十六
雜歌上

西園寺入道前太政大臣

建保百首の歌奉りける時

いかばかり昔を遠くへだてきぬその神山にかゝるしら雲

正三位知家

題志らず

神代より年の幾とせつもるらむ月日をすぐす天のかぐ山

藤原道經

年ふ共吉野の瀧の白糸はいかなる世にも絶えじとぞ思ふ

光明峯寺入道前攝政左大臣

百首の歌よみ侍りけるに

宮瀧のたきの水上たづねみむふるき御幸の跡やのこると

後嵯峨院御製

白河殿の七百首の歌に名所瀧といへる事をよませ給ひける

今もまた行きても見ばや石の上ふるの瀧つせ跡を尋ねて

典侍親子朝臣

中務卿宗尊親王の家の百首の歌に

泪とてからぬ時さへきてみれば袖にぞかゝる瀧のしら玉

前大納言爲家

山階入道左大臣の家の十首の歌に、名所松

我みても昔は遠くなりにけりともに老木のからさきの松

法印良覺

往來には頼む陰ぞと立寄りて五十ぢ馴れぬる志がの濱松

前大納言爲氏

かひなしや因幡の山のまつとても又歸りこむ昔ならねば

右衛門督忠基

題志らず

いかにせむわが身にこゆる白波の末の松山まつ事もなし

前參議忠定

高松の松もかひなし誰をかもあはれ歎きの志る人にせむ

前關白左大臣一條

われのみかとけぬ恨は古のよゝにもありといはしろの松

常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りける時、關

昔よりかよひし中の跡とめてこゝろ隔つなあしがらの關

聞渡る長柄の橋も朽にけり身のたぐひなる古き名ぞなき

光明峯寺入道前攝政左大臣

題志らず

徒らに消えかへりつゝ山河のあはれ何れの世を頼むらむ

前左兵衛督教定

いかにせむみをはや乍ら思河うたかた計あるかひもなし

安嘉門院大貳

賀茂の社に詣でゝよみ侍りける

みたらしや身は沈む共永き世に名を流すべき泡沫もがな

藻壁門院少將

みづからの歌を書きおき侍るとて

思ひ出でゝ誰か忍ばむ濱千鳥いはねがくれの跡の儚なさ

法橋顯尋

入道二品親王の家の五十首の歌に、述懷の歌

いにしへの跡をばつげよ濱千鳥昔にかへる浪のたよりに

藤原泰朝

おなじ心を

わかの浦に昔を忍ぶはま千鳥跡思ふとてねをのみぞ鳴く

權律師定爲

前大納言爲氏玉津島の社にて歌合し侍りし時、浦月

和歌の浦の浪の下草いかにして月に志らるゝ名を殘さまし

前參議教長

廣田の社の歌合に、海上眺望

波の上に浮ぶ木葉を見ゆる哉漕ぎ離れ行くあけのそぼ舟

俊頼朝臣

題志らず

わび人の泪はうみの波なれや袖師の浦によらぬ日ぞなき

藻壁門院但馬

數ならぬ水屑にまじるうつせ貝拾ふにつけて袖ぞ萎るゝ

嘉陽門院越前

千五百番歌合に

捨てやらぬ我身の浦のうつせ貝空しき世とは思ふ物から

山階入道左大臣

述懷の歌の中に

儚くもおほの浦なし君が代にならばと身をも頼みける哉

藤原爲綱朝臣

難波なる同じ入江の芦のねも浮身のかたや沈み果てなむ

前中納言資平

何かその難波の芦のかりの世にうき節とても思ひ亂れむ

前内大臣

よと共に浮節志らぬ芦のやの蜑の袖だにほしぞかねける

紫式部

津の國にまかれりける時都なる女ともだちの許に遣しける

難波がたむれたる鳥の諸共に立ちゐる物と思はましかば

源兼氏朝臣

題志らず

澤にのみいく年つきをかさぬらむ雲居へだつる鶴の毛衣

好忠

夢にても思はざりしを白雲のかゝる浮世に住ひせむとは

俊頼朝臣

我が心身にすまはれて古郷をいく度出でゝ立ち歸るらむ

前大僧正覺忠

かきこもる宿のよそめは靜にて哀れ心のいとまなきかな

前關白左大臣一條

樂天を

世の中をくるしきものとのがれきて草の庵や心すむらむ

權僧正圓經

大隱在朝市といふ事を

世を厭ふ心はさてもすぎぬべし必ず山のおくならずとも

讀人志らず

題志らず

さても猶あり果つまじき山里を浮世の外と何いそぐらむ

前左兵衛督教定

人はいさ世のうき外の山とても我心からえやはすまれむ

平重時朝臣

うしといひて山路に深く入りぬれど猶も此世の月をみる哉

法眼良珎

山里に籠り居てよみ侍りける

うき世をば出でゝ入りぬる山陰に心をかへて月をみる哉

法印公澄

題志らず

我ばかりすむと思ひし山里に月もやどるか苔のさむしろ

法印最信

奧山の岩間がくれの埋水ありとばかりはすむかひもなし

前參議忠定

寳治百首の歌奉りける時、山家水

山ふかく世にすみかぬる埋水やるかたもなきわが心かな

近衛關白左大臣

弘長三年内裏の百首の歌奉りし時、山家夢

おのづから都にかよふ夢をさへまたおどろかす嶺の松風

覺盛法師

秋の頃山寺にこもりて出で侍りける曉よめる

山ふかみ松のあらしに聞きなれて更に都や旅ごゝちせむ

惟明親王

建仁元年歌合、山家暮嵐

住みわびぬ人はおとせぬ柴の戸に嵐ばかりの夕ぐれの空

法印行清

題志らず

おのづからとひこし人もかれ%\に跡絶果つる宿の道芝

右兵衛督基氏

とはれぬは岩根の苔に顯はれて道絶えはつる山かげの庵

前大僧正道玄

無動寺に住み侍りけるに前大僧正慈鎭、おほけなくうき世の民におほふかな我が立つ杣にすみ染の袖とよみて侍りけることを思ひ出でゝよみ侍りける

祈りおきしすゑをぞ頼むいにしへの跡には今も墨染の袖

從三位光成

新日吉社の松屋のまへの楓の木は右兵衛督光能植ゑ置きて侍りけるに競馬の事おこなふとて思ひつゞけ侍りける

植ゑおきし昔をさらに頼むかな殘る木ずゑのけふの下陰

侍從雅有

參議雅經はやう住み侍りける家にまりのかゞりの柳二もと殘りて侍りけるをみてよみ侍りける

ふる里の朽木の柳いにしへの名殘は我もあるかひぞなき

前關白左大臣一條

題志らず

いかにせむ昔のあとを尋ねてもおよばぬ道を猶歎きつゝ

慈助法親王

我山のさかゆく道をたづねつゝいかで昔の跡をふまゝし

前内大臣

山階入道左大臣の家の十首の歌に秋述懷といへる心をよみて遣しける

をしへ置く言のはにのみ語るかな昔の庭の露のなごりは

西行法師

高野山に侍りける頃皇太后宮大夫俊成千載集えらび侍るよし聞きて歌をおくり侍るとてかきそへ侍りける

花ならぬ言のはなれど自から色もやあると君ひろはなむ

皇太后宮大夫俊成

返し

世を捨てゝ入りにし道の言のはぞ哀も深き色ぞみえける

道信朝臣

前大納言公任書きおきたる歌どもをかたみにせむと契りて後、かくばかりふる事かたき世の中にかたみに見する跡のはかなさと申し遣したりける返事に

ふる事は難くなるとも形見なる跡は今こむ世にも忘れじ

皇太后宮大夫俊成

崇徳院に書きて奉りける御草子のつゝみ紙に

數ならぬ名をのみと社思ひしか斯る跡さへ世にや殘らむ

崇徳院御製

御返し

水莖のあと計していかなれば書き流すらむ人はみえこぬ

前中納言定家

西行法師みづからの歌を合せて判の詞しるし付くべきよし申し侍りけるを書きて遣すとて

山水のふかゝれとてもかきやらず君に契を結ぶばかりぞ

圓嘉法師

從二位家隆千載集かゝせ侍りけるを遣すとてつゝみ紙に書き付け侍りける

跡とめて訪るゝかひもなからまし昔覺ゆるすさびなりせば

從二位家隆

返し

いにしへの流れの末のたえぬかな書き傳へたる水莖の跡

前大納言爲家

弘長元年百首の歌奉りけるとき、述懷

わかの浦におひずば爭で藻汐草浪の所爲もかき集めまし

道洪法師

皇太后宮大夫俊成前中納言定家書きて侍りける草子をはからざるに傳へたりけるを夢の告ありて爲氏が許に送り遣すとて

たえもせじ昔の代々の跡とめて立ち歸りぬるわかの浦浪

中納言教良

中將にて年久しく志づみ侍りける頃よみ侍りける

さしもなど跡ある道に迷ふらむ三笠の山の名さへ變らで

前右兵衛督爲教

建長五年七月三首の歌に、述懷

さしのぼる跡とは見れど三笠山仕ふるほかの道は頼まず

藤原隆祐朝臣

洞院攝政の家の百首の歌に、おなじ心を

位山ふもとばかりの路をだに猶わけがたくかゝるしら雲

前中納言定家

承元の頃述懷の歌あまたよみ侍りける中に

なきかげの親のいさめは背きにき子を思ふ道の心弱さに

藤原爲綱朝臣

範親、少納言にて豐明節會に日影をつけて侍りけるを見てよみ侍りける

契あれば身の思ひでの日影草この世をかけて又結ぶかな

殷富門院大輔

參議定經はじめて辨官になりて侍りける朝に申し遣しける

嬉しさをかさぬる袖の數ごとに染め増す色の心にぞ志む

藤原長景

非違使になりてよみ侍りける

嬉しさも泪なりけりわが袖はうき時ばかりぬるゝ物かは

源兼泰

身をうれへてよめる

ふりはつる同じみどりの袖の上におちて泪の色變りぬる

丹波經長朝臣

建長元年勸賞仰せられけるを志るし置くとてよみける

仕へこし身は志も乍ら我道の名をや雲居のよゝに留めむ

藤原爲兼朝臣

百首の歌奉りし時

つかへこしよゝの流れを思ふにも我身にたのむ關の藤河

前大納言良教

夜述懷といへる心を

仕へつゝ家路急がぬよな/\の更行く鐘を雲居にぞ聞く

前大納言爲氏

弘長元年百首の歌奉りし時、曉を

鳥の音ぞ曉ごとになれにける君につかふる道いそぐとて

前中納言定家

洞院攝政の家の百首の歌に、述懷

はからずよ世に有明の月に出でゝふたゝび急ぐ鳥の初聲

常磐井入道前太政大臣

弘長元年百首の歌奉りし時、おなじ心を

唐土もたぐひやあると尋ねばや三たび逢ひみる秋の宮人