後拾遺和歌集 (Goshui wakashu [Introduction]) | ||
7. 後拾遺和歌集第七
賀
源順
天暦の御時賀の御屏風の歌、立春
平兼盛
入道攝政の賀し侍りける屏風にながらの橋のかたかきたる所をよめる
おなじ屏風に武藏野のかたかきて侍りけるをよめる
源兼隆
東三條院四十賀し侍りける屏風に子日して男女車よりおりて小松ひく所をよめる
前律師慶暹
前大僧正明尊九十賀し侍りけるに宇治前太政大臣竹の杖遣しける返事によみ侍りける
平兼盛
内裏の御屏風に命長き人の家に松鶴ある所を
源兼隆
屏風の繪に海のほとりに松の一もとある所を
讀人志らず
題志らず
紫式部
後一條院生れさせ給ひて七夜に人々まゐりあひて女房盃いだせと侍りければ
前大納言公任
後朱雀院うまれさせ給ひて七夜によめる
讀人志らず
題志らず
或人云、この歌七夜に中納言定頼がよめる。
右大臣顯房
故第一の親王うまれ給ひてうちつゞき前の齋宮うまれさせ給ひて内裏よりうぶやしなひなど遣はして人々歌よみ侍りけるによめる
清原元輔
少將敦敏子うませて侍りける七夜によめる
赤染衛門
匡房の朝臣うまれて侍りけるにうぶぎぬ縫はせてつかはすとてよめる
おなじ七夜によみ侍りける
右大臣
故第一の親王のいかまゐらせけるに關白前のおほきおほいまうち君さはる事ありて内にも參り侍らざりければ内大臣下臈に侍りける時いだき奉りて侍りけるを見てよめる
花山院御製
みこたちを冷泉院の親王になして後よませ給ひける
伊勢大輔
後三條院みこの宮と申しける時今上をさなくおはしけるにゆかりある事ありて見まゐらせければ鏡を見よとて給はせたりけるによみ侍りける
閑院贈太政大臣
かへし
藤三位
うまごのをさなきを周防内侍見侍りて後鶴の子の千代のけしきを思ひいづる由いひにおこせて侍りける返しにつかはしける
清原元輔
紀伊守爲光をさなき子をいだしてこれいはひて歌よめといひ侍りければよめる
人の裳着侍りけるによめる
源重之
人のをさなきはら%\の子ども裳着せかうぶりせさせ袴着せなどし侍りけるにかはらけとりて
藤原保昌朝臣
大中臣輔長はかまき侍りけるに内外戚のおほぢにて輔親公資侍りけるを見てよめる
大江嘉言
三條院みこの宮と申しける時帶刀の陣の歌合によめる
民部卿經信
承暦二年内裏の歌合に詠侍りける
藤原爲盛女
宇治前太政大臣の家に卅講の後歌合し侍りけるによめる
能因法師
永承四年内裏の歌合に松をよめる
式部大輔資業
おなじ歌合によめる
後冷泉院御製
冷泉院はじめてつくらせ給ひて水などせきいれたるを御覧じてよませ給ひける
小大君
東三條院に東宮わたり給ひて池のうき草などはらはせ給ひけるに
藤原範永朝臣
關白前のおほいまうち君六條の家にわたりはじめ侍りける時池水長くすめりといふ心を人々よみ侍りけるに
良暹法師
俊綱の朝臣丹波守にて侍りける時かの國の臨時のまつりの使にて藤の花をかざして侍りけるをみて
式部大輔資業
後冷泉院の御時大甞會の御屏風、近江國龜山松樹多生
おなじ御屏風に大倉山をよめる
江侍從
陽明門院はじめて后にたゝせ給ひけるを聞きて
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