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その百七
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

その百七

 石川貞白は はじめ の名を 磯野勝五郎 いそのかつごろう といった。 何時 いつ の事であったか、阿部家の武具係を勤めていた勝五郎の父は、同僚が 主家 しゅうけ の具足を質に入れたために、 なが いとま になった。その時勝五郎は兼て医術を 伊沢榛軒 いさわしんけん に学んでいたので、 すぐ に氏名を改めて 剃髪 ていはつ し、医業を以て身を立てた。
 貞白は渋江氏にも山内氏にも往来して、抽斎を り五百を識っていた。弘化元年には五百の兄栄次郎が吉原の 娼妓 しょうぎ 浜照の もと に通って、遂にこれを めと るに至った。その時貞白は浜照が 身受 みうけ の相談相手となり、その 仮親 かりおや となることをさえ諾したのである。当時兄の 措置 そち を喜ばなかった五百が、平生 青眼 せいがん を以て貞白を見なかったことは、想像するに あまり がある。
 或日五百は使を って貞白を招いた。貞白はおそるおそる日野屋の しきい また いだ。兄の非行を たす けているので、妹に められはせぬかと おそ れたのである。
 然るに貞白を迎えた五百にはいつもの元気がなかった。「貞白さん、きょうはお たのみ 申したい事があって、あなたをお まねき いたしました」という、態度が例になく 慇懃 いんぎん であった。
 何事かと問えば、渋江さんの奥さんの亡くなった跡へ、自分を世話をしてはくれまいかという。貞白は事の意表に でたのに驚いた。
 これより さき 日野屋では五百に壻を取ろうという議があって、貞白はこれを あずか り知っていた。壻に擬せられていたのは、上野広小路の呉服店伊藤 松坂屋 まつざかや 通番頭 かよいばんとう で、年は三十二、三であった。栄次郎は妹が自分たち夫婦に あきたら ぬのを見て、妹に壻を取って日野屋の店を譲り、自分は浜照を連れて隠居しようとしたのである。
 壻に擬せられている番頭某と五百となら、 はた から見ても好配偶である。五百は二十九歳であるが、 打見 うちみ には二十四、五にしか見えなかった。それに抽斎はもう四十歳に満ちている。貞白は五百の意のある所を解するに くるし んだ。
 そこで五百に問い ただ すと、五百はただ学問のある夫が持ちたいと答えた。その ことば には道理がある。しかし貞白はまだ五百の意中を読み尽すことが出来なかった。
 五百は貞白の 気色 けしき を見て、こう言い足した。「わたくしは壻を取ってこの 世帯 せたい を譲ってもらいたくはありません。それよりか渋江さんの所へ往って、あの かた に日野屋の 後見 うしろみ をして いただ きたいと思います。」
 貞白は ひざ った。「なるほど/\。そういうお考えですか。 よろ しい。一切わたくしが引き受けましょう。」
 貞白は実に五百の深慮遠謀に驚いた。五百の兄栄次郎も、姉 やす の夫宗右衛門も、聖堂に学んだ男である。もし五百が尋常の商人を夫としたら、五百の意志は山内氏にも長尾氏にも かろ んぜられるであろう。これに反して五百が抽斎の妻となると栄次郎も宗右衛門も五百の前に うなじ を屈せなくてはならない。五百は里方のために はか って、労少くして功多きことを得るであろう。かつ兄の当然持っておるべき 身代 しんだい を、妹として譲り受けるということは望ましい事ではない。そうして置いては、兄の隠居が何事をしようと、これに くちばし れることが出来ぬであろう。永久に兄を徳として、その すがままに任せていなくてはなるまい。五百は かく の如き地位に身を置くことを欲せぬのである。五百は潔くこの家を去って渋江氏に き、しかもその渋江氏の力を りて、この家の上に監督を加えようとするのである。
 貞白は すぐ に抽斎を うて五百の ねがい を告げ、自分も ことば を添えて抽斎を説き うごか した。五百の婚嫁は かく の如くにして成就したのである。