壽阿彌の手紙 (Juami no tegami) | ||
二十九
わたくしは駒込願行寺に増田氏の墓を訪うた。第一高等學校寄宿舍の西、 巷 ( こうぢ ) に面した石垣の新に築かれてゐるのが此寺である。露次を曲つて南向の門に入ると、左に大いなる鑄鐵の 井欄 ( せいらん ) を見る。井欄の前面に 掌大 ( しやうだい ) の 凸字 ( とつじ ) を以て金澤と記してある。恐らくは増田氏の盛時のかたみであらう。
墓は門を入つて右に折れて往く 塋域 ( えいゐき ) にある。上に佛像を安置した墓の隣に、 屋盖形 ( やねがた ) のある石が二基並んで、南に面して立つてゐる。臺石には金澤屋と 彫 ( ゑ ) り、墓には正面から向つて左の面に及んで、 許多 ( あまた ) の戒名が列記してある。讀んで行く間に、明了軒の 諡 ( おくりな ) が系譜には運海と書してあつたのに、此には連海に作つてあるのに氣が付いた。金石文字は人の意を用ゐるものだから、或は系譜の方が誤ではなからうか。
拜し畢つて歸る時、わたくしは曾て 面 ( おもて ) を識つてゐる女子に逢つた。恐くは願行寺の住職の妻であらう。此女子は 曩 ( さき ) の日わたくしに細木香以の墓ををしへてくれた人である。
「けふは金澤の墓へまゐりました。先日金澤の老人に逢つて、先祖の墓がこちらにあるのを聞いたものですから。」とわたくしは云つた。
「さやうですか。あれはこちらの古い 檀家 ( だんか ) だと承はつてゐます。昔の御商賣は何でございましたでせう。」
「菓子屋でした。徳川家の菓子の御用を勤めたものです。維新前の菓子屋の番附には金澤丹後が東の大關になつてゐて、風月堂なんぞは西の幕の内の末の方に出てゐます。本郷の菓子屋では、岡野榮泉だの、藤村だの、船橋屋織江だのが載つてゐますが、皆 幕外 ( まくそと ) です。なんでも金澤は將軍家や大名ばかりを得意先にしてゐたものだから、維新の時に得意先と一しよに滅びたのださうです。今の老人の細君は木場の萬和の 女 ( むすめ ) です。里親の萬屋和助なんぞも、維新前の金持の番附には幕の内に 這入 ( はひ ) つてゐました。」
わたくしはこんな話をして女子に別を告げた。美しい 怜悧 ( れいり ) らしい言語の 明晰 ( めいせき ) な女子である。
増田氏歴代の中で一人谷中長運寺に葬られたものがあると、わたくしは蒼夫さんに聞いた。家に歸つてから、手近い書に就いて谷中の寺を
したが、長運寺の名は 容易 ( たやす ) く見附けられなかつた。そこでわたくしは 錯 ( あやま ) り聞いたかも知れぬと思つた。後に武田信賢著墓所集覽で谷中長運寺を出して往訪したが、増田氏の墓は無かつた。寺は渡邊治右衞門別莊の邊から一乘寺の辻へ拔ける狹い町の中程にある。蒼夫さんはわたくしの家を訪ふ約束をしてゐるから、若し再會したら重ねて長運寺の事をも問ひ 質 ( たゞ ) して見よう。
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