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7. |
8. | 巻第八
哀傷哥 |
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20. |
1916. |
1917. |
1918. |
1919. |
1920. |
1921. |
1922. |
1923. |
1924. |
1925. |
1926. |
1927. |
1928. |
1929. |
1930. |
1931. |
1932. |
1933. |
1934. |
1935. |
1936. |
1937. |
1938. |
1939. |
1940. |
1941. |
1942. |
1943. |
1944. |
1945. |
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1948. |
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1950. |
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1952. |
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1956. |
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1959. |
1960. |
1961. |
1962. |
1963. |
1964. |
1965. |
1966. |
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1968. |
1969. |
1970. |
1971. |
1972. |
1973. |
1974. |
1995. |
1975. |
1976. |
1977. |
1978. |
莪
春歌上 (Shin Kokinshu) | ||
8. 巻第八
哀傷哥
757
僧正遍昭
題しらず
758
小野小町
759
中納言兼輔
醍醐のみかどかくれたまひてのち、やよひのつごもりに、三条右 大臣につかはしける
760
実方朝臣
正暦二年諒闇の春、さくらのえだにつけて、道信朝臣につかはし ける
761
道信朝臣
返し
762
成尋法師
やよひのころ、人にをくれてなげきける人のもとへつかはしける
763
大江嘉言
人の、さくらをうへをきて、そのとしの四月になくなりにける、 又のとしはじめて花さきたるを見て
764
左京大夫顕輔
としごろすみ侍ける女の身まかりにける四十九日はてゝ、なを山 ざとにこもりゐてよみ侍ける
765
後徳大寺左大臣
公守朝臣母、身まかりてのちの春、法金剛院の花を見て
766
摂政太政大臣
定家朝臣、母のおもひに侍ける春のくれにつかはしける
767
前左兵衛督惟方
前大納言光頼、はる身まかりにけるを、かつらなるところにてと かくしてかへり侍けるに
768
大宰大弐重家
六条摂政かくれ侍りてのち、うへをきて侍りける牡丹のさきて侍 けるをおりて、女房のもとよりつかはして侍ければ
769
高陽院木綿四手
おさなきこのうせにけるがうへをきたりける昌蒲を見て、よみ侍 りける
770
上西門院兵衛
なげくこと侍りけるころ、五月五日、人のもとへ申つかはしける
771
九条院
近衛院かくれたまひにければ、よをそむきてのち、五月五日、皇 嘉門院にたてまつられける
772
皇嘉門院
返し
773
小野宮右大臣
すみ侍りける女なくなりにけるころ、藤原為頼朝臣妻、身まかり にけるにつかはしける
774
藤原為頼朝臣
返し
775
和泉式部
小式部内侍、つゆをきたるはぎをりたるからぎぬをきて侍りける を、身まかりてのち、上東門院よりたづねさせたまひける、たてまつるとて
776
上東門院
御返し
777
周防内侍
白河院御時、中宮おはしまさでのち、その御方は草のみしげりて 侍りけるに、七月七日、わらはべのつゆとり侍けるを見て
778
女御徽子女王
一品資子内親王にあひて、むかしのことゞも申いだしてよみ侍け る
779
一条院御哥
れいならぬことをもくなりて、御ぐしおろしたまひける日、上東 門院、中宮と申ける時、つかはしける
780
大弐三位
秋のころ、おさなきこにをくれたる人に
781
読人しらず
返し
782
清慎公
廉義公の母なくなりてのち、をみなへしを見て
783
和泉式部
弾正尹為尊親王にをくれてなげき侍けるころ
784
知足院入道前関白太政大臣
従一位源師子かくれ侍りて、宇治より新少将がもとにつかはしけ る
785
権中納言俊忠
法輪寺にまうで侍とて、さがのに大納言忠家がはかの侍けるほど に、まかりてよみ侍ける
786
後徳大寺左大臣
公時卿母、身まかりてなげき侍けるころ、大納言実国もとに申つ かはしける
787
皇太后宮大夫俊成女
母の身まかりにけるをさがのへんにおさめ侍ける夜、よみける
788
定家朝臣
母身まかりにける秋、のわきしける日、もとすみ侍りけるところ にまかりて
789
藤原秀能
ちゝ秀宗身まかりての秋、寄風懐旧といふことをよみ侍ける
790
殷富門院大輔
久我内大臣、春ごろうせて侍けるとしの秋、土御門内大臣、中将 に侍ける時、つかはしける
791
土御門内大臣
返し
792
大納言実家
しのびてもの申ける女、身まかりてのち、そのいゑにとまりてよ み侍ける
793
西行法師
みちのくにへまかれりける野中に、めにたつさまなるつかの侍け るを、とはせ侍ければ、これなん中将のつかと申すとこたへければ、中将とはいづれ の人ぞととひ侍ければ、実方朝臣の事となん申けるに、冬の事にて、しもがれのすゝ きほのぼの見えわたりて、おりふしものがなしうおぼえ侍ければ
794
前大僧正慈円
同行なりける人、うちつゞきはかなくなりにければ、おもひい でゝよめる
795
皇太后宮大夫俊成
母のおもひに侍ける秋、法輪にこもりて、あらしのいたくふきけ れば
796
定家朝臣母、身まかりてのち、秋ごろ墓所ちかき堂にとまりてよ み侍ける
797
久我太政大臣
堀河院かくれ給てのち、神な月、風のをとあはれにきこえければ
798
藤原定通身まかりてのち、月あかき夜、人のゆめに殿上になん侍 とて、よみ侍ける哥
799
能因法師
源為善朝臣身まかりにける又のとし、月を見て
800
前大納言公任
世中はかなく、人々おほくなくなり侍けるころ、中将宣方朝臣身 まかりて、十月許、白河の家にまかれりけるに、紅葉のひとはのこれるを見侍て
801
太上天皇
十月許、みなせに侍しころ、前大僧正慈円のもとへ、ぬれてしぐ れのなど申つかはして、つぎのとしの神無月に、無常の哥あまたよみてつかはし侍し 中に
802
前大僧正慈円
返し
803
太上天皇
雨中無常といふことを
804
相模
枇杷皇太后宮かくれてのち、十月許、かの家の人々の中に、たれ ともなくてさしをかせける
805
土御門右大臣女
右大将通房身まかりてのち、てならひすさびて侍けるあふぎを見 いだして、よみ侍ける
806
馬内侍
斎宮女御のもとにて、先帝のかゝせたまへりけるさうしを見侍て
807
女御徽子女王
返し
808
道信朝臣
恒徳公かくれてのち、女のもとに、月あかき夜しのびてまかりて よみ侍ける
809
東三条院
入道摂政のために万灯会をこなはれ侍けるに
810
源信明朝臣
公忠朝臣身まかりにけるころ、よみ侍ける
811
上東門院
一条院かくれたまひにければ、その御事をのみこひなげき給て、 ゆめにほのみえたまひければ
812
女御藤原生子大二条関白女
後朱雀院かくれ給て、上東門院、白河にこもり給にけるをきゝて
1987
和泉式部
題しらず
813
源道済
おさなかりけるこの身まかりにけるに
814
後一条院中宮かくれ給てのち、人のゆめに
1988
盛明親王
醍醐のみかどかくれ給てのころ、人のもとにつかはしける
815
権大納言長家
小野宮右大臣身まかりぬときゝてよめる
816
和泉式部
小式部内侍身まかりてのち、つねにもちて侍けるてばこを誦経に せさすとて、よみ侍ける
817
紫式部
上東門院小少将身まかりてのち、つねにうちとけてかきかはしけ るふみの、ものゝ中に侍けるを見いでゝ、加賀少納言がもとへつかはしける
818
加賀少納言
返し
819
律師慶暹
僧正明尊かくれてのち、ひさしくなりて、房などもいはくらにと りわたして、くさおひしげりて、ことざまになりにけるをみて
820
紫式部
よのはかなきことをなげくころ、みちのくにゝ名あるところどこ ろ かきたるゑを見侍りて
821
弁乳母
後朱雀院かくれたまひて、源三位がもとにつかはしける
822
源三位
返し
823
能因法師
大江嘉言、つしまになりてくだるとて、なにはほりえのあしのう らばにとよみてくだり侍にけるほどに、国にてなくなりにけりときゝて
824
大江匡衡朝臣
題しらず
825
新少将
俊頼朝臣身まかりてのち、つねに見ける鏡を仏につくらせ侍とて よめる
826
按察使公通
かよひける女のはかなくなり侍にけるころ、かきをきたるふみど も、経のれうしになさんとてとりいでゝ見侍けるに
827
中院右大臣
禎子内親王かくれ侍てのち、?子内親王かはりゐ侍ぬときゝ て、まかりて見ければ、なに事もかはらぬやうに侍けるも、いとゞむかしおもひいで られて、女房に申侍ける
828
皇太后宮大夫俊成
権中納言道家母、かくれ侍にける秋、摂政太政大臣のもとにつか はしける
829
摂政太政大臣
返し
830
清輔朝臣
母のおもひに侍けるころ、又なくなりにける人のあたりよりとひ て侍ければ、つかはしける
831
西行法師
無常のこゝろを
832
前大僧正慈円
833
834
835
836
寂蓮法師
前参議教長、高野にこもりゐて侍けるが、やまひかぎりになり侍 ぬときゝて、頼輔卿まかりけるほどに身まかりぬときゝて、つかはしける
837
西行法師
人にをくれてなげきける人につかはしける
838
なげくこと侍ける人、とはずとうらみ侍ければ
839
入道左大臣
無常のこゝろを
840
土御門内大臣
左近中将通宗が墓所にまかりて、よみ侍ける
841
前大僧正慈円
覚快法親王かくれ侍て、周忌のはてに墓所にまかりて、よみ侍け る
842
右大将忠経
母のためにあはたぐちの家にて仏くやうし侍ける時、はらからみ なまうできあひて、ふるきおもかげなどさらにしのび侍けるおりふしゝも、あめかき くらしふり侍ければ、かへるとて、かの堂の障子にかきつけ侍ける
843
法橋行遍
なくなりたる人のかずをそとばにかきて、哥よみ侍けるに
844
祝部成仲
子の身まかりにけるつぎのとしの夏、かの家にまかりたりけるに、 はなたちばなのかほりければよめる
845
藤原兼房朝臣
能因法師身まかりてのち、よみ侍ける
846
権中納言通俊
妻なくなりて又のとしの秋ごろ、周防内侍がもとへつかはしける
847
権中納言国信
堀河院かくれ給ひてのち、よめる
848
左京大夫顕輔
かよひける女、山ざとにてはかなくなりにければ、つれづれとこ もりゐて侍けるが、あからさまに京へまかりて、あか月かへるに、とりなきぬ、と 人々いそがし侍ければ
849
人麿
ならのみかどをおさめたてまつりけるをみて
850
小野小町
題しらず
851
業平朝臣
852
延喜御哥
更衣の服にてまいれりけるを見たまひて
853
中納言兼輔
おもひにて人のいゑにやどれりけるを、その家にわすれぐさのお ほく侍りければ、あるじにつかはしける
854
藤原季縄
やまひにしづみて、ひさしくこもりゐて侍けるが、たまたまよろ しくなりて、うちにまいりて、右大弁公忠、蔵人に侍けるに、あひて、又あさてばか りまいるべきよし申て、まかりいでにけるまゝに、やまひをもくなりてかぎりに侍け れば、公忠朝臣につかはしける
855
中務卿具平親王
母の女御かくれ侍りて、七月七日よみ侍ける
856
紫式部
うせにける人のふみの、ものゝ中なるを見いでゝ、そのゆかりな る人のもとにつかはしける
莪
春歌上 (Shin Kokinshu) | ||