17. 巻十七
雑哥中
1588
河島皇子
朱鳥五年九月、紀伊国に行幸時
白なみのはま松がえのたむけぐさいくよまでにかとしのへぬらん
1589
式部卿宇合
題しらず
山しろのいは田のをのゝはゝそはら見つゝや君が山ぢこゆらん
1590
在原業平朝臣
あしのやのなだのしほやきいとまなみつげのをぐしもさゝずきに
けり
1591
はるゝよのはしかゝはべの蛍かもわがすむかたのあまのたくひか
1592
よみ人しらず
しかのあまのしほやくけぶり風をいたみたちはのぼらで山にたな
びく
1593
貫之
なにはめの衣ほすとてかりてたくあしびのけぶりたゝぬ日ぞなき
1594
忠岑
ながらのはしをよみ侍ける
としふればくちこそまされはしばしらむかしながらの名だにかは
らで
1595
恵慶法師
春の日のながらのはまに舟とめていづれかはしとゝへどこたへぬ
1596
後徳大寺左大臣
くちにけるながらのはしをきてみればあしのかれ葉に秋風ぞ吹
1597
権中納言定頼
題しらず
おきつ風よはにふくらしなにはがたあか月かけてなみぞよすなる
1598
藤原孝善
春、すまの方にまかりてよめる
すまの浦のなぎたるあさはめもはるにかすみにまがふあまのつり
舟\
1599
壬生忠見
天暦御時屏風哥
秋風のせきふきこゆるたびごとに声うちそふるすまのうら浪
1600
前大僧正慈円
五十首哥よみてたてまつりしに
すまの関夢をとおさぬなみのをとをおもひもよらでやどをかりけ
る
1601
摂政太政大臣
和哥所哥合に、関路秋風といふことを
人すまぬふわのせきやのいたびさしあれにしのちはたゞ秋の風
1602
俊頼朝臣
明石浦をよめる
あまを舟とまふきかへす浦風にひとりあかしの月をこそ見れ
1603
寂蓮法師
眺望のこゝろをよめる
わかのうらを松の葉ごしにながむればこずゑによするあまのつり
舟
1604
正三位季能
千五百番哥合に
みづのえのよしのゝ宮は神さびてよはひたけたる浦の松風\
1605
藤原秀能
海辺のこゝろを
いまさらにすみうしとてもいかゞせんなだのしほやのゆふぐれの
空
1991
貫之
題しらず
[入拾遺集之由、権中納言源朝臣申之]
いくよへしいそべの松ぞむかしよりたちよるなみのかずはしるら
ん
1606
女御徽子女王
むすめの斎王にぐしてくだり侍て、おほよどのうらにみそぎし侍
とて
おほよどのうらにたつなみかへらずは松のかはらぬいろをみまし
や
1607
後冷泉院御哥
大弐三位さとにいで侍りにけるをきこしめして
まつ人は心ゆくともすみよしのさとにとのみはおもはざらなん
1608
大弐三位
御返し
すみよしの松はまつともおもほえで君がちとせのかげぞこひしき
1609
祝部成仲
教長教、名所哥よませ侍けるに
うちよする浪のこゑにてしるきかなふきあげのはまの秋のはつ風
1610
越前
百首哥たてまつりし時、海辺哥
おきつかぜ夜さむになれやたごのうらのあまのもしほ火たきまさ
るらん\
1611
家隆朝臣
海辺霞といへる心をよみ侍し
見わたせばかすみのうちもかすみけりけぶりたなびくしほがまの
うら
1612
皇太后宮大夫俊成
太神宮にたてまつりける百首哥のなかに、わかなをよめる
けふとてやいそなつむらんいせしまやいちしのうらのあまのをと
めご
1613
西行法師
伊勢にまかりける時よめる
すゞか山うきよをよそにふりすてゝいかになりゆくわが身なるら
ん
1614
前大僧正慈円
題しらず
世中をこゝろたかくもいとふかなふじのけぶりを身のおもひにて
1615
西行法師
あづまのかたへ修行し侍けるに、ふじの山をよめる
風になびくふじのけぶりのそらにきえてゆくゑもしらぬわが思哉
1616
業平朝臣
さ月のつごもりに、ふじの山のゆきしろくふれるを見てよみ侍け
る
時しらぬ山はふじのねいつとてかかのこまだらに雪のふるらん\
1617
在原元方
題しらず
春秋もしらぬときはの山ざとはすむ人さへやおもがはりせぬ
1618
前大僧正慈円
五十首哥たてまつりし時
花ならでたゞしばのとをさして思こゝろのおくもみよしのゝ山
1619
西行法師
だいしらず
よしの山やがていでじとおもふ身を花ちりなばと人やまつらん
1620
藤原家衡朝臣
いとひてもなをいとはしきよなりけりよしのゝおくの秋の夕ぐれ
1621
右衛門督通具
千五百番哥合に
ひとすぢになれなばさてもすぎのいほによなよなかはる風のをと
かな
1622
有家朝臣
守覚法親王五十首哥よませ侍けるに、閑居のこゝろをよめる
たれかはとおもひたえてもまつにのみをとづれてゆく風はうらめ
し\
1623
宜秋門院丹後
鳥羽にて哥合し侍りしに、山家嵐といふことを
山ざとはよのうきよりはすみわびぬことのほかなる峰の嵐に
1624
家隆朝臣
百首哥たてまつりしに
滝のをと松のあらしもなれぬればうちぬるほどの夢はみせけり
1625
寂然法師
題しらず
ことしげきよをのがれにしみ山べにあらしの風も心してふけ
1626
権大納言師氏
少将高光、横河にまかりてかしらおろし侍にけるに、法服つかは
すとて
おく山のこけの衣にくらべ見よいづれかつゆのをきまさるとも
1627
如覚
返し
白つゆのあしたゆふべにおく山のこけの衣は風もさはらず
1628
読人しらず
能宣朝臣、大原野にまうでゝ侍りけるに、山ざとのいとあやしき
に、すむべくもあらぬさまなる人の侍りければ、いづくわたりよりすむぞなどゝひ侍
ければ
世中をそむきにとてはこしかどもなをうきことはおほはらのさと
1629
能宣朝臣
返し
身をばかつをしほの山とおもひつゝいかにさだめて人のいりけん
\
1630
恵慶法師
ふかき山にすみ侍けるひじりのもとにたづねまかりたりけるに、
いほりのとをとぢて人も侍らざりければ、かへるとてかきつけゝる
こけのいほりさしてきつれど君まさでかへるみ山のみちのつゆけ
さ
1631
ひじりのちに見て、返し
あれはてゝ風もさはらぬこけのいほにわれはなくともつゆはもり
けん
1632
西行法師
題しらず
山ふかくさこそ心はかよふともすまであはれをしらんものかは
1633
やまかげにすまぬこゝろはいかなれやおしまれている月もあるよ
に\
1634
寂蓮法師
山家送年といへる心をよみ侍ける
たちいでゝつま木おりこしかたをかのふかき山ぢとなりにけるか
な
1635
太上天皇
住吉哥合に、山を
おく山のをどろがしたもふみわけてみちあるよぞと人にしらせん
1636
二条院讃岐
百首哥たてまつりし時
ながらへて猶きみがよを松山のまつとせしまにとしぞへにける
1637
皇太后宮大夫俊成
山家松といふことを
いまはとてつま木こるべきやどの松ちよをば君と猶いのる哉
1638
有家朝臣
春日哥合に、松風といへる事を
われながらおもふかものをとばかりに袖にしぐるゝ庭の松風
1639
道命法師
山でらに侍りけるころ
世をそむこところとかきくおく山はものおもひにぞいるべかりけ
る
1640
和泉式部
少将井の尼、大原よりいでたりときゝてつかはしける
世をそむくかたはいづくにありぬべしおほはら山はすみよかりき
や
1641
少将井尼
返し
おもふことおほはら山のすみがまはいとゞなげきのかずをこそつ
め
1642
西行法師
題しらず
たれすみて哀しるらん山ざとの雨ふりすさむゆふぐれの空
1643
しほりせでなを山ふかくわけいらんうきこときかぬ所ありやと
1644
殷富門院大輔
かざしおるみわのしげ山かきわけてあはれとぞおもふすぎたてる
かど
1645
道命法師
法輪寺にすみ侍けるに、人のまうできて、くれぬとていそぎ侍け
れば
いつとなきをぐらの山のかげをみてくれぬと人のいそぐなる哉
1646
定家朝臣
後白河院栖霞寺におはしましけるに、こまひきのひきわけのつか
ひにてまいりけるに
さがの山ちよのふるみちあとゝめてまたつゆわくるもち月のこま
\
1647
知足院入道前関白太政大臣
なげくこと侍けるころ
さほがはのながれひさしき身なれどもうきせにあひてしづみぬる
哉
1648
東三条入道前摂政太政大臣
冬ごろ、大将はなれてなげく事侍りけるあくるとし、右大臣にな
りて奏し侍ける
かゝるせもありけるものをうぢがはのたえぬばかりもなげきける
かな
1649
円融院御哥
御返し
むかしよりたえせぬ河のすゑなればよどむばかりをなになげくら
ん
1650
人麿
題しらず
ものゝふのやそ氏がはのあじろ木にいざよふ浪のゆくゑしらずも
1651
中納言行平
ぬのびきのたき見にまかりて
わがよをばけふかあすかとまつかひのなみだの滝といづれたかけ
ん
1652
二条関白内大臣
京極前太政大臣、ぬのびきのたき見にまかりて侍けるに
みなかみのそらにみゆるは白雲のたつにまがへるぬのびきの滝
1653
有家朝臣
最勝四天王院の障子に、ぬのびきのたきかきたる所
ひさかたのあまつをとめが夏衣くも井にさらすぬのびきのたき
1654
摂政太政大臣
あまのかはらをすぐとて
むかしきくあまのかはらをたづねきてあとなきみづをながむばか
りぞ\
1655
実方朝臣
題しらず
あまのがはかよふうきゝにことゝはんもみぢのはしはちるやちら
ずや
1656
前中納言匡房
堀河院御時百首哥たてまつりけるに
ま木のいたもこけむすばかりなりにけりいくよへぬらんせたのな
がはし
1657
中務
天暦御時、屏風にくにぐにの所の名をかゝせさせ給けるに、あす
かゞは
さだめなき名にはたてれどあすかゞははやくわたりしせにこそ有
けれ
1658
前大僧正慈円
題しらず
山ざとにひとりながめておもふかなよにすむ人の心づよさを\
1659
西行法師
やまざとにうきよいとはんともゝがなくやしくすぎし昔かたらん
1660
山ざとは人こさせじとおもはねどとはるゝことぞうとくなりゆく
\
1661
前大僧正慈円
草のいほをいとひても又いかゞせんつゆのいのちのかゝるかぎり
は
1662
大僧正行尊
みやこをいでゝひさしく修行し侍けるに、とふべき人のとはず侍
ければ、くまのよりつかはしける
わくらばになどかは人のとはざらんをとなし河にすむ身なりとも
1663
安法々師
あひしれりける人のくまのにこもり侍けるにつかはしける
世をそむく山のみなみの松風にこけのころもやよさむなるらん
1664
家隆朝臣
西行法師、百首哥すゝめてよませ侍けるに
いつかわれこけのたもとにつゆをきてしらぬ山ぢの月をみるべき
\
1665
式子内親王
百首哥たてまつりしに、山家の心を
いまはわれ松のはしらのすぎのいほにとづべき物をこけふかき袖
1666
小侍従
しきみつむ山ぢのつゆにぬれにけり暁おきのすみ染のそで
1667
摂政太政大臣
わすれじの人だにとはぬ山ぢかな桜は雪にふりかはれども
1668
雅経
五十首哥たてまつりし時
かげやどすつゆのみしげくなりはてゝ草にやつるゝふるさとの月
\
1669
賀茂重保
俊恵法師身まかりてのち、としごろつかはしけるたきゞなど、弟
子どものもとにつかはすとて
けぶりたえてやく人もなきすみがまのあとのなげきをたれかこる
らん
1670
西日法師
老後、つのくになる山でらにまかりこもりけるに、寂蓮たづねま
かりて侍けるに、いほりのさますみあらしてあはれにみえ侍けるを、かへりてのちと
ぶらひて侍ければ
やそぢあまりにしのむかへをまちかねてすみあらしたるしばのい
ほりぞ
1671
前大僧正慈円
山家哥あまたよみ侍けるに
山ざとにとひくる人のことくさはこのすまゐこそうらやましけれ
\
1672
式子内親王
後白河院かくれさせ給てのち、百首哥に
おのゝえのくちしむかしはとをけれどありしにもあらぬよをもふ
る哉
1673
皇太后宮大夫俊成
述懐百首哥よみ侍けるに
いかにせんしづがそのふのおくのたけかきこもるとも世中ぞかし
1674
祝部成仲
おいのゝち、むかしを思いで侍りて
あけくれはかしをのみぞしのぶぐさ葉ずゑのつゆに袖ぬらしつゝ
1675
前大僧正慈円
題しらず
をかの辺のさとのあるじをたづぬれば人はこたへず山をろしの風
1676
西行法師
ふるはたのそばのたつきにゐるはとのともよぶ声のすごきゆふぐ
れ
1677
山がつのかたをかゝけてしむる野のさかひにたてる玉のを柳
1678
しげきのをいくひとむらにわけなしてさらにむかしをしのびかへ
さん
1679
むかし見し庭のこ松にとしふりて嵐のをとをこずゑにぞきく
1680
大僧正行尊
三井寺やけてのち、すみ侍ける房をおもひやりてよめる
すみなれしわがふるさとはこのごろやあさぢがはらにうづらなく
らん
1681
摂政太政大臣
百首哥よみ侍けるに
ふるさとはあさぢがすゑになりはてゝ月にのこれる人のおもかげ
1682
西行法師
これや見しむかしすみけんあとならんよもぎがつゆに月のかゝれ
る
1683
貫之
人のもとにまかりて、これかれ松のかげにおりゐてあそびけるに
かげにとてたちかくるればから衣ぬれぬ雨ふる松のこゑかな\
1684
能因法師
西院辺にはやうあひしれりける人をたづね侍けるに、すみれつみ
けるをんな、しらぬよし申ければ、よみ侍ける
いそのかみふりにし人をたづぬればあれたるやどにすみれつみけ
り\
1685
恵慶法師
ぬしなきやどを
いにしへをおもひやりてぞこひわたるあれたるやどのこけのいし
ばし
1686
定家朝臣
守覚法親王五十首哥よませ侍けるに、閑居の心を
わくらばにとはれし人もむかしにてそれより庭のあとはたえにき
1687
赤染衛門
ものへまかりけるみちに、やま人あまたあへりけるを見て
なげきこる身は山ながらすぐせかしうきよの中になにかへるらん
\
1688
人麿
秋さればかり人こゆるたつた山たちてもゐてもゝのをしぞおもふ
1689
天智天皇御哥
あさくらやきのまろどのにわがをればなのりをしつゝゆくはたが
こぞ\