8. 巻第八
哀傷哥
757
僧正遍昭
題しらず
すえのつゆもとのしづくやよの中のをくれさきだつためしなるら
ん
758
小野小町
あはれなりわが身のはてやあさみどりつゐには野辺のかすみとお
もへば
759
中納言兼輔
醍醐のみかどかくれたまひてのち、やよひのつごもりに、三条右
大臣につかはしける
さくらちる春のすゑにはなりにけりあまゝもしらぬながめせしま
に
760
実方朝臣
正暦二年諒闇の春、さくらのえだにつけて、道信朝臣につかはし
ける
すみぞめのころもうきよの花ざかりおりわすれてもおりてけるか
な
761
道信朝臣
返し
あかざりし花をや春もこひつらんありし昔を思ひいでつゝ
762
成尋法師
やよひのころ、人にをくれてなげきける人のもとへつかはしける
花ざくらまださかりにてちりにけんなげきのもとを思こそやれ\
763
大江嘉言
人の、さくらをうへをきて、そのとしの四月になくなりにける、
又のとしはじめて花さきたるを見て
花見んとうへけん人もなきやどのさくらはこぞの春ぞさかまし
764
左京大夫顕輔
としごろすみ侍ける女の身まかりにける四十九日はてゝ、なを山
ざとにこもりゐてよみ侍ける
たれもみな花の宮こにちりはてゝひとりしぐるゝ秋の山ざと
765
後徳大寺左大臣
公守朝臣母、身まかりてのちの春、法金剛院の花を見て
花見てはいとゞいゑぢぞいそがれぬまつらんと思人しなければ
766
摂政太政大臣
定家朝臣、母のおもひに侍ける春のくれにつかはしける
春霞かすみしそらのなごりさへけふをかぎりのわかれなりけり
767
前左兵衛督惟方
前大納言光頼、はる身まかりにけるを、かつらなるところにてと
かくしてかへり侍けるに
たちのぼるけぶりをだにも見るべきにかすみにまがふ春のあけぼ
の
768
大宰大弐重家
六条摂政かくれ侍りてのち、うへをきて侍りける牡丹のさきて侍
けるをおりて、女房のもとよりつかはして侍ければ
かたみとて見ればなげきのふかみ草なに中なかのにほひなるらん
769
高陽院木綿四手
おさなきこのうせにけるがうへをきたりける昌蒲を見て、よみ侍
りける
あやめぐさたれしのべとかうへをきてよもぎがもとのつゆときえ
けん
770
上西門院兵衛
なげくこと侍りけるころ、五月五日、人のもとへ申つかはしける
けふくれどあやめもしらぬたもとかなむかしをこふるねのみかゝ
りて
771
九条院
近衛院かくれたまひにければ、よをそむきてのち、五月五日、皇
嘉門院にたてまつられける
あやめ草ひきたがへたるたもとにはむかしをこふるねぞかゝりけ
る
772
皇嘉門院
返し
さもこそはおなじたもとのいろならめかはらぬねをもかけてける
哉
773
小野宮右大臣
すみ侍りける女なくなりにけるころ、藤原為頼朝臣妻、身まかり
にけるにつかはしける
よそなれどおなじ心ぞかよふべきたれも思ひのひとつならねば\
774
藤原為頼朝臣
返し
ひとりにもあらぬ思はなき人もたびのそらにやかなしかるらん\
775
和泉式部
小式部内侍、つゆをきたるはぎをりたるからぎぬをきて侍りける
を、身まかりてのち、上東門院よりたづねさせたまひける、たてまつるとて
をくと見しつゆもありけりはかなくてきえにし人をなにゝたとへ
ん
776
上東門院
御返し
おもひきやはかなくをきし袖のうへのつゆをかたみにかけん物と
は
777
周防内侍
白河院御時、中宮おはしまさでのち、その御方は草のみしげりて
侍りけるに、七月七日、わらはべのつゆとり侍けるを見て
あさぢはらはかなくきえし草のうへのつゆをかたみと思かけきや
778
女御徽子女王
一品資子内親王にあひて、むかしのことゞも申いだしてよみ侍け
る
袖にさへ秋のゆふべはしられけりきえしあさぢがつゆをかけつゝ
779
一条院御哥
れいならぬことをもくなりて、御ぐしおろしたまひける日、上東
門院、中宮と申ける時、つかはしける
秋風のつゆのやどりに君をゝきてちりをいでぬることぞかなしき
780
大弐三位
秋のころ、おさなきこにをくれたる人に
わかれけんなごりの袖もかはかぬにをきやそふらん秋のゆふつゆ
\
781
読人しらず
返し
をきそふるつゆとゝもにはきえもせでなみだにのみもうきしづむ
かな\
782
清慎公
廉義公の母なくなりてのち、をみなへしを見て
をみなへしみるに心はなぐさまでいとゞむかしの秋ぞこひしき
783
和泉式部
弾正尹為尊親王にをくれてなげき侍けるころ
ねざめする身をふきとおす風のをとをむかしは袖のよそにきゝけ
ん
784
知足院入道前関白太政大臣
従一位源師子かくれ侍りて、宇治より新少将がもとにつかはしけ
る
袖ぬらす萩のうはゞのつゆばかりむかしわすれぬむしのねぞする
785
権中納言俊忠
法輪寺にまうで侍とて、さがのに大納言忠家がはかの侍けるほど
に、まかりてよみ侍ける
さらでだにつゆけきさがのゝべにきてむかしのあとにしほれぬる
かな
786
後徳大寺左大臣
公時卿母、身まかりてなげき侍けるころ、大納言実国もとに申つ
かはしける
かなしさは秋のさが野のきりぎりすなをふるさとにねをやなくら
ん
787
皇太后宮大夫俊成女
母の身まかりにけるをさがのへんにおさめ侍ける夜、よみける
今はさはうきよのさがのゝべをこそつゆきえはてしあとゝしのば
め
788
定家朝臣
母身まかりにける秋、のわきしける日、もとすみ侍りけるところ
にまかりて
たまゆらのつゆも涙もとゞまらずなき人こふるやどの秋風
789
藤原秀能
ちゝ秀宗身まかりての秋、寄風懐旧といふことをよみ侍ける
つゆをだにいまはかたみのふぢごろもあだにも袖をふくあらしか
な
790
殷富門院大輔
久我内大臣、春ごろうせて侍けるとしの秋、土御門内大臣、中将
に侍ける時、つかはしける
秋ふかきねざめにいかゞおもひいづるはかなく見えし春のよの夢
\
791
土御門内大臣
返し
見し夢をわするゝ時はなけれども秋のねざめはげにぞかなしき\
792
大納言実家
しのびてもの申ける女、身まかりてのち、そのいゑにとまりてよ
み侍ける
なれし秋のふけしよどこはそれながら心のそこの夢ぞかなしき
793
西行法師
みちのくにへまかれりける野中に、めにたつさまなるつかの侍け
るを、とはせ侍ければ、これなん中将のつかと申すとこたへければ、中将とはいづれ
の人ぞととひ侍ければ、実方朝臣の事となん申けるに、冬の事にて、しもがれのすゝ
きほのぼの見えわたりて、おりふしものがなしうおぼえ侍ければ
くちもせぬその名ばかりをとゞめをきてかれ野のすゝきかたみと
ぞみる
794
前大僧正慈円
同行なりける人、うちつゞきはかなくなりにければ、おもひい
でゝよめる
ふるさとをこふる涙やひとりゆくともなき山のみちしばのつゆ
795
皇太后宮大夫俊成
母のおもひに侍ける秋、法輪にこもりて、あらしのいたくふきけ
れば
うきよにはいまはあらしの山かぜにこれやなれゆくはじめなるら
ん
796
定家朝臣母、身まかりてのち、秋ごろ墓所ちかき堂にとまりてよ
み侍ける
まれにくる夜はもかなしき松風をたえずやこけのしたにきくらん
797
久我太政大臣
堀河院かくれ給てのち、神な月、風のをとあはれにきこえければ
ものおもへばいろなき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに
798
藤原定通身まかりてのち、月あかき夜、人のゆめに殿上になん侍
とて、よみ侍ける哥
ふるさとをわかれし秋をかぞふればやとせになりぬありあけの月
799
能因法師
源為善朝臣身まかりにける又のとし、月を見て
いのちあればことしの秋も月はみつわかれし人にあふよなきかな
800
前大納言公任
世中はかなく、人々おほくなくなり侍けるころ、中将宣方朝臣身
まかりて、十月許、白河の家にまかれりけるに、紅葉のひとはのこれるを見侍て
けふこずはみでやゝまゝし山ざとのもみぢも人もつねならぬよに
\
801
太上天皇
十月許、みなせに侍しころ、前大僧正慈円のもとへ、ぬれてしぐ
れのなど申つかはして、つぎのとしの神無月に、無常の哥あまたよみてつかはし侍し
中に
おもひいづるおりたくしばのゆふけぶりむせぶもうれし忘がたみ
に
802
前大僧正慈円
返し
おもひいづるおりたくしばときくからにたぐひしられぬゆふけぶ
りかな
803
太上天皇
雨中無常といふことを
なき人のかたみの雲やしほるらんゆふべの雨にいろはみえねど
804
相模
枇杷皇太后宮かくれてのち、十月許、かの家の人々の中に、たれ
ともなくてさしをかせける
神な月しぐるゝころもいかなれやそらにすぎにし秋の宮人
805
土御門右大臣女
右大将通房身まかりてのち、てならひすさびて侍けるあふぎを見
いだして、よみ侍ける
てすさびのはかなきあとゝ見しかども長かたみになりにけるかな
806
馬内侍
斎宮女御のもとにて、先帝のかゝせたまへりけるさうしを見侍て
たづねてもあとはかくてもみづくきのゆくゑもしらぬ昔なりけり
807
女御徽子女王
返し
いにしへのなきにながるゝ水くきのあとこそ袖のうらによりけれ
808
道信朝臣
恒徳公かくれてのち、女のもとに、月あかき夜しのびてまかりて
よみ侍ける
ほしもあへぬころものやみにくらされて月ともいはずまどひぬる
かな\
809
東三条院
入道摂政のために万灯会をこなはれ侍けるに
みなそこにちゞのひかりはうつれどもむかしのかげはみえずぞ有
ける\
810
源信明朝臣
公忠朝臣身まかりにけるころ、よみ侍ける
ものをのみおもひねざめのまくらにはなみだかゝらぬ暁ぞなき
811
上東門院
一条院かくれたまひにければ、その御事をのみこひなげき給て、
ゆめにほのみえたまひければ
あふこともいまはなきねの夢ならでいつかは君を又はみるべき
812
女御藤原生子大二条関白女
後朱雀院かくれ給て、上東門院、白河にこもり給にけるをきゝて
うしとてはいでにしいゑをいでぬなりなどふるさとにわが帰けん
\
1987
和泉式部
題しらず
たれなりとをくれさきだつほどあらばかたみにしのべ水くきのあ
と
813
源道済
おさなかりけるこの身まかりにけるに
はかなしといふにもいとゞなみだのみかゝるこのよをたのみける
かな
814
後一条院中宮かくれ給てのち、人のゆめに
ふるさとにゆく人もがなつげやらんしらぬ山ぢにひとりまどふと
1988
盛明親王
醍醐のみかどかくれ給てのころ、人のもとにつかはしける
世中のはかなきことをみるころはねなくに夢の心ちこそすれ
815
権大納言長家
小野宮右大臣身まかりぬときゝてよめる
たまのをの長ためしにひく人もきゆればつゆにことならぬかな\
816
和泉式部
小式部内侍身まかりてのち、つねにもちて侍けるてばこを誦経に
せさすとて、よみ侍ける
こひわぶときゝにだにきけかねのをとにうちわすらるゝ時のまぞ
なき\
817
紫式部
上東門院小少将身まかりてのち、つねにうちとけてかきかはしけ
るふみの、ものゝ中に侍けるを見いでゝ、加賀少納言がもとへつかはしける
たれかよにながらへて見んかきとめしあとはきえせぬかたみなれ
ども
818
加賀少納言
返し
なき人をしのぶることもいつまでぞけふの哀はあすのわが身を
819
律師慶暹
僧正明尊かくれてのち、ひさしくなりて、房などもいはくらにと
りわたして、くさおひしげりて、ことざまになりにけるをみて
なき人のあとをだにとてきてみればあらぬさとにもなりにけるか
な
820
紫式部
よのはかなきことをなげくころ、みちのくにゝ名あるところどこ
ろ
かきたるゑを見侍りて
見し人のけぶりになりしゆふべより名ぞむつましきしほがまのう
ら
821
弁乳母
後朱雀院かくれたまひて、源三位がもとにつかはしける
あはれきみいかなる野辺のけぶりにてむなしきそらの雲と成けん
\
822
源三位
返し
おもへきみもえしけぶりにまがひなでたちをくれたる春のかすみ
を\
823
能因法師
大江嘉言、つしまになりてくだるとて、なにはほりえのあしのう
らばにとよみてくだり侍にけるほどに、国にてなくなりにけりときゝて
あはれ人けふのいのちをしらませばなにはのあしにちぎらざらま
し\
824
大江匡衡朝臣
題しらず
よもすがらむかしのことをみつるかなかたるやうつゝありしよや
夢\
825
新少将
俊頼朝臣身まかりてのち、つねに見ける鏡を仏につくらせ侍とて
よめる
うつりけんむかしのかげやのこるとて見るにおもひのますかゞみ
かな
826
按察使公通
かよひける女のはかなくなり侍にけるころ、かきをきたるふみど
も、経のれうしになさんとてとりいでゝ見侍けるに
かきとむることの葉のみぞ水くきのながれてとまるかたみなりけ
る
827
中院右大臣
禎子内親王かくれ侍てのち、?子内親王かはりゐ侍ぬときゝ
て、まかりて見ければ、なに事もかはらぬやうに侍けるも、いとゞむかしおもひいで
られて、女房に申侍ける
ありすがはおなじながれはかはらねど見しやむかしのかげぞわす
れぬ
828
皇太后宮大夫俊成
権中納言道家母、かくれ侍にける秋、摂政太政大臣のもとにつか
はしける
かぎりなき思のほどの夢のうちはおどろかさじとなげきこしかな
829
摂政太政大臣
返し
見し夢にやがてまぎれぬわが身こそとはるゝけふもまづかなしけ
れ
830
清輔朝臣
母のおもひに侍けるころ、又なくなりにける人のあたりよりとひ
て侍ければ、つかはしける
世中は見しもきゝしもはかなくてむなしきそらのけぶりなりけり
831
西行法師
無常のこゝろを
いつなげきいつおもふべきことなればのちのよしらで人のすむら
ん\
832
前大僧正慈円
みな人のしりがほにしてしらぬかなかならずしぬるならひありと
は
833
きのふみし人はいかにとおどろけどなを長よの夢にぞ有ける
834
よもぎふにいつかをくべきつゆの身はけふのゆふぐれあすのあけ
ぼの\
835
われもいつぞあらましかばと見し人をしのぶとすればいとゞそひ
ゆく
836
寂蓮法師
前参議教長、高野にこもりゐて侍けるが、やまひかぎりになり侍
ぬときゝて、頼輔卿まかりけるほどに身まかりぬときゝて、つかはしける
たづねきていかにあはれとながむらんあとなき山の峰のしら雲
837
西行法師
人にをくれてなげきける人につかはしける
なきあとのおもかげをのみ身にそへてさこそは人のこひしかるら
め
838
なげくこと侍ける人、とはずとうらみ侍ければ
哀ともこゝろにおもふほどばかりいはれぬべくはとひこそはせめ
839
入道左大臣
無常のこゝろを
つくづくとおもへばかなしいつまでか人のあはれをよそにきくべ
き
840
土御門内大臣
左近中将通宗が墓所にまかりて、よみ侍ける
をくれゐてみるぞかなしきはかなさをうき身のあとゝなにたのみ
けむ
841
前大僧正慈円
覚快法親王かくれ侍て、周忌のはてに墓所にまかりて、よみ侍け
る
そこはかと思つゞけて来てみればことしのけふも袖はぬれけり
842
右大将忠経
母のためにあはたぐちの家にて仏くやうし侍ける時、はらからみ
なまうできあひて、ふるきおもかげなどさらにしのび侍けるおりふしゝも、あめかき
くらしふり侍ければ、かへるとて、かの堂の障子にかきつけ侍ける
たれもみな涙のあめにせきかねぬそらもいかゞはつれなかるべき
843
法橋行遍
なくなりたる人のかずをそとばにかきて、哥よみ侍けるに
見し人はよにもなぎさのもしほ草かきをくたびに袖ぞしほるゝ\
844
祝部成仲
子の身まかりにけるつぎのとしの夏、かの家にまかりたりけるに、
はなたちばなのかほりければよめる
あらざらんのちしのべとや袖のかをはなたちばなにとゞめをきけ
ん\
845
藤原兼房朝臣
能因法師身まかりてのち、よみ侍ける
ありしよにしばしも見ではなかりしを哀とばかりいひてやみぬる
\
846
権中納言通俊
妻なくなりて又のとしの秋ごろ、周防内侍がもとへつかはしける
とへかしなかたしくふぢの衣手になみだのかゝる秋のねざめを
847
権中納言国信
堀河院かくれ給ひてのち、よめる
君なくてよるかたもなきあをやぎのいとゞうきよぞ思みだるゝ
848
左京大夫顕輔
かよひける女、山ざとにてはかなくなりにければ、つれづれとこ
もりゐて侍けるが、あからさまに京へまかりて、あか月かへるに、とりなきぬ、と
人々いそがし侍ければ
いつのまに身を山がつになしはてゝ宮こをたびと思ふなるらん
849
人麿
ならのみかどをおさめたてまつりけるをみて
ひさかたのあめにしほるゝ君ゆへに月日もしらでこひわたるらん
850
小野小町
題しらず
あるはなくなきはかずそふ世中にあはれいづれの日までなげかん
851
業平朝臣
白玉かなにぞと人のとひし時つゆとこたへてけなまし物を\
852
延喜御哥
更衣の服にてまいれりけるを見たまひて
としふればかくもありけりすみぞめのこはおもふてふそれかあら
ぬか\
853
中納言兼輔
おもひにて人のいゑにやどれりけるを、その家にわすれぐさのお
ほく侍りければ、あるじにつかはしける
なき人をしのびかねては忘草おほかるやどにやどりをぞする\
854
藤原季縄
やまひにしづみて、ひさしくこもりゐて侍けるが、たまたまよろ
しくなりて、うちにまいりて、右大弁公忠、蔵人に侍けるに、あひて、又あさてばか
りまいるべきよし申て、まかりいでにけるまゝに、やまひをもくなりてかぎりに侍け
れば、公忠朝臣につかはしける
くやしくぞのちにあはんと契けるけふをかぎりといはまし物を
855
中務卿具平親王
母の女御かくれ侍りて、七月七日よみ侍ける
すみぞめのそではそらにもかさなくにしぼりもあへずつゆぞこぼ
るゝ
856
紫式部
うせにける人のふみの、ものゝ中なるを見いでゝ、そのゆかりな
る人のもとにつかはしける
くれぬまの身をばおもはで人のよのあはれをしるぞかつははかな
き\