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16. | 巻第十六
雑哥上 |
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春歌上 (Shin Kokinshu) | ||
16. 巻第十六
雑哥上
1436
皇太后宮大夫俊成
入道前関白太政大臣家に百首哥よませ侍けるに、立春の心を
1437
藤原有家朝臣
土御門内大臣家に、山家残雪といふこゝろをよみ侍けるに
1438
一条左大臣
円融院くらゐさり給てのち、ふなをかに子日したまひけるにまい りて、あしたにたてまつりける
1439
円融院御哥
御返し
1440
大僧正行尊
月のあかく侍ける夜、そでのぬれたりけるを
1441
菅贈太政大臣
うぐひすを
1442
梅
1443
貞信公
枇杷左大臣の大臣になりて侍けるよろこび申とて、むめをおりて
1444
源公忠朝臣
延長のころをひ五位蔵人に侍けるを、はなれ侍て、朱雀院承平八 年又かへりなりて、あくるとしむ月に御あそび侍ける日、むめの花をおりてよみ侍け る
1445
華山院御哥
むめのはなを見たまひて
1446
大弐三位
上東門院よをそむきたまひにける春、にはのこうばいを見侍りて
1447
東三条入道前摂政太政大臣
東三条院女御におはしける時、円融院つねにわたり給けるをきゝ 侍りて、ゆげひの命婦がもとにつかはしける
1448
円融院御哥
御返し
1449
菅贈太政大臣
柳を
1450
深養父
題しらず
1451
円融院御哥
堀河院におはしましけるころ、閑院の左大将の家のさくらをおら せにつかはすとて
1452
左大将朝光
御返し
1453
肥後
高陽院にて、花のちるを見てよみ侍ける
1454
二条関白内大臣
返し
1455
藤原定家朝臣
近衛づかさにてとしひさしくなりてのち、うへのをのこども大内 の花見にまかれりけるによめる
1456
藤原雅経朝臣
最勝寺のさくらはまりのかゝりにてひさしくなりにしを、その木 としふりて風にたうれたるよしきゝ侍しかば、をのこどもにおほせてこと木をそのあ とにうつしうへさせし時、まづまかりて見侍ければ、あまたのとしどし、くれにしは るまでたちなれにけることなどおもひいでゝ、よみ侍ける
1457
よみ人しらず
建久六年、東大寺供養に行幸の時、興福寺のやへざくらさかりな りけるを見て、えだにむすびつけて侍ける
1458
源師光
こもりゐて侍けるころ、後徳大寺左大臣白河の花見にさそひ侍け れば、まかりてよみ侍ける
1459
和泉式部
敦道のみこのともに、前大納言公任白河の家にまかりて、又の日、 みこのつかはしけるつかひにつけて申侍ける
1460
藤原高光
題しらず
1461
堀河左大臣
京極前太政大臣家に、白河院みゆきしたまふて、又の日、花哥た てまつられけるによみ侍ける
1462
大納言忠家
後冷泉院御時、御前にて、翫新成桜花といへるこゝろをゝのこど もつかうまつりけるに
1463
大納言経信
1464
大納言忠教
無風散花といふことをよめる
1465
鳥羽院御哥
鳥羽殿にて花のちりがたなるを御覧じて、後三条内大臣にたまは せける
1466
皇太后宮大夫俊成
世をのがれてのち百首哥よみ侍けるに、花哥とて
1467
入道前関白太政大臣家哥合に
1468
おなじ家の百首のうたに
1469
前大僧正慈円
春ごろ、大乗院より人につかはしける
1470
題しらず
1471
西行法師
1472
安法々師
東山に花見にまかり侍とて、これかれさそひけるを、さしあふこ とありてとゞまりて、申つかはしける
1473
俊頼朝臣
だいしらず
1474
加賀左衛門
橘為仲朝臣みちのおくに侍ける時、哥あまたつかはしけるなかに
1475
1990
躬恒
除目のゝち、かりのなきけるをきゝてよめる
[被出了]
1476
法印幸清
題しらず
1477
前大納言忠良
百首哥たてまつりし時
1478
有家朝臣
千五百番哥合に
1479
八条前太政大臣
崇徳院にて、林下春雨といふことをつかうまつりける
1480
実方朝臣
円融院くらゐさり給てのち、実方朝臣、馬命婦とものがたりし侍 ける所に、山吹の花を屏風のうへよりなげこし給て侍ければ
1481
円融院御哥
御返し
1482
前大僧正慈円
五十首哥たてまつりし時
1483
法成寺入道前摂政太政大臣
世をのがれてのち、四月一日、上東門院太皇太后宮と申ける時、 ころもがへの御装束たてまつるとて
1484
上東門院
御返し
1485
紫式部
四月、祭の日まで花ちりのこりて侍けるとし、その花を使少将の かざしにたまふ葉にかきつけ侍ける
1486
式子内親王
いつきのむかしをおもひいでゝ
1487
読人しらず
左衛門督家通中将に侍りける時、祭の使にて、かんだちにとまり て侍けるあか月、斎院の女房の中よりつかはしける
1488
左衛門督家通
返し
1489
三条院女蔵人左近
三条院御時、五月五日、菖蒲のねを郭公のかたにつくりて、むめ のえだにすへて人のたてまつりて侍けるを、これを題にて哥つかうまつれとおほせら れければ
1490
小弁
五月許、ものへまかりけるみちに、いとしろくゝちなしの花のさ けりけるを、かれはなにの花ぞと人にとひ侍けれど、申さゝりければ
1491
赤染衛門
さみだれのそらはれて、月あかく侍けるに
1492
皇太后宮大夫俊成
述懐百首の哥の中に、五月雨
1493
華山院御哥
題しらず
1494
恵子女王
贈皇后宮にそひて春宮にさぶらひける時、少将義孝ひさしくまい らざりけるに、なでしこの花につけてつかはしける
1495
和泉式部
月あかく侍ける夜、人のほたるをつゝみてつかはしたりければ、 あめのふりけるに申つかはしける
1496
七条院大納言
題しらず
1497
中務
きさいの宮より内にあふぎたてまつりたまひけるに
1498
紀有常朝臣
業平朝臣の装束つかはして侍けるに
1499
紫式部
はやくよりわれはともだちに侍ける人の、としごろへてゆきあひ たる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきおひてかへり侍ければ
1500
三条院御哥
みこの宮と申ける時、少納言藤原統理としごろなれつかうまつり けるを、世をそむきぬべきさまに思たちけるけしきを御覧じて
1501
藤原為時
題しらず
1502
伊勢大輔
参議正光、おぼろ月よにしのびて人のもとにまかれりけるを見あ らはして、つかはしける
1503
参議正光
返し
1504
刑部卿範兼
三井寺にまかりて、ひごろすぎてかへらんとしけるに、人びとな ごりおしみてよみ侍ける
1505
法印静賢
山ざとにこもりゐて侍けるを、人のとひて侍ければ
1506
民部卿範光
八月十五夜、和哥所にてをのこども、哥つかうまつり侍しに
1507
宜秋門院丹後
和哥所哥合に、湖上月明といふことを
1508
藤原盛方朝臣
題しらず
1509
皇太后宮大夫俊成
永治元年、譲位ちかくなりて、よもすがら月を見てよみ侍ける
1510
崇徳院に百首哥たてまつりけるに
1511
左近中将公衡
文治のころをひ百首哥よみ侍けるに、懐旧哥とてよめる
1512
二条院讃岐
百首哥たてまつりし、秋哥
1513
藤原経通朝臣
月前述懐といへる心をよめる
1514
藤原長能
石山にまうで侍りて、月を見てよみ侍ける
1515
躬恒
題しらず
1516
源道済
月のあかゝりける夜、あひかたらひける人の、このごろの月は見 るやといへりければ
1517
増基法師
夜ふくるまでねられず侍ければ、月のいづるをながめて
1518
よみ人しらず
能宣朝臣、やまとのくにまつちの山ちかくすみける女のもとに夜 ふけてまかりて、あはざりけるをうらみ侍ければ
1519
摂政太政大臣
百首哥たてまつりし時
1520
前大僧正慈円
五十首哥たてまつりしに、山家月のこゝろを
1521
摂政太政大臣大将に侍し時、月哥五十首よませ侍けるに
1522
藤原業清
おなじ家哥合に、山月の心をよめる
1523
鴨長明
和哥所哥合に、深山暁月といふ事を
1524
藤原秀能
熊野にまうで侍し時たてまつりし哥の中に
1525
1526
猷円法師
山家のこゝろをよみ侍ける
1527
華山院御哥
題しらず
1528
伊勢大輔
1529
和泉式部
1530
大納言経信
家にて、月照水といへる心を人々よみ侍けるに
1531
皇太后宮大夫俊成
秋のくれにやまひにしづみてよをのがれにける、又のとしの秋九 月十余日、月くまなく侍けるによみ侍ける
1532
西行法師
題しらず
1533
1534
1535
1536
1537
入道親王覚性
1538
藤原道経
1539
前大僧正慈円
五十首哥めしゝに
1540
藤原隆信朝臣
百首哥たてまつりしに
1541
源光行
題しらず
1542
二条院讃岐
千五百番哥合に
1543
寂超法師
世をそむきなんとおもひたちけるころ、月を見てよめる
1544
大江嘉言
山ざとにて、月のよみやこをおもふといへる心をよみ侍ける
1545
惟明親王
なが月のありあけのころ、山ざとより式子内親王にをくれりける
1546
式子内親王
返し
1547
摂政太政大臣
春日社哥合に、暁月の心を
1548
右大将忠経
1549
藤原保季朝臣
1550
法橋行遍
月あかきよ、定家朝臣にあひて侍けるに、うたの道に心ざしふか きことはいつばかりの事にかとたづね侍ければ、わかく侍し時、西行にひさしくあひ ともなひてきゝならひ侍しよし申て、そのかみ申し事などかたり侍て、かへりてあし たにつかはしける
1551
寂超法師
故郷月を
1552
平忠盛朝臣
遍照寺月を見て
1553
前中納言匡房
あひしりて侍ける人のもとにまかりたりけるに、その人ほかにす みて、いたうあれたるやどに月のさしいりて侍ければ
1554
神祇伯顕仲
題しらず
1555
俊恵法師
1556
前大僧正慈円
和哥所哥合に、海辺月といふことを
1557
定家朝臣
1558
藤原秀能
1559
具親
熊野にまうで侍しついでに、切目宿にて、海辺眺望といへるこゝ ろを、をのこどもつかうまつりしに
1560
皇太后宮大夫俊成
八十におほくあまりてのち、百首哥めしゝに、よみてたてまつり し
1561
千五百番哥合に
1562
西行法師
題しらず
1563
守覚法親王
五十首哥人々によませ侍けるに、述懐の心をよみ侍ける
1564
左衛門督通光
寄風懐旧といふことを
1565
皇太后宮大夫俊成女
1566
祝部允仲
題しらず
1567
紫式部
法成寺入道前太政大臣、女郎花をおりて、うたをよむべきよし侍 ければ
1568
法成寺入道前摂政太政大臣
返し
1569
曾禰好忠
題しらず
1570
安法々師
秋のくれに、身のおいぬることをなげきてよみ侍ける
1571
前中納言匡房
頼綱朝臣、つのくにのはつかといふ所に侍りける時、つかはしけ る
1572
大蔵卿行宗
九月許に、すゝきを崇徳院にたてまつるとてよめる
1573
後徳大寺左大臣
山ざとにすみ侍けるころ、あらしはげしきあした、前中納言顕長 がもとにつかはしける
1574
前中納言顕長
返し
1575
冷泉院御哥
清涼殿の庭にうへ給へりける菊を、くらゐさりたまひてのち、お ぼしいでゝ
1576
源順
なが月のころ、野の宮に前栽うへけるに
1577
よみ人しらず
題しらず
1578
土御門内大臣
百首哥たてまつりし時
1579
家隆朝臣
最勝四天王院障子に、あぶくま河かきたる所
1580
赤染衛門
元輔がむかしすみ侍ける家のかたはらに、清少納言がすみけるこ ろ、雪のいみじくふりてへだてのかきもたふれて侍ければ、申つかはしける
1581
後白河院御哥
御なやみをもくならせ給て、ゆきのあしたに
1582
皇太后宮大夫俊成
ゆきによせて述懐の心をよめる
1583
朱雀院御哥
仏名のあしたにけづり花を御覧じて
1584
前大納言公任
花山院おりゐたまひて又のとし、仏名にけづり花につけて申侍け る
1585
御形宣旨
返し
1586
皇太后宮大夫俊成
題しらず
1587
慈覚大師
莪
春歌上 (Shin Kokinshu) | ||