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後撰和歌集卷第ニ十 賀歌 哀傷
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

20. 後撰和歌集卷第ニ十
賀歌 哀傷

藤原伊衡朝臣

女八のみこ元良のみこのために四十の賀し侍りけるに菊の花をかざしにをりて

萬代の霜にもかれぬ白菊をうしろ易くもかざしつるかな

典侍あきらけい子

典侍あきらけいこ父の宰相のために賀し侍りけるに玄朝法師の裳唐衣ぬひてつかはしければ

雲わくる天の羽衣打ち着ては君が千歳にあはざらめやは

太政大臣

題志らず

今年より若菜にそへて老の世に嬉き事をつまむとぞ思ふ

貫之

章明のみこかうぶりしける日遊びし侍りけるに右大臣これかれ歌よませ侍りけるに

ことの音も竹も千歳の聲するは人の思ひも通ふなりけり

讀人志らず

賀のやうなる事し侍りけるところにて

百年と祝ふを我は聞き乍ら思ふが爲はあかずぞありける

貫之

左大臣の家のをのこゞ女子かうぶりし裳着侍りけるに

大原やをしほの山のこまつ原はや木高かれ千代の影みむ

讀人志らず

人のかうぶりする所にて藤の花をかざして

打寄する浪の花こそ咲きにけれ千代松風や春になるらむ

女の許につかはしける

君が爲松の千年も盡きぬべし是よりまさる神のよもがな

惟濟法師

年星おこなふとて女檀越のもとよりずゞをかりて侍りければ加へてつかはしける

百年にやそとせそへていのりける玉の驗を君みざらめや

僧都仁教

左大臣のいへにけふそく心ざしおくるとてくはへける

けふそくをおさへてまさへ萬世に花の盛りを心しづかに

太政大臣貞信公

今上帥のみこと聞えし時太政大臣の家にわたりおはしまして歸らせたまふ御おくりものに御本奉るとて

君がためいはふ心の深ければ聖の御代のあとならへとぞ

今上御製

御かへし

教へおくことたがはずば行末の道遠くともあとはまどはじ

今上梅壷におはしましゝ時たき木こらせて奉り給ひける

山人のこれる焚木は君が爲多くの年をつまむとぞおもふ

御製

御かへし

年の數つまむとすなる重荷には最ど小附をこりも添へなむ

清正

東宮の御前にくれ竹うゑさせたまひけるに

君がため移してうゝる呉竹にちよも籠れる心地こそすれ

命婦清子いさぎよき子

院の殿上にてみやの御かたより碁盤いださせ給ひけるごいしけのふたに

斧のえのくちむも志らず君がよのつきむ限は打ち試みよ

右大臣

西四條のみこの家の山にて女四のみこのもとに

なみたてる松の緑の枝わかず折つゝ千代を誰とかはみむ

貫之

十二月計にかうぶりする所にて

祝ふ事ありと成べし今日なれど年の此方に春もきにけり

哀傷歌

左大臣

敦敏が身まかりにけるをまだきかであづまより馬を送りて侍りければ

まだ志らぬ人も有鳬東路に我も行きてぞすむべかりける

太政大臣

兄のぶくにて一條にまかりて

春の夜の夢の中にも思ひきや君なき宿をゆきてみむとは

かへし

宿みればねてもさめても戀しくて夢現とも分かれざり鳬

三條右大臣

先帝おはしまさで世中を思ひなげきてつかはしける

儚くて世にふるよりは山階の宮の草木とならましものを

兼輔朝臣

かへし

山志なの宮の草木と君ならば我れは雫にぬるばかりなり

時望朝臣妻

時望の朝臣みまかりて後はての頃近くなりて人の許よりいかに思ふらむといひおこせたりければ

別れにし程をはてとも思ほえず戀しきことの限りなければ

右大臣

女四のみこの文の侍りけるにかきつけて内侍のかみに

種もなき花だにちらぬ宿もあるをなどか形見の籠だになか覽

内侍のかみ

かへし

結び置きし種ならね共見るからにいとゞ忍の草をつむ哉

伊勢

女四のみこの事とぶらひ侍るとて

こゝら世をきくが中にも悲しきは人の涙も盡や志ぬらむ

讀人志らず

かへし

きく人も哀れてふなる別れにはいとゞ涙ぞ
[_]
[1]つきせざりる

三條右大臣

先帝おはしまさで又の年の正月一日におくり侍りける

徒らに今日や暮れなむ新らしき春のはじめは昔ながらに

兼輔朝臣

かへし

なく涙ふりにし年の衣手は新らしきにもかはらざりけり

三條右大臣

かさねて遣はしける

人の世の思ひに叶ふ物ならば我が身は君に後れましやは

兼輔朝臣

めのみまかりて後すみ侍りける所の壁にかの侍りける時書きつけて侍りける手を見侍りて

寢ぬ夢に昔のかべを見てしより現に物ぞかなしかりける

閑院左大臣

あひ志りて侍りける女のみまかりにけるをこひ侍りけるあひだに夜更けてをしの鳴き侍りければ

夕さればねに鳴く鴛の獨して妻ごひすなるこゑの悲しさ

太政大臣

七月ばかりに左大臣の母みまかりにける時におもひ侍りけるあひだきさいの宮より萩の花を折りて給へりければ

女郎花枯にし野べに住む人は先咲く花をまたでともみず

伊勢

なくなりにける人の家にまかりてかへりてのあしたにかしこなる人に遣はしける

なき人のかげだに見えぬ遣水のそこに涙を流してぞこし

大和に侍りける母みまかりて後かの國へまかるとて

獨ゆくことこそうけれ故郷のならの並びて見しひともなみ

京極御息所

法皇の御ぶくなりける時にび色のさいでにかきて人におくり侍りける

墨染のこきも薄きもみる時は重ねてものぞ悲しかりける

右大臣

女四のみこのかくれ侍りにける時

昨日まで千代と契りし君を我が志での山路に尋ぬべき哉

玄上朝臣女

先坊うせ給ひての春大輔につかはしける

新玉の年こえつらしつねもなきはつ鶯のねにぞなかるゝ

大輔

かへし

ねにたてゝなかぬ日はなし鶯の昔のはるを思ひやりつゝ

玄上朝臣女

同じ年の秋

諸共になき居し秋の露ばかりかゝらむ物と思ひかけきや

藤原守文

清正が枇把大臣のいみにこもりて侍りけるにつかはしける

よの中の悲しきことをきくの上におく志ら露ぞ涙なりける

清正

かへし

きくにだに露けかる覽人のよをめにみし袖を思遣らなむ

貫之

兼輔朝臣なくなりて後土左國よりまかりのぼりて彼の粟田の家にて

植置きし二葉の松はありながら君が千歳のなきぞ悲しき

其ついでにかしこなる人

君まさで年はへぬれど故郷につきせぬものは涙なりけり

戒仙法師

人のとぶらひにまうできたりけるに早くなくなりにきといひ侍りければ楓の紅葉にかきつけ侍りける

過ぎにける人を秋しもとふからに袖は紅葉の色に社なれ

讀人志らず

なくなりて侍りける人のいみに籠りて侍りけるに雨のふる日人のとひて侍りければ

袖乾く時なかりける我身にはふるを雨とも思はざりけり

人のいみはてゝもとの家にかへりける日

故郷に君はいづらと待問はゞ何れのそらの霞といはまし

清正

敦忠朝臣みまかりて又の年かの朝臣のをのなる家みむとてこれかれまかりて物語し侍りけるついでによみ侍りける

君がいにし方や何れぞ白雲の主なき宿と見るぞかなしき

讀人志らず

親のわざしに寺にまでたりけるを聞きつけて諸共にまうでましものをと人のいひければ

わび人の袂に君がうつりせば藤のはなとぞ色はみえまし

かへし

よそにをる袖だにひぢし藤衣涙に花も見えずぞあらまし

伊勢

題志らず

程もなく誰も後れぬ世なれ共止るは行くを悲しとぞみる

玄上朝臣女

人をなくなして限なく戀ひて思ひいりてねたる夜の夢にみえければ思ひける人にかくなむといひつかはしたりければ

時のまも慰めつ覽覺めぬまは夢にだに見ぬ我れぞ悲しき

大輔

かへし

悲しさの慰むべくもあらざりつ夢の内にも夢と見ゆれば

伊勢

在原載春がみまかりけるをきゝて

懸てだに我身のうへと思ひきやこむ年春の花を見じとは

一つがひ侍りける鶴の一つがなくなりにければとまれるがいたくなき侍りければ雨のふり侍りけるに

鳴く聲にそひて涙はのぼらねど雲の上より雨とふるらむ

兼輔朝臣

妻のみまかりての年の志はすのつごもりの日ふることいひ侍りけるに

亡き人の共にし歸る年ならば暮行く今日は嬉しからまし

貫之

かへし

こふるまに年のくれなば亡人の別やいとゞ遠くなりなむ
[_]
[1] Shinpen Kokka Taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983) reads つきせざりける.