後撰和歌集 (Gosen wakashu [Book 1]) | ||
20. 後撰和歌集卷第ニ十
賀歌 哀傷
藤原伊衡朝臣
女八のみこ元良のみこのために四十の賀し侍りけるに菊の花をかざしにをりて
典侍あきらけい子
典侍あきらけいこ父の宰相のために賀し侍りけるに玄朝法師の裳唐衣ぬひてつかはしければ
太政大臣
題志らず
貫之
章明のみこかうぶりしける日遊びし侍りけるに右大臣これかれ歌よませ侍りけるに
讀人志らず
賀のやうなる事し侍りけるところにて
貫之
左大臣の家のをのこゞ女子かうぶりし裳着侍りけるに
讀人志らず
人のかうぶりする所にて藤の花をかざして
女の許につかはしける
惟濟法師
年星おこなふとて女檀越のもとよりずゞをかりて侍りければ加へてつかはしける
僧都仁教
左大臣のいへにけふそく心ざしおくるとてくはへける
太政大臣貞信公
今上帥のみこと聞えし時太政大臣の家にわたりおはしまして歸らせたまふ御おくりものに御本奉るとて
今上御製
御かへし
今上梅壷におはしましゝ時たき木こらせて奉り給ひける
御製
御かへし
清正
東宮の御前にくれ竹うゑさせたまひけるに
命婦清子いさぎよき子
院の殿上にてみやの御かたより碁盤いださせ給ひけるごいしけのふたに
右大臣
西四條のみこの家の山にて女四のみこのもとに
貫之
十二月計にかうぶりする所にて
哀傷歌
左大臣
敦敏が身まかりにけるをまだきかであづまより馬を送りて侍りければ
太政大臣
兄のぶくにて一條にまかりて
かへし
三條右大臣
先帝おはしまさで世中を思ひなげきてつかはしける
兼輔朝臣
かへし
時望朝臣妻
時望の朝臣みまかりて後はての頃近くなりて人の許よりいかに思ふらむといひおこせたりければ
右大臣
女四のみこの文の侍りけるにかきつけて内侍のかみに
内侍のかみ
かへし
伊勢
女四のみこの事とぶらひ侍るとて
讀人志らず
かへし
三條右大臣
先帝おはしまさで又の年の正月一日におくり侍りける
兼輔朝臣
かへし
三條右大臣
かさねて遣はしける
兼輔朝臣
めのみまかりて後すみ侍りける所の壁にかの侍りける時書きつけて侍りける手を見侍りて
閑院左大臣
あひ志りて侍りける女のみまかりにけるをこひ侍りけるあひだに夜更けてをしの鳴き侍りければ
太政大臣
七月ばかりに左大臣の母みまかりにける時におもひ侍りけるあひだきさいの宮より萩の花を折りて給へりければ
伊勢
なくなりにける人の家にまかりてかへりてのあしたにかしこなる人に遣はしける
大和に侍りける母みまかりて後かの國へまかるとて
京極御息所
法皇の御ぶくなりける時にび色のさいでにかきて人におくり侍りける
右大臣
女四のみこのかくれ侍りにける時
玄上朝臣女
先坊うせ給ひての春大輔につかはしける
大輔
かへし
玄上朝臣女
同じ年の秋
藤原守文
清正が枇把大臣のいみにこもりて侍りけるにつかはしける
清正
かへし
貫之
兼輔朝臣なくなりて後土左國よりまかりのぼりて彼の粟田の家にて
其ついでにかしこなる人
戒仙法師
人のとぶらひにまうできたりけるに早くなくなりにきといひ侍りければ楓の紅葉にかきつけ侍りける
讀人志らず
なくなりて侍りける人のいみに籠りて侍りけるに雨のふる日人のとひて侍りければ
人のいみはてゝもとの家にかへりける日
清正
敦忠朝臣みまかりて又の年かの朝臣のをのなる家みむとてこれかれまかりて物語し侍りけるついでによみ侍りける
讀人志らず
親のわざしに寺にまでたりけるを聞きつけて諸共にまうでましものをと人のいひければ
かへし
伊勢
題志らず
玄上朝臣女
人をなくなして限なく戀ひて思ひいりてねたる夜の夢にみえければ思ひける人にかくなむといひつかはしたりければ
大輔
かへし
伊勢
在原載春がみまかりけるをきゝて
一つがひ侍りける鶴の一つがなくなりにければとまれるがいたくなき侍りければ雨のふり侍りけるに
兼輔朝臣
妻のみまかりての年の志はすのつごもりの日ふることいひ侍りけるに
貫之
かへし
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