後撰和歌集 (Gosen wakashu [Book 1]) | ||
19. 後撰和歌集卷第十九
離別 覊旅
貫之
みちのくにへまかりける人に火うちを遣はすとてかきつけゝる
讀人志らず
あひ知りて侍りける人の東の方へまかりけるに櫻の花のかたに幣をさして遣しける
橘直幹
遠くまかりける人に餞し侍りける所にて
讀人志らず
下野にまかりける女に鏡にそへてつかはしける
するが
信濃へまかりける人にたき物つかはすとて
讀人志らず
遠き國へまかりける友達に火うちにそへて遣はしける
むすめ
京に侍りける女子をいかなる事か侍りけむ心うしとて留め置きて因幡國へまかりければ
伊勢へまかりける人とくいなむと心もとながると聞きて旅の調度などとらする物からたゝん紙にかきてとらする名をばうまといひけるに
かへし
藤原清正
同じ家に久しう侍りける女の美濃の國に親の侍りけるとぶらひにまかりけるに
大窪則善
遠き國にまかりける人に旅の具つかはしける鏡の箱のうらにかきつけて遣はしける
讀人志らず
此たびのいでたちなむものうく覺ゆるといひければ
公忠朝臣
あひ志りて侍りける女の人の國にまかりけるにつかはしける
女
かへし
讀人志らず
三月ばかりこしの國へまかりける人に酒たうべけるついでに
伊勢
善祐法師の伊豆國に流され侍りけるに
讀人志らず
題志らず
かへし
伊勢
亭子院のみかどおりゐ給うける年の秋弘徽殿のかべにかきつけゝる
帝御覽じて御かへし
讀人志らず
みちのくにへまかりける人に扇てうじて歌繪にかゝせ侍りける
宗于の朝臣のむすめみちのくにへ下りけるに
かへし
をとこの伊勢國へまかりけるに
旅にまかりける人に裝束遣はすとて添へてつかはしける
かへし
旅にまかりける人に扇つかはすとて
藤原滋幹が女
友則がむすめのみちのくにへまかりけるに遣はしける
小野好古朝臣
つくしへまかるとてきよいこの命婦におくりける
源濟
出羽よりのぼりけるにこれかれ馬のはなむけしけるにかはらけとりて
平高遠がいやしき名とりて人の國へまかりけるにわするなといへりければ高遠が妻のいへる
讀人志らず
あひ志りて侍りける人のあからさまにこしの國へまかりけるにぬさ心ざすとて
かへし
秋旅にまかりける人にぬさをもみぢの枝につけてつかはしける
大輔
西四條の齋宮の九月晦日くだり侍りけるともなる人にぬさつかはすとて
伊勢
物へまかりける人に遣はしける
贈太政大臣
題志らず
伊勢
かへし
讀人志らず
伊勢
かへし
甲斐へまかりける人につかはしける
舟にて物へまかりける人に遣はしける
讀人志らず
かへし
舟にて物へまかりける人
伊勢
かへし
貫之
遠き所にまかるとて女の許へつかはしける
覊旅歌
讀人志らず
ある人いやしき名とりて遠江國へまかるとてはつせ川を渡るとてよみ侍りける
たはれ島をみて
業平朝臣
東へ罷りけるにすぎぬる方戀しく覺えける程に川を渡りけるに浪の立ちけるを見て
讀人志らず
白山へまうでけるに道中よりたよりの人につけてつかはしける
中原宗興
中原宗興が美濃國へまかり下り侍りける道に女の家に宿りていひつきてさりがたく覺えければ二三日侍りてやむことなき事によりてまかり立ちければきぬを包みてそれが上にかきて送り侍りける
貫之
土左よりまかりのぼりける舟のうちにて見侍りけるに山のはならで月の浪のなかより出づるやうにみえければ昔安倍仲麿が唐土にてふりさけみればといへることをおもひやりて
菅原右大臣
法皇宮の瀧といふ所御覽じける御供にて
道まかりけるついでにひぐらしの山をまかりはべりて
伊勢
初瀬へ詣づとて山のべといふわたりにてよみ侍りける
宇治の殿といふ所を
小町
海のほとりにてこれかれ逍遙し侍りけるついでに
眞靜法師
東なる人の許へまかりける道に相摸の足柄の關にて女の京にまかり上りけるにあひて
僧正聖寶
法皇遠き所に山ぶみ志給うて京に歸り給ふに旅のやどり志給うて御供にさぶらふ道俗に歌よませ給うけるに
貫之
土左より任はてゝのぼり侍りけるに舟の中にて月を見て
亭子院御製
題志らず
讀人志らず
京に思ふ人侍りて遠き所よりかへりまうできける道にとゞまりて九月ばかりに
素性法師
宮のたきといふ所に法皇おはしましたりけるにおほせごとありて
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